序章
湿った草木と風の匂い。虫の音が耳に届く暇もなく、二つの影が夜の静寂を蹴立てていった。
息荒く長屋へ駆け込むと、斃れた男が一人。
先に駆け込んだ岡っ引きは、まだあどけなさの残る顔をしていた。
少し遅れて初老の岡っ引きが入ってくる。
「仙蔵さんこっちです。」
「見ろ正太郎、この太刀筋。それに……この仏さん抜刀してやがる。」
仙蔵は煙管に火を入れた。
促されるまま正太郎は遺体に近付く。
「畜生め、また斬裂屋の仕業か!」
「丸腰は斬らねぇってのは流儀かね……何にせよ。」
正太郎は立ち込める煙を手で払いながら、遺体の身元を改める。
「こんな事が熊の旦那に知れたら大目玉だな……。」
遠くで犬が鳴いた。その声を呑み込むように、夜の静寂が戻っていった。
襖で仕切られた座敷で、商人二人が酒を飲み交わす。
「いやはや流石の腕前で。」
小柄な方は手を揉み体を前に乗り出す。大柄な方は顎をさすりながら悠々と酒を口に運ぶ。
「ふん、あれしきの金で身を滅ぼすとは、口の割に大した男では無かったな。」
「左様で。緒方殿に良き土産話が出来ましたな。……あれなら、暫くは……。」
大柄な男は懐から包みを取り出し、そっと膳に乗せる。男が手を叩くと従者が部屋に入り、包みを小柄な男の膳に運ぶ。
「はい、確かに。ところで——」
小柄な男が包みに手を伸ばした、その時だった。
襖が乱暴に開いた。
「何者だお前は!出あえ、出会え!」
月明かりに照らされ、銀とも白とも言えぬ髪を束ね、抜刀した男が幽鬼の如く立っていた。
男は口を開く。
「……抜け。」




