三幕
別日、烏鳴。
いつもは閑古鳥が鳴いている商店街に、野次馬が群がっていた。
中心部には、上半身をはだけた屈強な男。掌に拳を合わせ、首を鳴らしている。
それに向かい合うは——。
「やっちまえ、まつりちゃーん!」
「鬼っ子、手加減してやれよー。」
男の胸元ほどしか背丈が無いまつり。周りに手を振りながら、膝を曲げたり、小さく跳躍したり。
男の取り巻きは、彼女に罵声を浴びせる。
刹那、男がまつりに飛び掛かる。大振りな拳、力任せな蹴り。
鬼の子供は、天女の様に身を翻し、躱していく。背後に回り込むと、腰をぽんぽんと叩く。振り返った男は、腕を足を、振り回す。
「なんだなんだ大男、見掛け倒しかあ!」
野次が飛ぶ。
男は四肢を振り回しながら悔しそうに叫ぶ。
「畜生!力比べならお前なんざ!」
男の頭からは今にも湯気が立ちそうだ。
「ふーん。」
まつりは悪戯に笑うと、男に向け、両手を差し出した。
「いいよ、それでやろ。」
「……おのれえ!」
二人の掌が掴み合う。
(……!)
男の奥歯がぎりぎり音を立てる。
(……岩かよ!?)
まつりのこめかみの血管が浮き上がる——。
「よいしょお!」
人々は、男を追うように、空を見上げた。そして、同じ男を追い、目線を再び下げる。男は、まつりの腕の中へ落ち、まるで赤子のように抱き抱えられた。
野次馬達から、感嘆の声が響く。
身を縮めながら男の眼は、驚愕に見開いていた。
しかし。
「たは、やっぱ重いい。」
まつりが思わず手を下げると、今度は地面が男を受け止めた。
笑い声と歓声が、二人を包む。
「今日も最高だぜまつりちゃん。」
「大男、お前も頑張ったぞ。」
男は腰をさすりながら恥ずかしそうに去っていった。
まつりは見渡し、人波の中に依頼者の男を見付ける。その男に対し、満面の笑顔で、人差し指と中指を立てた拳を向けた。
男は首を傾げる。しかし、その表情は笑顔で満ちていた。
喧嘩の助っ人を終え、まつりが帰ってくると、烏鳴の梅屋の店先に、女が居た。早足に、近付くまつり。
「もしもし、お客さんですか?」
「え……。」
女は振り返る。が、誰もいない。
「こっちこっち。」
声がするまま目線を下げると、そこには少女。
突然目の前に現れた子供の姿に、女は戸惑った。
「あの、斬裂……梅屋さんて……。」
おずおずと尋ねる女に、まつりは胸を張った。
「うん、ここですよ! どうぞどうぞ、入って!」
それでも女は、まだ躊躇している。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと一人顔怖いけど、みんな優しいから。俺もいるし。ね?」
女は、まつりの屈託のない笑顔に、背中を押されるようにゆっくりと、梅屋の暖簾を潜った。
客間に通されたやつれた女。
ぽつりぽつりと、か細い声で話し出した。
「おっ父が『仕事の話だ』と言って出かけたきり、帰ってこないんです。しばらくの間は、おっ母が必死にお店を切り盛りしていましたが……。」
「倒れた……のかな?」
銀二は娘から目を逸らさず、優しく先を促した。
玄之丞は、娘の右肩の——少し上を見詰めている。手には胸元に下げた、勾玉が握られている。
娘は静かに頷き、まつりがそっと差し出した、温かい茶を一口すする。
「それにここの所、借金取りがお店で怒鳴ったり暴れたり。……お客さんも、怯えてしまって。」
娘の膝の上の拳が、わなわなと震える。
「おっ父はもう、あいつらに——。」
「十両だ。」
玄之丞は瓢箪の酒をあおると、のそりと立ち上がった。目を細め、もう一度だけ娘の肩の上を睨みつける。
「……え、そんな。」
怯える娘を見下ろし、玄之丞はただ短く、言い放った。
「行くぞ。」
場所を移し、娘が家族で切り盛りする店——千歳屋の客間。
薄暗い店の中で、娘は浮かない顔で身を縮めていた。
「申し上げ難いのですが、そんな大金……すぐには。」
玄之丞は並んだ羽織を眺める。そして、隅に追いやられた、小さな一角に手を伸ばす。
おもむろに紺青の羽織に袖を通すと——ふと、あの白粉の香りを思い出す。
「……ああ。」
「邪魔するぜえ!」
