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付喪神のいる食卓 ~気弱な僕が"真の主"になるまでの物語~  作者: 守雨
第五章 朧(おぼろ)と暮らす日々

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47 若き日の御物部透子の失敗

「透子様は、一刻も早くその場を立ち去るようにとおっしゃっています」

「ええ……。今すぐにですか」


 再び、僕の頭の中にくだけた調子の聞き慣れない声と雨月の声が響いた。


『よう、雨月。助かった。盗人どもは捕まったぞ』

『そうか』

『お前には借りができたな。ありがとうよ』

『お前への貸しは十やそこらじゃきかないが、まあいい』

『はっはっは。お前は相変わらず面白みのないことを言うな』


 日本刀の付喪神でも、性格はいろいろなんだな。そう感心していると、雨月は「あいつは雑な性格なんだ」と言ってきびすを返してしまう。僕は慌てて雨月の後を追う。あるじしもべの立場がまるで逆だよ。

 

 御物部おんものべ家に戻ると、透子さんが白い割烹着をつけて出迎えてくれた。

 座敷に招かれて座布団に座ると、透子さんがニコニコしながら「冷たいのと温かいの、どちらがいいかしら」と言う。

 僕らが冷たいのを頼む中、榊原さんは温かいうどんを頼んだ。


 ガラスの鉢に冷たいぶっかけうどん、黒いどんぶりに温かいうどん。椿つばきさんとあおいさんがお盆に載せて運んできた。美味しいうどんをいただきながらも、僕は釈然としない。雨月たちが活躍した成果を見届けたかった。


「春人は盗人ぬすっとの顔を見たかったのか」

「見たかったよ。犯人が連行される現場に居合わせるなんて、人生でそうそうないもの」


 すると透子さんが子供をなだめるような口調で僕をたしなめる。

 

「やめておいたほうがいいわ。あの人たちは何年も刑務所に入っているとは限らないんです。腕のいい弁護士がついていたりして、さっさと出てくることもあるの。顔を覚えられて仕返しされるのも、その相手をしもべにさせるのも面倒。私たち付喪神使いとしもべは、ひっそりと世の中のお役に立てればいいんです」

「そうですか……。でも、雨月と千歳が駆けつけてマンションを特定して、椿さんが部屋を特定したのに」

「最後は警察に活躍してもらえれば、それでいいのですよ」

 

 そう言って透子さんがおっとりと笑う。


「大切なことだからきちんとお伝えしておきますね。統神さん、私たち付喪神使いは、常ならざる世界に片足を踏み入れているんです。華々しい活躍をして注目されれば、厄介な事態を招くだけです」

「そうです。注目されたらろくなことがありません。透子様はお若い頃にそれで一度、痛い目を見ていらっしゃいます」

「椿、それは内緒にしてほしかったわ」


 透子さんが笑みを浮かべながらも椿さんを睨んでいる。睨まれても椿さんは涼しい顔だ。

 

「何があったのかぜひ聞かせてほしいです」

「私もお聞きしたいです」


 僕と榊原さんがお願いすると、椿さんが「では私が。よろしいですよね? 透子様」と言う。透子さんは「いい」とも「ダメ」とも言わず、熱いほうじ茶を人数分の湯飲みに注ぎながら苦笑している。

 椿さんが話してくれた若き日の透子さんの失敗は、透子さんがまだ十八歳の頃の話だった。


 女学校を卒業した後、透子さんは家事手伝いをしながら花嫁修業をさせられていた。椿さんと葵さんを従えて十三年、付喪神使いとして張り切っていた頃の話だという。

 透子さんの婚約者だったまもるさんは海外の古美術品やアンティークな家具雑貨を買い付けて販売する仕事をしていた。

 親の言いつけで守さんとの結婚が決まっていたが、当時の透子さんはそれが気に入らなかったらしい。お茶やお花、料理の勉強に通うと言って出かけては、親から立ち入ることを禁じられている、悪所あくしょと呼ばれる治安の悪い場所に出かけていたという。


「すみません、悪所って具体的にはどんな場所ですか?」

「新宿の歌舞伎町です。当時、歌舞伎町には歓楽街、色街、飲み屋街、賭場などがひしめいておりました。透子様は私たちを連れて、そんな地区を見物して回ったんです」

「結婚してしまったら、二度と足を踏み入れることができないじゃありませんか。自分の評判が悪くなるだけなら気にしませんけど、夫や夫の家族までいろいろ言われたら申し訳ないでしょう? そうなる前に、一度はああいう場所を見て回りたいと思ったのよ」


