第二章 三幕
——境内。
玄之丞は月を眺め、瓢箪を口に運ぶ。
すると、向かいから杖を付いた老人がよろよろと歩いてくる。
老人は危なげな足取りで、黒柿色の煙管を片手にゆっくりと、玄之丞の前を通り過ぎる——。
玄之丞は小さく、目を細める。
不意に老人が煙管を落としかけた。
「ああ、危ない危ない……。」
玄之丞の目線は老人の足元だった。
「ほっほ、危ない、危ない……。」
老人は笑顔でゆっくりと、遠ざかっていく。
「斬裂屋さん、夕餉の準備が整いました。さあこちらへ。」
振り返ると、姫が立っていた。
「……。」
玄之丞は再び老人の背に目線を向ける。
「ああ、芝っつあんですね。あの方は昔からこの城に尽くしてくださって。」
ぱん、と手を叩き続ける。
「亡き父上からの信頼も厚く、特別な煙管を贈る程でした。」
姫は顔を上げ、瞳を閉じる。
「私もまるで祖父の様にお世話になりました。」
玄之丞は静かに目を閉じ、瓢箪を口に運んだ。
——山賊の根城。
「おお、よくぞ来てくれた、歓迎するぜ……え?」
頭領が機嫌よく出迎えると、そこに現れたのは、橙で背に暁の紋が刺繍された、薄灰色で統一された野羽織の集団。
彼らを従え先頭に立つ、白羽織に金刺繍の男。
その氷のような冷たい眼に、頭領は思わず息を飲み込んだ。
「……まじかよ。」
「……とんでもねえ大物が来やがった。」
思い思いに耳打ちをし合う賊徒に眼もくれず、白羽織に金刺繍の男——榊万来は頭領の前に進み出る。
その口元には、冷たい笑みが張り付いている。
「伝右衛門にはワシから"よろしく"言うといたる……。後ろめたいこと、あるやんな?」
「……!」
頭領は言葉に詰まる。
榊の眼が鋭く見下ろす。
「てめえ、黙って聞いてりゃいい気になりやが……。」
耐え切れず、背後に居た部下が柄に手を掛ける。
榊は顔も向けず、胸の前で掌を握る。
背後でどう、と倒れる音がした。
頭領の背筋が凍る。
「まあええ。お目当てのものが隠し事っちゅう話なら……。」
頭領の頬を汗が伝う。
榊はその残忍な笑みを深めて頭領へ顔を向ける。
「一緒に仲良く……探しっこしようやんけ。」
——烏鳴、梅屋。
(嘘だろ、おい。何でこんなとこに虎殺しの旦那がいるんだよ……。)
仙蔵と正太郎が、ぶるぶると震えながら、物陰から見ている。
角の生えた子供の前で屈む、大柄な役人。
「でっけー……。」
まつりは見上げながら、ぽかんと口を開いていた。
「……坊や、ここに斬裂屋はいるかな?」
まつりはむっとした顔を見せる。
「すまない、お嬢ちゃん。」
役人は言い直した。
「おっさんなら今、留守ですけど。多分、あなたたちの依頼は受けないですよ?」
「そうか……。」
役人は顎に手を当て、少し考えると、口元を緩めた。
「では、さようならお嬢ちゃん……。」
役人はゆっくりと懐に手を入れた——。
——城の裏手。
玄之丞は、質素だがよく手入れされた板塔婆を見詰めていた。
心地よい静寂が身体を包む。
玄之丞は静かに目を伏せる。
——そこには、いつもよりずっと近い……青空——。
そっと胸元の煙管に手を伸ばし掛け、玄之丞は瞳を開く。
木陰からそっと視線を向けていると、ほどなくして平子芝がよろよろと現れた。
墓前に立ち止まり……一人、手を合わせる。
……深い、黙祷。
平子芝は顔を上げると、懐からゆっくりと一つ提の煙草入れを取り出した。
「……殿は頑固な人でしてな……。」
丁寧に煙管筒から抜き取り、赤銅の延べ煙管へ葉を詰める。
「……やると言い出したら……いくら止めても聞かなんだ……。」
静かに、火縄に息を吹きかけ、煙管の雁首に近づける。
静寂の中、きめ細やかで白い煙を燻らせると、芳醇で甘みのある香りが周囲を包む。
「でも、姫様はこの香りが大好きでしてな……。」
平子芝は腰から小さな竹筒を取り出す。とんとん、と指の背で羅宇を叩き、静寂を破らぬように灰を落とした。
「殿からこれを賜った時、幼い姫様は良くもわからず……自分によこせ、と怒っておりましたわい。」
そしてゆっくりと、煙管を包んでいく。
「ほっほ、年を取ると……独り言が増えていけませんな。」
少しだけ、平子芝は視線を上げると、よろよろと歩き始めた。
「……。」
玄之丞は目を閉じ、老家臣へは顔を向けずに、静かに見送った。




