第四章 七幕
轟く雷鳴に眼を広げ、須王は城下へ向け走り出す。
定道は眉一つ動かさず、ゆっくり、ゆっくりと腰から下だけを動かし歩を進める。
具足の男達は空を見上げ、傘の用意を急ぐ。
姫は天守閣から手を合わせ、注視する。
門の陰から覗く城代の頬を汗が伝う。
門を守る兵は喉を鳴らす。
定道の後ろに従う具足の男達が刀床を運んでいる。
雲が陽を遮ると、二刀の太刀からぼんやりと、何かが立ち込めていた。
水守宿の個室料亭。
そのある一室に、岡っ引きと同心が並ぶ。
「あ、親分こっちです。」
岡っ引きが仙蔵を招き入れる。
同心は振り向き、小さく会釈する。
仙蔵は深々と頭を下げる。
「遥々すまない、感謝する。」
仙蔵は穏やかな笑顔を向け、小さく会釈する。
そして室内を見渡す。
焼け焦げた室内。
転がる膳と酒器、打根、三味線。
斃れる灰色の野羽織が二人。
刀傷の無い死体へ近づき、膝を付く。
体と床に挟まれた文を手に取る。
「廊下に転がってる灰色も暁でしたな。」
仙蔵は同心に振り返り、口を開いた。
同心は頷く。
仙蔵は顎に手を当てる。
「さすがにこんなヤマは初めてお目にかかりやす。」
同心はため息をつく。
「左様か……。」
ふと、同心は仙蔵に眼を向ける。
「どうなされた?」
仙蔵は注意深く周囲を見渡している。
遅れて現れた正太郎は同心へ眼を向け、びくりと礼をする。
そして仙蔵へ煙管を手渡す。
仙蔵は煙と共に呟いた。
「いえね。ちいと、じゃあどこだ……って思いやして。」
仙蔵は手に取った乙号封鎖区の文を開き、眺める。
高瀬、緒方邸宅。
書斎。
その机の前で、熊五郎は凍り付く。
異国の言葉で書かれた紙の束。
陰陽の呪符。
そして、徐に置かれた硝子の容器。
張られた液体。
浮かぶのは……緋色の瞳の……眼球。
「……道雪。」
熊五郎の肩がわなわなと震える。
小人支配達は背筋を凍らせてその背中を見詰めていた。
椿は膝を付いて眼を見開く。
渋柿色の袴がところどころ焦げている。
「すまぬ、また助けられた……。」
どうにか振り絞っての一言。
脇差を拾い上げる玄之丞の右半身もまた、焦げ付いていた。
椿は眺める。
先程まで自分達が居た筈の、"場所"。
そこに居た筈の、"町民"。
その周辺に在った筈の、"家屋"。
歪な円のように、抉れた区画に胡坐をかき、"それ"は居た。
否。
浮いて居た。
白の法衣を崩して纏うその姿は、禍々しくも神々しく。
絡まり結わえ髪から覗く瞳の中に佇む金色の輝きは、見る者に畏怖と尊さを与える。
その手が握らずも位置を保持する錫杖には鈴が飾られ、自身の首からも鈴が垂れている。
そしてうっすらと浮かべられた笑み。
その口元が、静かに動く。
「何奴かと思えば。未だ生の執着に塗れておったか。」
大小を構え、玄之丞は眼を細める。
椿はその目線を追う。
円の向かい側、抉れた大地の少し奥で、気絶した朝霧が、宙に浮いている。
椿は眼を擦る。
そして、再び眼を向ける。
その脇を、銀白髪の後ろ姿が駆けていく。
「え、ちょ。」
椿も柄に手を掛けて後を追う。
金色の瞳が、向かって来る玄之丞をちらりと見る。
「未だ己が分を知らずに挑み来たるか。いと愛き蛆虫なり。」
白法衣は二刀の振り下ろしを錫杖を握らずに受ける。
「興の随まに弄んでやろう。」
その背から姿を現した椿が剥き出しの喉元目掛け一閃。
その刃を指でつまむ。
玄之丞は打刀を滑らせ下から斬り上げる。
白法衣は錫杖から手を離すと、その手を薙ぐ。
ぞくり、と椿は咄嗟に刀を離して後ろへ飛ぶ。
光の筋が立ち上り、椿の居た地面は抉れ、玄之丞が後ろに吹き飛ぶ。
「いつまでそこに潜むつもりぞ。御前に罷り出よ。退屈を紛らわす玩具としてやろう。」
椿は眼を細める。
玄之丞が二刀を振りかぶり、跳ぶ。
白法衣の上から、夥しい量の打根が降ってきた。
白法衣はつまんでいた刀を放り、錫杖を頭上に翳す。
降り注ぐ打根を錫杖で薙ぎ、そのまま玄之丞の二刀をはじき返す。
椿は背を低く走り、刀を握るとそのまま一閃。
白法衣の錫杖がその太刀筋を阻む。
椿は姿勢を整え、白法衣の背後に眼を向ける。
「あやつは何者だ、玄之丞。」
そこには手を袖にしまいゆらりと立つ、白羽織の男が立っていた。
「何者でもあらへん……。」
氷のような冷たい眼。
「黄泉国への……水先案内人や。」
榊万来は悪戯に口角を上げた。




