6 聞いてない
僕が住んでいるマンションは地下鉄の駅から徒歩十数分の場所で、途中に古い住宅街がある。買い物袋を提げて歩いていたら、雨月が足を止めずに「ダメだ」と結構大きな声で言った。
「何がダメなの?」
「お前に言ったのではない。気にするな」
「僕じゃないなら誰に言ったの?」
「いいから行くぞ」
なぜかこのままやり過ごせなかった。どうしても本当のことを聞きたい。
「待って。僕は雨月の主なんでしょう? だったら僕の質問にちゃんと答えてよ。誰に何をダメだと言ったの?」
「はぁ……。尻に殻をくっつけたひよっこ主なのに」
「殻をつけていても主は主だよ」
「お前が聞いても楽しくない話だ」
「それでもいいよ。聞かせて?」
歩きながら雨月の話を聞いた。
僕らが歩いていた古い住宅街のどこかに、伐採斧がしまい込まれているらしい。木を切り倒すための大ぶりな伐採斧はすでに付喪神になっているのだけど、空き家の中で長いこと一人で過ごしているそうだ。昨夜言っていた若い付喪神というのはこれか。
その伐採斧は僕と一緒に歩いている雨月に、『自分もあんたの主に仕えたい』と声をかけてきたという。
「そういうことか。僕はかまわないけど」
「伐採斧も僕にするつもりか? この前教えただろう。付喪神と妖は似たようなものだ。神と名がついていても性格がいいとは限らない。やめておけ」
「その斧は性格が悪いの?」
「声をかけられただけで性格などわかるか。だが伐採斧なら間違いなく大柄で大食いだろう。春人の稼ぎで養えるのか?」
「大柄で大食い……。ちょっと考えるよ」
「二十年くらい考えておけ」
後ろ髪を引かれる思いではあったけど、このままマンションへ帰ることにした。
帰宅して冷静に自分の部屋を眺めた。普通体型の僕と大柄な男二人の三人で暮らすとしたら、確かにこの部屋は狭い。
雨月はウエイターのアルバイトをしているけど、その斧は働いて稼げるのだろうか。働く気になってくれるのか。働く気がなかった場合、僕が大食いの大男を養うのは無理がある。
高校大学の頃なら、捨てられた犬や猫を拾うような気持で斧を僕にしたかもしれない。だけど独り暮らしを何年も経験すると、毎日の食費が馬鹿にならないことは身に染みて知っている。
斧を僕に加えるのは一瞬、食べさせるのは一生だ。長年独りでいる伐採斧には気の毒だけど、今すぐ結論を出すのはやめておこう。
そんなことを考えながら料理した。
今夜のメインは僕の好物のひとつ、カツオのニンニク焼きだ。ニンニクを薄切りにして炒めて香りを出してから、ひと口大に切ったカツオを入れて焼く。僕はカツオに小麦粉をまぶしてしっかりとタレを絡めるのが好きだ。
カツオに八割がた火が通ったら、すき焼きのタレを回し入れて終わり。水にさらしておいた白髪ねぎをたっぷり添えた。
副菜は簡単ポテサラ。ジャガイモをレンジで加熱して皮を剥いて、みじん切りの沢庵と冷凍のグリーンピースとマヨネーズ、フレンチドレッシングを混ぜるだけ。ジャガイモが熱々だから、半解凍のグリーンピースをたっぷり混ぜると食べごろの温度になる。このポテサラには仕上げに粗挽きの黒コショウをかけると味が引き締まる。
もうひとつの副菜は、おろししょうがをのせた絹豆腐。ごはんは炊きたてだ。
松茸風味の粉末のお吸い物に、とろろ昆布と色鮮やかな手毬麩を加えた。
「よし、できた。食べようか」
「今日も旨そうだ」
「ありがとう。雨月がいつも美味しそうに食べてくれるから、作り甲斐があるよ」
食べ始めて、また斧のことを思い返した。
空き家でひとりぼっちの斧は、料理の美味しさを知っているんだろうか。主を持ったことはあるのか、それとも一度もないのか。
斧が僕になりたがっているのを知りつつ知らん顔をするのは、指に棘が刺さったみたいだ。ふとした瞬間に「イタッ」っとなるような。