 透子さんがきまり悪そうに言う。


「透子様、見て回るだけじゃありませんでしたよ? 怪しげなバーに入ったこともございましたわ」

「入ったけれど、コーヒーとオレンジジュースしか飲まなかったわ」

「さすがにそうでしたね。その悪所で、透子様は見るからに胡散臭い客引きの男と知り合ったのです。背中にびっしりと小さなあやかしをくっつけている男でした」


 そこで透子さんは男に声をかけられた。


「うちの店で働かない? 君のようなお嬢様っぽい雰囲気の子は人気が出るよ」


 そう言われても断らず、男の話を聞いた。そして話が程よく進んだところで透子さんが男に聞いた。


「お兄さんは体の調子が悪いのではありませんか」

「よくわかるね。そのとおりだよ」

「私が楽にしてあげますね」


 透子さんは男に背中を向けさせた。「肩でも叩いてくれるのかい?」と背中を向けた男に手を伸ばし、妖を引っぺがしては投げ捨て、引っぺがしては投げ捨てを繰り返した。そして「椿、葵、処分して」と命じた。

 命じられた椿さんと葵さんはまだ周辺に留まっている小物の妖に、鏡を経由した夕焼けの光を当てて消したという。


「男は急に体が楽になったと喜びましてね。透子様を店に来ていた客たちに紹介したんです。厄介なのはそこからでした。その店の客の一人が『俺も頼む』と言い、その人にも小者の妖がついていたので透子さんが妖を取り去ったんです」


 ずいぶん張り切ったんだなあ。今の透子さんからは想像がつかない。


「その男は週刊誌の記者だったんです。そうとは知らない透子様は根掘り葉掘り質問をされて答え、記念にと言われて顔写真まで撮られ、後日特集で取り上げられてしまったんです。『稀代の霊感少女現る』って見出しでした」

「あれはね、私が世間知らずだったんですよ。まさか私の了解を得ないで週刊誌に載せるとは思わなかったんだもの」


 透子さんの顔写真は目のところに黒い線を入れてあったものの、見る人が見ればわかる写真だったそうだ。その記事は大きな反響を呼んで、透子さんのご両親とお兄さんの知るところとなった。透子さんは父親から、「もうすぐ嫁入りする身で、何をやっているんだ!」と激怒されたそうだ。


「父に連れられて、婚約者の守さんのお宅へ謝罪に行ったのよ。ところが守さんは『あっはっは。透子さんは元気だなあ』と笑って許してくれました。そこで私はやっと、守さんと結婚しようという気になったんです」

「守さんは、透子さんが付喪神使いだと知っていたんですか?」

「ええ。当時の政界財界には、御物部家がそういう家だと知られていましたから」


 政財界? その世界の人たちは、付喪神の存在を知っているのか。

 

「百鬼伏の持ち主である黒鉄さんも、付喪神の存在を知っているんですか?」

「ええ、百鬼伏が付喪神になっていることは、ずいぶん前に私がお知らせしましたから。そのうち黒鉄さんから私に今回の件で連絡が来ると思いますけど、どうします? 日本刀の付喪神の雨月さんがご活躍でしたよとお伝えしますか? その際はもちろん、統神さんが主だとお知らせすることになりますが」


 ん? なんで僕たちのことを黒鉄さんに伝えるんだろう。


「権力者に手柄を伝えておいて損はないぞ」

「面倒なことに巻き込まれないかな」

「むしろ逆だ。力を持っている者に貸しを作っておけば、春人が面倒に巻き込まれた時には、春人が縋りつく縄の一本も投げてくれるだろう」

「縄……」


 どうしようかと透子さんを見たら穏やかに微笑んでいるだけだが、斜め後ろに控えている椿さんと葵さんは何度もうなずいている。いつの間にかおぼろが葵さんの膝に乗っていて、背中を撫でてもらって目を細めていた。


「では、もし今回の経緯を聞かれたら、僕と雨月の名前を出してください」

「わかりました。黒鉄さんに伝えましょう。警察の知り合いにも、聞かれたら話しておきます」


 榊原さんの車で家に帰った。榊原さんは「統神君は、私の福の神ですよ」と、終始ご機嫌だ。

 榊原さんは運転しながらずっと微笑んでいる。いや、笑顔で今夜の出来事を反芻はんすうしている感じか。

 おぼろが「ぷぎぷぎ」と鳴きながら後部座席から身を乗り出して、榊原さんからこぼれた気持ちを食べている。榊原さんはよほど上機嫌らしく、おぼろの色は変わらなかった。

 僕はその間もずっと、あのことを考えていた。

 僕も透子さんのように、妖をこの手で引き剥がせるんだろうか。

 

 


 

6月5日(金)のできごと。

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