7 地域安全課の榊原清隆さん
ベッドの中で、僕は悶々としている。
雨月に教えてもらった話だと、統神の能力というか付喪神使いの能力を受け継いだ者は、付喪神を僕にすることで能力が成長するらしい。今までは離れていたけど、同居するようになって僕の成長が始まったと。
今は血の契りを交わした雨月とだけ会話ができるけれど、いずれは血の契りを交わしていない付喪神とも話ができるようになるし、妖も見えるようになるという。
それ、事前に説明するべきでは? こんな重大情報の後出しはどうなの?
とは言っても僕は雨月を気に入っているし、彼はもう僕の家族みたいなものだ。話が違うと言って彼を追い出すことも破壊することもできない。
そんな僕だもの、斧の付喪神を僕にしたら、僕はその斧も雨月のように手放せなくなるだろう。斧の付喪神を、僕はどうしたらいいものか。
「そんなに考え込むな。お前に教えたのは時期尚早だったな。悪かった」
「僕が教えろって命令したんだから謝らないで。今のうちに教えてもらってよかったよ。いずれ妖や他の付喪神を見たり聞いたりすることになるんなら、覚悟しておきたい」
「ほう。意外に肝が座っているんだな。そんなところは幸之助に似ている。人は肉体が消えても、何かしら子孫に受け継がれていくものだな」
わ。雨月が情緒漂うことを語っている。日本刀なのに。
「いいから寝ろ」
「ふふっ。今度、雨月が見てきた昔のことを聞かせてよ」
「あまりにたくさんの思い出がある。だから気が向いたらな。おやすみ、春人」
「おやすみ、雨月」
◇
雨月と出勤するようになってわかったことがある。
飛びぬけて美しい外見の人は、暴力的なまでに人の視線を引き寄せるってことだ。
今朝は女子高生三人組の視線を引き寄せていて、会話から察するに彼女たちは雨月を見るためにこの車両を選んで乗ったらしい。彼女たちは興奮していて若干声が大きい。静かな車内で会話が丸聞こえだ。
「すっごく美しい! 俳優かな? モデルかな?」
「わかんない。あの人が乗るようになったの、最近なんだよね」
「画像検索してみる?」
「制服着てるときに盗撮はまずいって」
その会話を聞いた周囲の人も、つられて雨月を見る。美形には美形の気苦労があるんだな。
そう思ったら雨月が僕の耳元で「黙らせるか?」と囁いた。どうやって黙らせる気だ? 車内で騒ぎは起こさないでほしい。これ以上誰の興味も引かないでくれよ。この時間の地下鉄に乗りづらくなったら、僕が困る。
「絶対にやめて」
「ふん。ではやめておく」
僕らの会話が聞こえたのかどうか、前の席に座っている六十歳くらいの女性が顔を上げた。女性は雨月の顔を見ると、薄く口を開けてぽかんとした。
雨月がその女性を無表情に見返すと、彼女は赤くなって下を向いた。すごいね。この年代も瞬殺するのか。
僕が呆れるのと同時に、雨月が下を向いて、「くっくっく」と笑う。雨月が苦笑まじりに笑うと、男の僕でもくらっとするような色気があふれ出る。
なにこの付喪神。もはや妖怪だわ。妖怪おなご誑かし。雨月は「くだらん」とだけ言って目を閉じた。
そういえば今朝、雨月が「ダメだ」と言った場所を通ったら、雨月は少しだけ眉間にシワを寄せたものの、何も言わずにさっさと通り過ぎた。
「斧に何か言われた?」
「泣き言を言っていたな」
「どんな泣き言?」
「気にするなと言っているだろうが。あいつを僕にするかどうかは、三十年ぐらい考えておけ」
数が増えている。そう言われても気になるでしょうよ。だけど雨月に説明する気はなさそうだ。
庁舎の前で雨月と分かれた。ロッカールームで上着を脱ぎ、ネームプレートを首から下げた。さあ、公僕としてしっかり働かなくては。雨月に美味しいものを食べさせるために、今日も頑張ろう。
お昼までしっかり働き、念のためマンダリンカフェを見た。カフェの前には今日も行列ができていて、並んでいるのはほぼ女性だ。
カフェのオーナーは雨月に妙な夢を見させられて気味の悪い思いをしただろうけど、雨月は間違いなく店を繁盛させているから許してほしい。僕は今日も職員食堂で食べよう。
黙々と天ぷら定食を食べていたら、僕の前の席に人が座った。
