一幕
蝉の声に混じり、とん、とん、と包丁がまな板を叩く音が、そこかしこから響いている。煮込んだ味噌の香りが風に乗り、照り付ける陽の光に活力を与える。
寝屋で眠る男を、少女が足蹴にして起こす。
「おっさん、そろそろ起きろよ。ほら、げーんのじょーお!」
「……何だ、まつりか。」
「なんだじゃないんだよ、銀兄が表仕事で出てるから手が回らないってのに。」
ゆっくりと目を擦りながら、玄之丞はのそのそと起き上がる。昨晩のままの着物をまつりが剥ぎ取るように奪う。
「ほらよこして、うーわ血生臭っ!いつもそのまま寝るなって言ってるだろ!」
玄之丞を右へ左へとどかしながら少女は手際良く寝間を掃除していく。
「……。」
玄之丞は煙管に火を入れるが、まつりに奪われてしまう。
「朝も食べずに煙草!煙で腹満たせるなら昼も抜くよ!米炊いて!」
「……はいはい。」
食事を終え、一服。
玄之丞が煙をぼんやり眺めていると、梅屋の暖簾をくぐって女が入ってきた。
「ここで話を聞いてくれるって……ひええ。」
銀にも、白にも映る髪。鷹の眼のように鋭い眼光。袖や襟から覗く傷だらけの体。……血の気配。
女は思わず後ずさりし、体勢を崩す。
「おっと。」
女を支えてくれたのは、短い髪を揺らし、男子のような装いにさらしを巻いた——角の生えた少女だった。
「はい、ようこそ梅屋へ。どんなお悩みですか?」
まつりは女にお茶を運びながら言葉を促す。
「はい、祖母が可愛がっている子猫が帰ってこなくて……。」
玄之丞は外を眺めながら煙管をふかす。
「……まつり。」
玄之丞が腰を上げようとするとまつりはそれを制した。
「猫が怖がるからおっさんは留守番ね。」
夕刻——茜色の空を眺めながら、玄之丞は一人、寝転がって煙管を吹かす。心地よい風が、吐いた煙を遠くへ運んでいく。
軽く上体を起こし、傍らの瓢箪を掴むとおもむろに口元へ運ぶ。ごくり、と小気味よい音を立て、袖で口元を拭う。そしてまた寝転ぶ。
ふと、鼻先を掠める夕餉の香り。
——じゃあ、行ってくるけど。今日は銀兄も遅いから宜しくね——
「⋯⋯あ。」
小さく眉を潜めると、玄之丞はゆっくりと立ち上がり、台所へ。米を適当に掴んで羽釜へ移し、少し止まる。思い出したかのように薪を竈に放り込み、また止まる。……瓢箪まで戻り、口に運び、寝転がる。すると、梅屋の暖簾をくぐり、気の弱そうな男が入ってきた。
玄之丞は立ち上がり、ゆっくりと振り返ると、じっと男を見つめる。
「⋯⋯何の用だ?」
「ふんふんふーん。」
鼻歌交じりにまつりが歩いていると、怯えた男が悲鳴を上げながら走り去って行った。
梅屋の暖簾を潜ると、玄之丞が瓢箪片手にため息をついていた。
まつりはその顔を覗き込む。
「さっきのはお客さん?」
玄之丞は振り向かない。
まつりが周囲を見渡すと、昼に出した湯飲みはそのまま、酒は転がり、薪は飛び出し、米が散らばっている。
まつりは少し沈黙した後、その不貞腐れたような顔を掴み、自分の眼と合わさせる。
「……玄之丞さん?」
黄昏を背に、岡っ引きが遺体を改めていた。
「また斬裂屋ですか、畜生。何人も殺めやがって。」
正太郎は歯噛みした。しかし、仙蔵は眉を潜める。
「どうも、違うみてえだ。」
「何がですか。」
仙蔵は遺体の頭があった根本を指差す。
「見ろや新米。首の骨の継ぎ目を"通して"やがる。斬裂屋の太刀筋とは、ちっと違えな。」
仙蔵は煙管をふかし、続ける。
「隣町から流れて来た、例の奴かもな。——首落としの椿。」
正太郎は悔しげに地面を殴りつけた。
しかし仙蔵にはもう一つ不可解な事があった。
(わざわざこんな風に……頚椎の隙間、縫って切らなきゃならん理由は、なんだ……?)




