二幕
鳥のさえずりが聴こえる。
梅屋の中は綺麗に片付けられ、散らかった男は今日も叩き起こされていた。
そんな喧騒をよそに、客間には子供が二人、ぽつんと座っている。
その向かいには、華奢で優しげな男——銀二。
「つまり、仇討ちのご依頼だね。」
銀二は少し困った顔をして、奥の寝室に目線を向ける。
まつりが手を叩きながら戻ってきて、その後ろから、眠そうな顔の玄之丞がのそりと現れた。子供達は玄之丞を見た瞬間、固まる。
「あ?」
銀二は目線を子供達に戻すと、優しく促した。
「彼が、梅の斬裂屋だよ。」
「銀兄、おっさん寝起きだから俺行こうか?」
頭の後ろに手を組みつつ提案するまつりに、銀二は小さく首を振る。
「せっかくだけど、それはまだ、ね。」
「冗談だって。」
まつりはぺろっと舌を出し、ちらりと玄之丞へ眼をやる。
玄之丞はただ、眉に深い皺を寄せている。
頃合いを見て、銀二は玄之丞へ顔を向ける。
「それで、この子達仇討ちの依頼なんだけど。」
「断る。」
玄之丞の、鷹のように鋭い眼が子供達を見つめた。
銀二はそっと瞳を閉じ、顔を子供達に向け直す。そして再び瞳を開いた。
「餓鬼が人の生き死にに関わるもんじゃねえ、とでも言いたそうだね。」
銀二は子供達に優しく、けれどどこか冷徹に話しかけた。玄之丞はただ静かに目を閉じた。
銀二は子供達と玄之丞を交互に見つめ、再び子供達に向き直る。
「お金を払っただけで人が死ぬ。それがどれだけの事か、わかるかい?」
子供達は息を吞む。
「……分からないよねえ。」
銀二は笑う。
「だから、今は知らなくていい。」
玄之丞は外を眺めながら煙管をふかす。
銀二は続けて言い渡す。
「でもね。知らないまま人を殺めると、一生知らないまま背負うことになる。」
子供達を表まで送り届けながら、銀二はふっと目線を下げ、そっと耳打ちをした。二人にだけ届く、優しい声で。
「——覚悟があるなら、ここに行っておいで。」
銀二は見送り、小さく呟いた。
「金を払ったらそいつも人殺しだ。……どれだけ、悪人であってもね。」
烏鳴の梅屋を離れ、天領水守宿。大通りには大店が軒を連ね、華やいだ街には、多くの人々が行き交う。
薄暗い路地を子供二人、不安げに歩いていた。
壁にもたれかかり、ただ手に持った縄を見つめる男。下を向き何かを呟き続ける老人。虚ろな瞳の痩せた犬。
胸が締め付けられる思いで進んだ先に、ひっそりと現れたのは、もう一つの、梅屋の看板。
「兄ちゃん。」
「うん。」
子供達は互いに目を合わせ、ゆっくりと歩み出そうとした——。
「!」
その足は空を掻き、口は塞がれ、粗暴な腕で体が締め付けられる。
「しーしーしー、大人しくしてれば、そこまで痛い目は見せねえからよ。」
「あれえ、僕たちがっぽり持ってるね。危ないから預かってやるよ。」
小汚い三人組の男は、これで今日の晩酌が豪勢にできると囃し立てる。
ふと、三人の内、一人の目線が留まる。
「おい、ここはまずいぞ。」
薄毛の男が梅屋の看板を指差す。
「げ、花火屋じゃねえか。」
歯抜けの男が唾を飲み込む。
「馬鹿、声出すな。あいつだろ、人相書の——」
「梅屋が動くと血塗れで赤い花が咲くってえ噂だ。」
「あ、——ひいっ!」
歯抜けの男が何気なく振り返る……。
そこには、朱手拭を眉の上に巻いた長髪の男が、ゆっくりと立っていた。
「ば、爆弾魔……。」
朱手拭の男は、三人から目線を外すことなく、その肩に掛けていた薬箱を、ゆっくりと地面に置いた——。