他にも席は空いているのにと思いつつ顔を上げたら、顔は知っているけど接点のない先輩職員だった。たしか二年先輩だったような。
ネームプレートには『地域安全課 榊原清隆』とある。
榊原さんは、市の男性職員のなかでは珍しく明るい茶髪だ。眉毛も同じ明るい茶色。
地域安全課なら区民の前に出ることもあるだろうに、上から注意されないのかな。区役所に明確な髪色の指定はないけど、公務員として節度ある身だしなみが求められる。彼の髪色はギリアウトなのでは? と思っていたら先手を打たれた。
「こんにちは、統神君。地域安全課の榊原です。私は祖父がベルギー人で、この髪は地の色です。地毛の証拠にまつ毛も茶色です」
「失礼しました。統神春人です。国民年金課です」
「知っています」
そう言って榊原さんはきつねうどんを食べ始めた。僕も海老天を天つゆにたっぷりつけて食べた。美味しい。僕は海老天が大好きだ。
「この前、包丁を持った男を制圧したのは、統神君の親戚だそうですね」
「……ええ、まあ」
「あの人はどういう人なんですか?」
「どうと言われましても。彼は遠い親戚で、僕も話をするようになったのは最近なんです。だから彼のことはあまり知りません」
この人、なんで雨月に興味をもっているんだろう。雨月が活躍したから、だよね?
「そんなに警戒しないでください。防犯カメラの記録を見せてもらったら、君の親戚が鮮やかにあの男を制圧していたので、ちょっと興味を持ちましてね」
「そうですか」
「庁舎の出入り口にも防犯カメラがあるでしょう? あれにマンデリンカフェから走ってくる君の親戚が映っていました。それを見て驚きましたよ」
榊原さんは何を言いたいんだろう。僕は訝しみ、無言で先を促した。
すると榊原さんは何かのスイッチが入ったみたいに、急に早口になった。
「庁舎前の道路は片側二車線で、四車線分の幅が二十八メートル。中央分離帯の幅は二メートル。向こう側とこっち側の歩道の幅は合計七メートル。全部を足すと三十七メートルあるんです。君の親戚はその距離を三秒三三で走り抜けている。それは何度も録画を再生して確認したから間違いありません。それって、二千十二年のロンドンオリンピックで金メダリストになった、ウサイン・ボルトより速いんですよ」
このしゃべり方、既視感ある。できる限り正確に情報を伝えようとして数字を羅列し、早口で畳みかけ、息継ぎが少ない。大学時代の友人で鉄道マニアの早瀬君が、鉄道に関してだけはこういうしゃべり方だった。さてはこの人、何かのオタクか?
「はぁ、そうですか」
「あれ? 驚かないのですか?」
「百メートル走って、加速部分と減速部分がありますよね? トップスピードの部分だけを見れば僕の親戚より金メダリストのほうが速いと思いますよ」
完璧な屁理屈だが、身を乗り出してしゃべっていた榊原さんが口を閉じて考えている。
早口のオタクしゃべりに延々と付き合うのがしんどかったら、理屈で対抗するといい。たとえその理屈に正確さが欠けていても、相手が考え込む時間を作れば猛烈な早口を止められる。
案の定、榊原さんは考え込んで早口が止まった。この隙にさっさとこの場から立ち去ろう。
僕は天ぷら定食を大急ぎで食べ、食べながらも追加で弾を撃っておく。
「火事場の馬鹿力という言葉もありますから。彼は僕を心配して、夢中で突っ走ったんだと思います」
「ふむ。なるほど?」
「では仕事に戻ります。お先に失礼します」
味わうことなく飲み込んだ天ぷら定食がもったいなかった。立ち上がった僕に、榊原さんがこんなことを言う。
「でもね、統神君。彼はカフェから出たときにはもう全力疾走でした。彼はなぜ君を心配して走ってきたんでしょう。包丁を持った男が窓口で騒いでも、カフェの店内にいた彼がこっちの騒ぎに気づくわけがありませんよね?」
うっ。どうしよう。都合のいい言い訳が思いつかない。反論しない僕を、榊原さんが面白そうに見上げている。
「私は常ならざる現象に興味があるんです。統神君の親戚はとても興味深い。今度、彼に会わせてくれませんか。お話を伺いたい。ご検討の程、よろしくお願いします」
区役所職員らしい口調で、榊原さんは頭を下げた。
4月1日(水)