僕のじいちゃんは独り暮らしをしていて具合が悪くなり、最期は病院で亡くなった。財産を管理してくれた行政書士さんがそう言っていた。土地の権利書と鍵を受け取る時、その人は淡々と説明してくれたけど、僕のことは『祖父が埋葬されるまで知らん顔だった孫』と思ったことだろう。実際そうだし。
「ねえ雨月、僕は父さんから『我が家は統神家から縁を切られた』と聞かされていたんだけど、実際は僕たちの側が縁を切ったんじゃないの?」
「そうだ」
「やっぱり。じいちゃんはどんな生活をしていたの?」
「なぜ聞く」
なぜって。わかっているよ。今さら後悔したってどうにもならない。でも……。
「父さんの言葉を鵜吞みにして、僕はじいちゃんを一人にした。一切連絡を取らなかったことを後悔しているんだ。斧のことで同じ後悔をしたくない」
「斧と朔は全く違う。斧の性格がわからないうちから同情で動くな。それにお前は勘違いしているようだ」
雨月が言う勘違いとはこういうことだ。
僕が斧の付喪神と血の契りを交わして主となってから、「これは僕の手に負えない」となった場合でも、簡単には主従関係を解除できないらしい。解除するには「斧の姿に戻れ」と命じた上で、斧を破壊するそうな。斧なら斧頭を溶かすしかないという。
「お前にその覚悟があるのか? 斧頭を溶かそうとすれば泣き叫ぶだろう。優しいお前が酷く傷つくのは間違いない」
「溶かすのか……」
「そうだ。意識があり、悲鳴を上げる斧を溶かすのだ」
「そんな残酷なことをするくらいなら、今のまま知らん顔をしたほうが親切か……。この件はもっとよく考えるよ」
「それがいい」
そう言って雨月は食器を洗い始めた。僕は一人分の洗濯物を畳む。畳みながら明日雨月が着る服を考えて、斧のことは考えないようにした。
僕が頭の中で選んだ服装の雨月はかっこいい。身長があってスタイルがいいと、何を着ても見栄えがする。
「雨月の身長は何センチだっけ?」
「六尺二寸だ」
「ええと……百八十八センチくらいか。僕は百七十三センチだから十五センチも違うんだね。雨月の隣を歩いていると、自分を小さく感じるよ」
「気にするな。昔の男はお前よりずっと小さかった」
「そうらしいね。日本人の身長が伸びたのは、たんぱく質の摂取量が増えたおかげだろうね」
話の途中で、雨月がベランダ前にすごい速さで移動した。明らかに人間ではないと思い知らされるような、ちょっと不気味な動きだ。
「春人、妖だ。離れていろ」
「え? え?」
妖? ここに? なんで? 雨月の姿が見えない場所は怖いから、玄関ではなくリビングの壁に張り付いた。
雨月は素早くベランダに出ると、パシンと音を立ててサッシを閉めた。右手には抜き身の刀が握られている。雨月が正面を睨んでいるから顔の高さに何かがいるらしいが、僕には何も見えない。
突然、雨月が下から上へと斜めに斬り上げた。動きが速すぎて目が追い付かなかったけど、そういう動きだ。
僕が立ち上がってベランダに向かおうとしたら、雨月は左の手のひらをこちらへ向けた。来るなということらしい。僕はまた部屋の隅に戻る。雨月はしばらく周囲を見回してから、静かに部屋へ戻ってきた。
「何かを斬ったよね。妖?」
「小者の妖だ。お前に引き寄せられたのだろう」
「僕? じゃあ、僕が気づかなかっただけで、今までもこの部屋に妖が来ていたってこと?」
「いや。朔の家で再会した時、お前に憑りついている妖はいなかった。お前はそこそこ能力が高いのに、珍しいことだ。だが今は俺と暮らすことによって、付喪神使いの能力が成長しているからな。それは妖を引き寄せる魅力が増している、ということでもある。妖と付喪神は紙一重だから仕方ない」
はい? 妖を引き寄せる魅力の話なんて、聞いてないよ。
「言っていないからな。ま、そういうことだ」
「雨月!」
「大声を出すな。近所迷惑だ」
そう言って、雨月は洗った食器を拭いている。
(3月31日)火曜日のできごと




