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付喪神のいる食卓 ~気弱な僕が"真の主"になるまでの物語~  作者: 守雨
<6> 見えてくるもうひとつの世界

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49/62

49 夏風邪

 せっかくの週末なのに、夏風邪を引いた。朝ご飯の味がしないなあと思って体温計を使ったら、熱が三十八度ある。病院に行かずに寝て治そうとしたんだけど、雨月が「病院に行け。検査をしてもらえ。薬を貰ってこい」と繰り返し言う。


「僕はいつも寝て治してるんだけどなあ。明日まで様子を見るよ。熱だけだから大丈夫だよ。風邪に効く薬はないんだよ」

「万が一風邪ではなかったら困る。病院へ行こう。タクシーを呼ぶぞ」

「大げさだよ」

「大げさでもいい。病院へ行こう」


 雨月の勢いに僕が根負けした。熱のせいで重く感じる体で雨月と病院へ行き、「風邪ですね。インフルエンザではありません」と言われた。解熱剤を貰って部屋へ帰った。千歳は連れて行かなかった。大人の僕が二人も引き連れて受診するのは、いくらなんでも大げさだからさ。


 家へ着いてから悪寒と頭痛が始まった。毛布と布団にくるまって、ハアハアと熱い息を吐く。吐く息で熱を放出できたらいいのに。

 朧(おぼろ)が僕のベッドに乗ってきて、パクリと僕の気持ちを食べた。朧(おぼろ)を撫でた。ペットがいるのはいいね。気が紛れる。


 一時間ぐらいたって寒気がおさまったと思ったら、熱が三十九度二分まで上がってしまった。ここまでの高熱は幼稚園でおたふく風邪をひいたとき以来だ。

 小さな音を聞いても頭のなかでグワングワン響く。トイレに行こうとしたら足元がおぼつかない。とにかく全身がだるい。そんな僕に雨月がずっと付き添っている。起き上がろうとしたら止められた。


「何がしたいんだ」

「解熱剤を飲む」


 自分の声とは思えないようなかすれた声だった。雨月が「俺が用意するから春人はじっとしていろ」と言って、解熱剤と水を運んでくれた。薬を飲もうとしたら、喉が焼けるように痛い。上手に飲めず、むせて咳き込んだ。なんだこれ。喉に炎症が起きているのか?


「水が沁みるのか。つらくても我慢して薬を飲め」

「うん」

 

 やっと錠剤を呑み込んだが、喉の痛さに顔が歪んでしまう。そんな僕を雨月はずっと見詰めている。まるで目を離したら僕が死ぬとでも思っているみたいだ。


「僕は大丈夫だから、雨月も休んでよ」

「俺は休まずとも問題ない。俺のことはいいから目を閉じていろ。しゃべらなくていい」


 千歳が氷水で濡らしたタオルを額にのせて、頻繁に交換してくれる。いつも陽気な千歳が泣きそうな顔をしているけど、二人とも心配のしすぎだよ。夏風邪ごときで僕がどうにかなることはないって。明日には治っているから心配しないでよ。


「病に関しては、心配のし過ぎくらいでちょうどいい」

「そうですよ、春人さん。とにかく眠ってください。たいていの病気は寝たら治るって、よく四代目が言っていました」

「そうだね。少し眠るよ」


 少しうとうとしたら目が覚めた。雨月と千歳が会話している声が聞こえる。普通に声を出してしゃべっているのは、寝込んでいる僕の頭の中に声を響かせないためだろう。


「兄貴、春人さんの熱は、ゆんべ妖(あやかし)に精気を吸われたからじゃないでしょうか」

「いや、違うな。春人はあの程度を吸われたくらいじゃビクともしないはずだ」

「それならよかったです。こんなに医学が発達しても、人間は風邪をひくんですね」

「そうだな。春人はまだ若いから大丈夫とは思うが……」


 雨月の声が、いつになく暗い。

 

