53 すごいヤツ
昇降口で待ち合わせて学校を出てから、加藤がひと言もしゃべらない。翔に視線も向けない。
もともと翔は人付き合いが得意ではなくて、本があればそれでいいタイプだ。兄の清隆のようなマイペースさはなく、「相手に合わせなくては」と思って緊張してしまう傾向がある。
そんな翔が焦っている。加藤の体には、新しく張りついた妖も含めてまだ三匹が残っているのだ。
「加藤君、僕の家に来て。残っている悪いものを全部剥がしたいんだ」
「俺、すげえ恐いよ。さっきの女の人、何なんだよ。親戚のお姉さんってのは嘘だろ? あの人、妖怪? お化け? お前、お化けを操ってんの?」
「付喪神だよ。簪の付喪神。怖くないよ。強くて優しい僕なんだ。でも、そんなこと言われても、信じられないよね」
「信じられないけど信じるしかないだろ。見ちゃったんだから」
「それはそうか。いろいろごめん」
加藤がすっかり怯えている。本当はもっとスマートに妖を剥がす予定だった。小鈴を見せるつもりもなかった。いきなりあんなことになって申し訳ないと思っているし、加藤はさぞかし驚いただろうと同情もしている。
それでも加藤はついてきた。翔を突き飛ばして怪我をさせたことをサッカーチームの監督に知られるのは、どうしても避けたいのだろう。加藤のサッカーへの思いを利用して申し訳ないと思うが、この方法しか思いつかなかった。
歩きながらチラリと、加藤が怯えを含んだ表情で翔を見た。その顔を見て、翔は(正しく説明しなきゃな)と覚悟を決めた。
帰宅すると母が加藤を大歓迎してくれた。翔が友人を連れ帰ることなんてめったにないからだ。ひとしきりジュースだお菓子だと母が翔の部屋に出入りして、やっと静かになったところで翔は部屋の鍵をかけた。
「じゃあ、今から妖を剥がす。いいよね?」
「いいけどさ。その妖ってどんなものなんだよ」
「ああ、そうか。絵に描いていい?」
加藤がうなずき、翔はノートに妖の絵を描いた。頭が三角でエイみたいなコウモリみたいなもの。
「嘘だろ。こんなものが俺にくっついてるのかよ」
「うん。そして加藤君の体から精気を吸い取ってる。吸っている時はこう、妖の体が波打っていて……」
加藤が両手で顔を覆った。
「大丈夫?」
「だいじょばねえよ! それ、お前が剥がしてくれたらもう終わりなんだよな?」
「ううん。たぶんこれからも加藤君に妖が貼りつくと思う」
「なんでだよ! なんで俺なんだよ!」
「その話は妖を剥がしてからでもいい?」
「うん……」
また失敗した場合に備えて、翔は簪をポケットから取り出した。
「小鈴、お願い」
「はい、翔様」
一瞬で小鈴が現れ、加藤はザザザッと音を立てそうな勢いで部屋の隅に逃げた。
「加藤君、そこじゃ剥がしにくい。こっちに来て」
項垂れたまま、足を引きずるようにして加藤が翔の前に来た。小鈴は手に簪を持って翔の隣で構えている。
翔は右肩の妖を剥がし、つかんだまま小鈴に手を差し出した。小鈴が素早く簪で突き刺す。妖は「キッ」と声を上げて消えた。
「ううう。声を出すのが気持ち悪い」
「頑張ってください、翔様」
「なんて? 妖はなんて言ってるんだよ……」
「消えるときにキッって鳴いている」
「うっわあ」
妖が見えないままだが加藤はもう信じるしかなく、妖が鳴き声を出すと聞いて涙目だ。翔が全ての妖を剥がして「終わったよ」と声をかけると、加藤はその場でへなへなと座り込んだ。
翔は加藤に丁寧に説明した。付喪神のこと、付喪神使いのこと、妖のこと、妖が人を選んで貼りつくこと。
「今日、加藤君が仲間に怒鳴っているとき、何匹も妖が加藤君の周りを飛んでいた」
「マジかよ。怒ることなんて誰だってあるのに、なんで俺なんだよ」
「小鈴、なんでなの?」
「途切れない強い怒り、妬み、恨み。そんな感情を抱え続けていると妖を呼び寄せるのです。この子の性根が曲がっているからですよ」
