46 盗まれた百鬼伏
風呂上がりに冷えた麦茶を飲んでいたら、雨月が何気ない感じでとんでもないことを言った。
「春人は博物館に収められていた百鬼伏を覚えているか」
「付喪神になっている刀で、雨月の知り合いだよね。覚えてるよ」
「あれが盗まれたそうだ」
「へえ、それは大変だねえ」
ニュースになっているのかな。
「ニュースではない。百鬼伏当人から先ほど直接聞いた。博物館に貸し出されていた百鬼伏は、展示を終えて持ち主の家に戻されていたそうだ。その家に先ほど盗人が入って持ち出されたと、百鬼伏が言っている」
先ほど? 言っている? どういうこと?
「百鬼伏がこの辺りの付喪神たちに助けを求めたのだ。百鬼伏は主を得ていないから、盗人を相手に何もできずに無念がっている」
「オラも聞きました」
「警察に通報するとしたら、なんて説明すればいいんだろう。あっ、こんな場合の榊原さんがいたよ」
榊原さんは地域安全課に長くいるから、警察に知り合いがいる。
僕は電話がつながると開口一番、「事件です」と告げた。すると榊原さんは「伺いましょう」と、電話越しでもわかるほど機嫌のいい声を出した。
そして榊原さんは僕の話の途中で「すみませんが、雨月さんと電話を代わってもらえますか。統神君を間に挟むより、話が早い」と言う。
スピーカーモードにした電話を雨月に渡し、僕は聞き役に回った。雨月は百鬼伏が国立博物館に展示されていたところから説明している。
『その百鬼伏は今、どの辺りにいるか、雨月さんはわかるんですか?』
「春人のマンションの南の方だ。距離はそう遠くない。だがどの家かまではわからない。百鬼伏は布で包まれ、周囲の様子を見られないようだ」
『なるほど。では私が車で向かいますので、マンションの入り口で待っていてください。百鬼伏の気配を見失わないよう、お願いします」
「承知した」
スマホを受け取りながら雨月に聞いてみた。
「百鬼伏の持ち主の名前はわかる?」
「持ち主は黒鉄福次と言っていた。盗人は目出し帽を被り、黒鉄福次を縛り上げ、それから百鬼伏を袋に入れて持ち出したそうだ」
黒鉄福次? どこかで聞いたことある名前だなぁ。榊原さんを待つ間に検索したら、製鉄で財を成した黒鉄重工業の会長だった。
「椿さんと葵さんにも助けを求めようか。ああ、でも僕は透子さんの連絡先を知らないんだった。え、なんでそんな目で僕を見るの?」
「あれだけ馳走になっているのに、まだ連絡先を聞いていなかったのか。世話になった人の連絡先は、若輩の春人から尋ねるのがこの時代の礼儀ではないのか?」
「うん、まあ、そうだね」
「春人さん、榊原さんの車が来ました」
言われて通りを見たけど、僕にはライトしか見えない。この逆光でよく車を見分けられるな。
直後に榊原さんの車が僕らの前で停車し、運転席の窓が開いて「乗ってください」と言われた。
「翔君は来なかったんですね?」
「もう夜の九時半を回っていますから。帰りが遅くなれば、青少年保護育成条例に触れます。翔はひっくり返って怒っていましたが、法は法です。翔は透子さんから事の次第をメッセージで貰ったそうで、僕も連れて行けと怒る怒る。くっくっく」
「それ、笑うところですか?」
「翔があんなふうに駄々をこねるのは初めてなんですよ。いやあ、可愛かったです。ああ、言い忘れました、透子さんが椿さんと葵さんを貸し出してくれるそうです」
「付喪神は多い方がいい」
雨月がそう言ったところで車が透子さんの家に着いた。透子さん、椿さん、葵さんが門の前に立っている。透子さんは前置きなく「百鬼伏を一刻も早く見つけてください」と切り出した。
「由緒ある名刀は、世界中にマニアがいます。泥棒が動く前に百鬼伏の居場所を見つけないと、手遅れになってしまいます。椿が蝙蝠と鼠に捜させていますが、なかなか居場所が特定できないようで」
「おおよその場所なら俺がわかる。この近くだ。案内しよう。今は時間が惜しい。行くぞ」
雨月を先頭に、僕、千歳、榊原さん、椿さん、葵さんの六人で出発した。朧も短い脚で走ってついてくる。
やがて古そうなマンションの近くで雨月が足を止めた。この辺りは透子さんの家がある松濤とは違う雰囲気だ。
「この辺りだな。百鬼伏に呼びかけてみる」
そう言って雨月は周囲を見回すと、声を出さずに呼びかけた。
『おい、百鬼伏。声を出せ。俺が見つけてやる』
『その声は雨月! 助かるぞ、友よ』
『お前は友ではないが、助けてやる』
『冷たいことを言ってないで、さっさとワシを見つけてくれ』
雨月の心の声が直接脳に響く。違和感はあるけど普段と同じ声だ。僕は初めて雨月の心の声を聞いたんですけど?
すると千歳がそっと僕の隣に来てヒソヒソ話をした。
「兄貴は春人さんに心の声で話しかけるのを好まないと言っていました」
「そうなの? なんでかな。便利でしょうに」
「オラにもわかりません。兄貴が心の声を使わないので、オラも使わないようにしています」
千歳とそんな会話をしている間にも、雨月と百鬼伏のやり取りが続いている。なぜか雨月は百鬼伏に対して素っ気ない。
『ワシがいるこの部屋に来る途中で、エレベーターに乗ったぞ。乗っている時間は、ひのふのみ、くらいだ』
『そんな雑な説明でわかるか!』
『雑な説明でもわかれよ! エレベーターを出たら西に三十五歩のところが部屋の玄関だ』
『それも雑な情報だな』
そう言いつつ雨月が豪華マンションの前に立った。
「二階の西の端の部屋か、その手前の部屋だな」
「わかりました。部屋の中は蝙蝠に確認させます」
僕らには椿さんがいる。椿さんは胸に右手を当てて唇を動かしているけれど、声は出していない。「我が眷属たる蝙蝠よ」なんて呼びかけるわけじゃないんだね。
やがて、僕らの頭上に三匹の蝙蝠が飛んできた。椿さんが再び唇だけで何かをつぶやくと、蝙蝠は二階の部屋の窓に向かってヒラヒラと飛んでいく。しばらく二階の窓の前で飛んでいた蝙蝠たちが、僕らの頭上に戻ってきた。椿さんが雨月を見た。
「百鬼伏さんは二階の西の端の部屋です」
「では俺がベランダから入るか」
「ちょっと待ってください! 今、大山さんに連絡していますから。雨月さんが不法侵入してしまうと話がややこしくなります」
榊原さんが雨月を止めた。
「ふむ。それもそうか」
「榊原さん、中の人間は三人です。親分と家来が二人」
椿さんの報告を聞いて榊原さんが電話で「相手は三人だそうです。ええ。急いでお願いします」と言っている。この状況を大山さんになんて説明したのかな。もしかして警察の地域安全課の大山さんは、付喪神のことを知っているのだろうか。
すぐに覆面パトカーが三台、ランプをつけていない通常のパトカーも二台来た。どんな人が名刀を盗んだのか顔を見たいと思っている僕に、椿さんが話しかけてきた。
「統神さん、私たちは帰りましょう。透子様がうどんを用意してくださっています。『あまりいろんな人に見られないうちに帰っていらっしゃい』とおっしゃっています」
「え? うどん? もうすぐ泥棒が捕まって出てくるところなのに、ここから離れるんですか?」
椿さんがきっぱりと頷いた。
6月5日(金)のできごと。