「春人さんと兄貴が病院へ行っている間、オラ、斧に戻ったんです。空き家にいた頃を思い出しました」

「病院が遠かったからな。すまなかった」

「いえ、不満じゃねえです。春人さんが心配で……。つい悪いことばかり考えてしまいました」

「春人なら大丈夫だ。ただ、あれほどの熱を出すのは子供の頃以来だと言っていたな」


 そう言って雨月がため息をついた。

 僕の枕元に置いてあったスマホが振動した。榊原(さかきばら)さんからだ。通話ボタンを押して「はい」と言った僕の声は、ずいぶんしゃがれていた。


『榊原です。その声は風邪ですか?』

「はい。熱が高くて……」

『そうでしたか。翔が朧(おぼろ)に会いたいと言うんですが、では今日は遠慮します。お大事に』

「すみません。治ったら連絡します」

『翔が透子さんのお宅にお邪魔して、水無月という和菓子を頂いたんです。統神さんの分をうちで預かっているのでお届けしますね』

「風邪がうつるから、職場で頂きます」

『日持ちしなさそうなお菓子なんです。玄関で失礼しますから』


 水無月ってどんな和菓子なのか知らない。今はだるくて調べる気になれない。

 やがてチャイムが鳴って、雨月が対応に出てくれた。平たい箱を手に、雨月が戻ってきた。


「食べるか?」

「ううん。今は無理。先に食べて」

「いや、お前が食べるときに一緒に食べよう。冷凍しておく」


 台所へ行った雨月が何か料理している。柔らかい匂いがしてきたなと思うけど、その匂いを嗅ぐことさえ今はしんどい。うとうとしていたら、「春人」と呼びかけられて目を開けた。


「なに?」

「粥(かゆ)を炊いた。少しだけでも食べてくれるか」

「ごめん、気持ちが悪くて今は何も食べられない。スポーツドリンクある?」

「あるぞ」


 差し出されたグラスにストローが挿してある。雨月が背中に手を当てて僕を起こしてくれた。唇がひび割れていたらしく、ストローを咥えたら唇がチリッと痛む。冷たいスポーツドリンクが食道から胃へと流れ落ちていくのを感じる。体が渇いているなあ、いくらでも飲めるなあと思っていたら、雨月の後ろで千歳が半泣きだ。


「大丈夫だよ千歳。明日には元気になるし、月曜には仕事にも行けるから」

「春人さん、今はもう日曜の夜です」

「えっ?」


 時計を見たら七時。窓の外は暗い。


「日曜の夜の七時なの?」

「そうだ。あと少し目覚めなかったら、救急車を呼ぶところだった。榊原が菓子を持ってきてから、お前はほぼ一日眠っていた」

「そうなのか……。せっかくの週末だったのに、眠って終わっちゃったんだね。どこかに出かけたかったのになあ」

「お気楽なやつめ」

「あのさ、雨月。お味噌汁が飲みたいんだけど、無理だよね?」

「無理ではない。今すぐ作るから待ってろ」


 そう言って雨月が再び台所に立ち、出汁を引いている。お粥(かゆ)のときは匂いが鼻についたけど、出汁の香りは食欲をそそる。お粥のときは、だいぶ具合が悪かったんだな。

 雨月がお椀にお味噌汁を入れて運んできた。具は絹ごし豆腐ととろろ昆布だ。そっと口に含むと急激におなかが空いてきた。


「お粥(かゆ)、まだある?」

「あるぞ。今温めてやるから待て」


 雨月がまたコンロの前に立った。僕の枕元に千歳が座って、今度こそ本当に泣いていた。朧(おぼろ)がぷごぷご鳴きながら千歳の周りで拾い食いしている。


「よかったです。兄貴がずっと心配していて、朧(おぼろ)が兄貴の周りで気持ちを食べて黒くなっていました」

「そう……。心配かけてごめんね。明日は出勤できそうにないなあ。病欠の連絡をしなきゃ」

「榊原さんが今日もお見舞いに来てくれたんです。心配していました」


 雨月がお粥を運んできた。お盆にお粥、梅干しの種を抜いて叩いたもの、おかかの醤油和え、ネギ味噌の小皿が並んでいる。ネギ味噌は懐かしい。母さんが好きだったから、何度も作ったことがある。ネギ味噌を口に入れ、お粥を食べた。胃袋が喜んでいるのを感じる。

 お粥を二杯食べて、歯を磨いて、眠った。

 目が覚めたら空が明るくなっていた。雨月と千歳が僕の顔を見ていた。


「具合はどうだ?」

「気分がいい。もう大丈夫だよ」

「そうか、よかった」


 そう言って雨月が僕から離れた。

 熱が高かったとき、うつらうつらしている僕のそばで雨月がぽつりと、「死ぬな。絶対に死ぬな」とつぶやいたような気がしたんだけど、熱のせいで変な夢を見たのかもしれない。

 

 

6月6日~7日 (土~日)

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