「小鈴、言葉がきついよ」
小鈴にそう言われて加藤は黙り込んだ。思い当たることはたくさんある。加藤が急にクシャッと顔を歪めた。
「じゃあさあ、なんにも俺の思い通りにならないのに、腹も立てるなって言うのかよ。俺はどうすればいいんだよ。も、もうやだ。早く大人になって、じ、自由になりたい」
加藤は泣き出した。右腕を目に当てて、涙を翔たちから見られないようにしているけれど、体が震えている。
「僕でよかったら話を聞くよ。僕も子供だから加藤君を助けてあげられないけど、これがつらいんだって僕に吐き出してよ。少しは楽になると思う」
「お前に意地悪してたのに、なんで?」
「僕と同じくらいの歳の子がさ、世話役の大人が妖だらけになっているのを見て、その人を助けるためなら自分が斬られて消えてもいいって言ったんだ」
「斬られて? 消える?」
「うん、その子はもうずっと昔に死んでいて、魂だけが残ってたの」
加藤の目に賞賛のような憧れのようなものが浮かんだ。
「榊原はすごいヤツだったんだな」
「すごくはないよ。努力して付喪神使いになったわけじゃないもん。加藤君のほうがよっぽどすごいよ。努力してセレクションチームに入ったんでしょ?」
加藤が突然、マドレーヌを口に入れ、冷たい麦茶をごくごくと飲んだ。
「なんでお前に妖が寄ってこなくて俺に寄ってくるのかわかった。お前はいいヤツだからだな」
「僕にも妖は寄ってくるよ。付喪神使いは妖のご馳走みたいなものだからね」
「はあ? おっかなくないのかよ。妖のご馳走だなんて、俺だったら恐ろしくて眠れねえよ」
「怖いよ。でも小鈴がいる。小鈴のおかげで僕は今、毎日が楽しいんだ」
そう言って翔がマドレーヌと麦茶に手を伸ばした。加藤はしばらく逡巡してから口を開いた。
「なあ、榊原が学校に来なかったのは、俺のせいなの?」
「加藤君だけじゃなくて、何人かが……」
「でも俺が先頭切って意地悪したよな」
翔は答えない。もう翔の中では終わった話だ。
「ごめん。母さんがいつも榊原を褒めて俺を貶すから、むかむかしてたんだ」
「僕はもう気にしていないよ。聞こえないものを聞こえるって言ってしまった僕が失敗したんだ」
加藤が感心した。
「お前って、すげえな。勉強もできるし妖も剥がせるし」
「そう言ってくれて、ありがとう」
「あのさ、ずうずうしいことを言っていいか?」
「どうぞ」
「つらいことがあったら、お前に聞いてもらってもいいか?」
「いいよ」
加藤が立ち上がった。首や腕をぐるぐる回している。
「ずっと疲れていたんだけどさ、疲れてるなんて言ったら母さんにサッカーをやめろって言われそうで言えなかったんだ。今、すっげえ体が軽い。お前のおかげだな。ありがとう」
「そう。頑張ってよかった。妖をつかむのは気持ち悪かったけど、勇気を出した甲斐があるよ」
「俺、サッカーに行くよ。もうそろそろ出なきゃ。榊原、ありがとうな」
小鈴にも頭を下げた加藤を玄関まで見送り、部屋に戻るなり翔がベッドに倒れ込んだ。
「緊張したぁ」
「翔様、素晴らしかったです。十歳とは思えない立派な対応でした」
「ありがとう。小鈴がいてくれたからだよ。小鈴がいなかったら頑張れなかった。絶対に信用できる人がそばにいてくれると、勇気が湧いてくるね」
「翔様……」
小鈴が幸せそうに微笑んだ。
翌日から加藤は翔に話しかけてくるようになった。仲間が怪訝そうな顔をしていると、「榊原ってすごいヤツだってわかった。俺は尊敬している」と言うようになった。加藤がそう言う以上、彼の取り巻きは翔をからかうことはできず、翔は穏やかな小学校生活を過ごせるようになった。
翔から報告を聞いた兄の清隆は大喜びしたし、春人も「頑張ったね」と褒めてくれた。
春人は『雨月も褒めているよ』とメッセージをくれた。あの美しく凛々しい付喪神が褒めてくれたのかと思うと、翔は顔が緩んでしまう。
6月12日(金)のできごと。