その時、店先の暖簾を乱暴に撥ね退けて、二人組の男が踏み込んできた。
「やだねやだね、借りた物を返さねえのは泥棒だ。なあ?」
「そうだとも、俺らはただ返して欲しいだけなのに、あんたは待てとしか言わねえ。」
娘は肩を震わせる。
「あ、あんたたち……。」
二人の表情と足先を、玄之丞は静かに見つめる。
「こんな薄汚い店、売れる物なんか何もありゃしねえな!」
一人が棚を乱暴に蹴飛ばした。木箱が転がる。
「いつまで待っても金を払ってもらえない、俺たちの方が可哀そうだと思わねえかぁ?」
一人は娘に詰め寄る。娘は震えながらも返す。
「その借金は、あんたたちが無理やりおっ父に負わせたんだろ。」
「うるせえな。その生意気な口、二度と利けなくしてやろうか!」
食い下がった娘の腕を、男が掴み上げる。
もう一人の男が、呆れ顔で呟く。
「おいおい、そいつにはまだ傷を付けるなよって——え?」
「——な!?」
次の瞬間、掴んでいた男の言葉が凍りついた。
突き刺さるように強烈な寒気が走り、男たちの全身の身の毛がよだつ。
もう一人の男は本能的な恐怖に襲われ、思わず自分の刀の柄に手を添えた。
女の腕を掴んでいた男は、弾かれたように飛び退く。いつの間にか、娘と自分の間に割って入っていた玄之丞を、震える目で見上げた。
玄之丞は鍔に指を掛け、幽鬼のように静かに佇んでいた。
(……殺られ……。)
男の頬を、冷や汗が伝う。すると、何処からとも無く、か細い声が聴こえた。
「あ……あ……。」
娘の腰が抜ける。
……蛇に睨まれた蛙のように硬直していた男たちは、恐怖のあまり、その場にへたり込んだ娘を置き去りにして、一目散に路地へと走り去っていった。
翌日の千歳屋。
土間からぱたぱたと、まつりが飯を運んでくる。
銀二に支えられ、母親が食卓に付く。
「ちょいと精の付くものにしたから、体に障ら無いように、ゆっくり食べてね。」
まつりが両手を広げ、笑顔で促す。
「こんなにしてもらって、申し訳ありません。」
咳き込みながらも母親は、深く目を瞑り、手を合わせる。
娘と母親は、箸を口に運ぶ。静かに咀嚼し、喉を通す。娘は目を見開き、口元を抑えた。
「美味しい……。」
まつりと銀二が目を合わせる。
「銀兄の炊く米、めちゃくちゃ旨いでしょ。」
続けてまつりは、おかずを指差す。
「これとこの魚は元気出るやつ、この山菜は体にいいやつでしょ、あとこのねばねば……。」
まつりが小さな声で娘に言う。
「あそこの怖ーい人が、朝から擂ったやつね。」
娘は恐る恐る玄之丞を見た。玄之丞は外を眺めながら、煙管をふかしている。
娘は箸を動かす。母親は目を細め、飲み込む。
「これも美味しいです……!」
娘の表情が和らぐ。
「……おい。」
二人が声に顔を上げると、玄之丞が見詰めていた。
「おかわりは?」
月明かりを肴に、玄之丞は盃を口に運ぶ。
月が不意に陰り、虫の音が止んだ。
静寂が深まる。
闇が影のように集まり、それは静かに、地面からゆっくりと這い上がってくる。
猿の面。その奥から覗く眼は、獣のように細く、底知れぬ光を宿している。
身に纏うのは、虎の皮を思わせる縞模様の羽織。
袖口から伸びた手は異様に細く、指先だけが獣の爪のように鋭い。
そして、青白い首には一匹の蛇が絡みついていた。蛇は男の首筋を這い、玄之丞を見つめるように舌を出す。
「……鵺。」
月明かりを吸ったような、青白い肌。
「……斬裂屋……その血塗られた手で千々に殺めし者どもの怨みは、己が命の緒を喰らう。」
「……。」
濡れたような髪が、風もないのに揺れる。
「今あるもの、来たるものを、ゆめ手放すな。それぞ己を生かす肉とならむ。」
鵺は獣のような指先を玄之丞へと向ける。
「然るのち、闇の奥なる真の怨敵をば、その眼を凝らして見定め給へ——。」
言い切ると同時に、鵺は消えた。
無音だった闇に虫の音が響く。
玄之丞の右手が無意識に、胸元で握られる。そこには、真半分に割れた若葉色の勾玉があった。
自分の致命傷の痛みよりも重く刻み込まれた、女と子供の悲鳴。浮かぶは炎に包まれる村。
「……節介な野郎だ。」
玄之丞の瞳に、昏い焔が灯る。




