四幕
玄之丞は再び、千歳屋の暖簾をくぐった。
娘がぱたぱたと出迎える。
「昨日は御馳走していただき、ありがとうございました。おっ母も心なしか元気になったんですよ。」
「……そうか。」
玄之丞は煙管に火を入れる。
程なくして、先日の二人組の借金取りが、背後に"もう一人"を従えて店内に現れた。
「こないだは世話に成ったな、色男さんよお。」
「……。」
男は下から覗くように下卑た顔を近づける。
「だけどな、俺らもあれで引くわけにはいかんのよ。おい、どこ向いてんだてめえ。」
玄之丞の目線は二人の後ろ。もう一人の男が、顎を擦りながら不敵な笑みを向ける。
「……さすがだな、俺らは眼中にねえってか。気になるかよ。」
男が道を開けると、渋柿色の野袴が目に映る。網代笠に隠れ、目線や表情が読めない。
「言っとくけどな、小柄だからって甘く見ると、痛い目に合うぜ。」
男の口元には、笑みが浮かんでいる。
「へへ、先生も昂ぶっていらっしゃるぜ。」
「首落としの先生、お願いしやす。」
「……!」
刹那、鋭い踏み込みから抜き付けの一閃。玄之丞は無駄のない鋭い軌道を後ろに半歩重心を下げ皮一枚躱す。
玄之丞が腰を落とし、柄に手を掛けた瞬間、首落としの椿はさらに一歩、地を滑るように踏み込んだ。流れるような重心移動で、刀身をそのまま玄之丞の喉元へ、一直線に突き出す。玄之丞はこれを半身になりつつ上体を反らし、躱す。しかし椿は、玄之丞の崩れた体勢が戻る前に刃を返し、その切っ先は、吸い込まれるように喉元へ……。
一連の流れを、呆然と見ていた借金取りの男の頬を、冷や汗が伝う。
(……おいおい、今の躱すかよ。)
玄之丞は、仰向けに背中から地面へと倒れ込み、紙一重で躱していた。そしてそのまま椿の足を払うと、転がるように飛び起きる。
向き合う二人。
「……なぜ抜かない?」
「……さあな。」
玄之丞は言うが早いか、さらに重心を下げ、間合いを詰めた。一瞬で懐へ潜り込まれ、笠から覗く椿の口元には焦りが見える。
(早い……だが!)
椿は即座に刀を上段へと構え直した。そのまま脳天へと振り下ろそうとした矢先、突如として視界が真っ暗に染まる。
椿の笠目掛け、床に散らばる羽織を投げ掛けられた。
玄之丞の強烈な肘打ちが一閃、椿の胸元へ突き刺さる。
どす、と重い音が響き、椿はたまらず膝から地面へ崩れ落ちた。
「な、嘘だろ……まじかよ……」
用心棒が瞬時に無力化され、借金取りの男たちはガチガチと全身を震わせた。
ゆっくりと振り返った玄之丞と、目が合う。玄之丞は胸の前で、親指でゆっくりと刀の鍔を押し上げながら――。
「去ね。」
その一言に、男たちは悲鳴を上げ、息も絶え絶えに夜の路地へと走り去っていった。
半刻程して、椿は目を覚ました。
ゆっくりと上体を起こし、己の四肢を動かして無事を確認する。
「生きてる……。」
ふと顔を上げた椿の目に、奇妙な光景が飛び込んできた。
「この人殺し! おっ父をどこへやったの、吐き出しなさい!」
千歳屋の娘が、涙目で包丁を振り回し、必死に喚いている。そしてその斜め後ろでは、玄之丞が煙管をふかしながら、娘の着物の帯を片手でむんずと掴み、犬のように引き留めていた。
千歳屋の奥座敷。
烏鳴の梅屋から銀二が駆けつけた頃には、娘も、玄之丞も、ぐったりとしていた。
銀二はふうと、小さく息を吐き、促す。
「じゃあ、お話聞こうかな。」
卓を挟んで、網代笠を外した用心棒に向き直る。
「ええと……まず、貴女が椿さん?」
笠を脱いだ椿の素顔は女だった。
椿は無言で頷く。銀二は優しげな目を少しだけ細めた。
「それで、千歳屋のご亭主は……どうしたのかな?」
「私は殺していない。」
椿の眼はまっすぐに銀二を見つめる。
銀二は目を逸らさない。
「でも、巷じゃあ随分と物騒な噂になってるよ?首落としの椿。」
「私は、裏で聞いた者しか切っていない。それ以外の者は、一人として手に掛けていない。」
銀二の視線が少し、鋭さを増す。
「なるほどねえ。わざわざそんな危険な裏社会に首を突っ込むなんて、何か特別な事情があるのかな?」
銀二の問いに、椿はきゅっと唇を噛み締め、ぽつりと溢した。
「弟を……探しているんだ。」
言葉を受け、ようやく銀二の気配が緩んだ。
「……情報集めってことか。」
玄之丞は煙管の煙を吐き出しながら、黙ってその横顔を見つめていた。
——その頃、天領水守宿の一角。湧水堂伝右衛門の屋敷。
あの二人組の借金取りが、床に転がされ、凄惨な暴行を受けていた。
首領の男が、烈火のごとく怒鳴り散らし、部下を蹴り飛ばす。そこに上物の着物を来た男が二人、現れた。
「まあまあ高嶋殿、そんなもんでいいでしょう。」
一人は恰幅のいい太鼓腹の男。
「……別に殺しても構へんけどな。」
もう一人は、白羽織に金刺繍の男。
「ただ、急いで下さいね。あの立地は値が付きます。」
太鼓腹の男は、胡散臭い恵比須顔を扇子で仰いでいる。
「へっ、へい! 分かっております、湧水の旦那!」
高嶋屋は、二人の前で這いつくばった。
「あと……暁の旦那。娘は予定通りこっちの女衒で売っちまっていいんだよな。」
高嶋屋は金刺繍の男へと、伺うように顔を向けた。
「ええで。帳面だけよこしや。」
答えながらも白羽織の男は高嶋には目もくれず、湧水堂の下り藤のような蛇の家紋を見詰めていた。
「母親は……?」
「病なのでしょう? どうせ大した値もつかないし……。」
伝右衛門は優雅に払いながら、冷酷極まりない声で言い捨てた。
「——店ごと、でいいでしょう。」