人々が帰路に着く頃。
梅屋の客間では玄之丞が、眼前の男を無言で睨みつけていた。
「どうかあの御仁を……闇から闇へ、始末していただけませぬか。もちろん、相応の“お足”は弾ませていただきます。」
すがるように懇願する商人は、滝のような冷汗を拭う。
「帰れ。」
玄之丞の低い声が、薄暗い部屋にひときわ冷たく響いた。
——そんな客間の重苦しさをよそに、台所では。
「お上の覚えもめでたいはずの御仁って誰かな?」
まつりは鍋から昆布を取り出す。
「さあねえ、でも……玄之丞はあの依頼、受けないよ。」
銀二はトントンと切っていた大根を鍋に流し込みながら、静かに微笑む。
「ああ、ね。」
銀二が塩をひとつまみ鍋に落とすと、まつりがそれを小皿に少し取って、ふーふーと息を吹きかけながら味見をした。そして、悪戯っぽい笑顔で銀二を振り返る。
「じゃあ、これでおっさんの機嫌直さないとね。」
銀二も応えるように、そっと微笑む。
客間に卓の準備が整う。
玄之丞は瓢箪を口に運ぶ——。
暖簾を潜り、子供が二人。……少し遅れて、朱手拭の男が入って来た。
男は、子供達の肩に手を置き、ゆっくりと梅屋を見渡す。
そして、玄之丞へと視線を向けた。
「この子たちの伯父の者にございます。先ほど、この子らは悪党に襲われかけておりました。どうか彼らの仇討ちの依頼を、私から正式に受けてはいただけませぬか。報酬はこちらに。」
そう言うと男は裾から、ずっしりと重そうな小銭の袋を取り出し、卓に置いた。その仕草を見ていたまつりが、ぷっと吹き出して手を振る。
「硝之介のオジキじゃん。おかえり。」
玄之丞は一瞥して、小さくため息をつく。そして灰吹きに煙管を叩きつけ、呟く。
「三文芝居は要らねえ……。」
子供達は不安そうに双方を見つめている。そんな彼らを見つめ、銀二は静かに目を閉じ、優しく頷く。
「あんな危険なとこまでよく行ったね、怖かったろうに。」
玄之丞はきまり悪そうに頭を掻くと、再び瓢箪を口に持っていく。
子供達は顔を見合わせた。
まつりが子供たちに近付き、箸を渡す。
「作りすぎちゃったからさ。手伝ってね。」
——同じ頃、天領水守宿の、薄暗い路地裏。
先程、子供を襲いかけた三人の浮浪者が、頭を地面に擦り付けている。
「わ、わかったよ、もう勘弁してくれ……!」
「言う、全部話すから!」
どれも手痛く殴打された跡がある。が、切り傷はそれ以上に新しい出血を伴っていた。
「高嶋の屋敷だ! あそこに小綺麗な餓鬼を連れて行くと、良い小遣いになるんだよ……!」
毛の薄い男が、恐る恐る顔を上げた。
命乞いをする三人の悪党を、白羽織に目映い金刺繍を施した男が、懐紙で刀の血を拭いながら、まるで路傍の虫ケラでも見るような、氷の瞳で見下ろしていた。
——そして、未明。水守宿の外れ。
遺体を改めながら、正太郎は歯を噛み締めた。
「これも斬裂屋の悪行なら……放っておけねえ。」
夜の闇の中、虫の音だけが涼やかに騒いでいる。
「おい新米の、そう熱くなるな。斬裂屋はそう簡単には捕まらねぇよ。」
少し遅れ、足を踏み入れた仙蔵が、遺体に近付いて低く呟いた。
「それにしても……こいつもか。どうにも仏は善人とは呼べねえ奴ばっかりだな。」
——所変わって天領水守宿の一角。高嶋屋の屋敷。
ごろつきが剣士を出迎えている。
「へえ、あんたが湧水の旦那が言ってた用心棒か。」
網代笠に渋柿色の野袴の剣士が、その門を叩いた。




