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付喪神のいる食卓 ~気弱な僕が"真の主"になるまでの物語~  作者: 守雨
<5> 朧(おぼろ)と暮らす日々

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37 朧(おぼろ)のごちそう

 害をなさないと聞いて、翔君は朧(おぼろ)を抱いたままキャンプ用の折り畳みイスに腰かけた。雨月が朧(おぼろ)のことを説明してくれる。


「人間は強い感情を抱くと、心から感情が零(こぼ)れ落ちる。大きな喜び、泣いても消えない悲しみ、収まらない怒り。朧(おぼろ)はそれをご馳走として食べる。だから人間は何も失わない」

「まるで妖精みたいですね。なんて愛らしい妖でしょうか。翔、いいものと出会ったな」


 榊原さんが優しい表情で翔君を見ている。だけど朧はずっと翔君の腕から逃れようともがいている。

 翔君が「どうしたの? 抱っこは嫌いなの?」と言ってそっと朧を地面に置くと、朧は短い脚で走って千歳に突進した。千歳は自分の脛(すね)に繰り返し頭突きする朧(おぼろ)を抱き上げて、しげしげと眺めている。


「オラにも瓜坊に見えます。悪さをしないと聞いてから見ると、可愛いです」


 朧(おぼろ)が千歳に持ち上げられたまま、空中の何かをパクリと食べた。満足そうに小さな口をモグモグと動かしている。


「千歳が朧(おぼろ)を可愛いと思う気持ちを食べているようだな」


 羨ましそうに千歳と朧(おぼろ)を眺めている翔君に気を遣ったのか、千歳が朧(おぼろ)を翔君に返そうとした。すると朧(おぼろ)は「んきゅっ! んきゅっ!」と鳴いて身をよじる。朧(おぼろ)を受け取ろうとしていた翔君が、たちまちしょんぼりした。


「朧(おぼろ)は僕じゃなくて千歳さんが好きみたいです」

「千歳は感情の起伏が激しいからな。美味しいご馳走をくれる相手だとわかるのだろう」

「コイツがオラを気に入ったんですか?」


 千歳は翔君に気を遣いながらも嬉しそうだ。また、朧(おぼろ)がパクパクと空中の何かを食べた。目を細めて口を動かしている朧(おぼろ)の可愛いこと。ちょっと千歳が羨ましくなるな。

 その後はみんなで焚火を眺めてくつろいだ。その間ずっと、朧(おぼろ)は千歳に抱かれて「ぷごぷご」と鳴きつつ見えない何かを食べ続けている。

 千歳は朧(おぼろ)に懐かれてよほど嬉しいらしい。堪えきれずにときどきニカニカしている。


「私たちはそろそろ寝ますね」


 そう言って榊原兄弟はテントに入った。榊原兄弟のテントは四人用だそうで、大きい。

 今回のキャンプのために買った僕のテントは一人用で、雨月と千歳はテントの外だ。

 アウトドアグッズの店で「俺は外で寝る」と雨月が言った。僕はそれでは気が引けるから三人用のテントを買おうとしたけど、「すぐに動ける外がいいのだ」ときっぱり断られてしまった。雨月と千歳は焚火の近くで椅子に座ったまま寝るらしい。

 

 僕はすぐに眠ったんだけど、途中で目が覚めた。トイレに行こうと歩き出したら、雨月と千歳だけでなく朧(おぼろ)もついてくる。一人で行けると断っても、「夜の森には草木や動物から生まれた妖がいる」と雨月が言う。おかげでトイレの中でもビクビクしてしまった。

 朧(おぼろ)は千歳の足にまとわりつくようにしてチョコチョコ走ってついてくる。

 

 用を足している間も、トイレの外から千歳が「そうかそうか、オラが好きか」と話しかける声が聞こえてくる。

 もしかして千歳は朧(おぼろ)をペットにするつもりだろうか。朧(おぼろ)は普通の人には見えないし、餌は千歳の感情だし糞(ふん)もしなさそうだからいいけど、狭いマンションに三人と一匹か……。

 千歳があんなに嬉しそうだからいいことにするかな。


 眠気が飛んでしまったから、そのまま雨月たちと焚火のそばに腰を下ろした。

 雨月はときおり杉の枯れ枝を焚火にくべていたが、千歳に話しかけた。


「それを連れ帰るつもりか? それなら春人の了承を得ろ」


 千歳が目をうるうるさせて僕を見た。その目はやめて。絶対に断れない顔をしないでよ。

 

「春人さん、ちゃんとオラが面倒を見ます。これを連れて帰ってもいいですか?」

「いいよ。たまには僕にも触らせてね?」

「もちろんです。朧(おぼろ)、よかったなあ」


 話しかけられた朧(おぼろ)は千歳の言葉がわからないらしく、また千歳の胸の辺りで何かを食べた。

 翌日の朝食は榊原さんが焼きそばを作り、僕がわかめスープを作った。千歳はその間にどんどん荷物を片付け、雨月は周囲を見張っている。たまに腕を素早く動かしているから、朝でも妖(あやかし)は現れているらしい。僕と翔君の二人で引き寄せているんだろうね。

 

 さあ車に乗ろうかという段になって、翔君が朧(おぼろ)に近寄った。千歳が朧(おぼろ)を抱き上げ、差し出した。朧(おぼろ)は身をよじって千歳を見上げ、「きゅきゅきゅ、ぷごぷご」と鳴く。

 翔君は笑うような悲しむような、十歳とは思えない表情をした。やっぱりこの子は心が大人びているんだな。


「君は千歳さんが好きなんだね。好きな人と暮らすほうが嬉しいよね。でも、たまに僕とも遊んでね。いいですか、千歳さん、春人さん」

「もちろんです。ですよね? 春人さん」

「いつでも朧(おぼろ)に会いに来てね」

「ありがとうございます。また会おうね、朧(おぼろ)」


 翔君が朧(おぼろ)の背中を撫で、名残惜しそうに車に乗って去った。

 こうして朧(おぼろ)は千歳のペットになった。雨月は帰りの車中で朧(おぼろ)を抱えてしげしげと眺めた。朧(おぼろ)は「ぷぎぷぎ」と抗議するように鳴き、雨月の手から逃れようともがいている。


「こいつが眷属(けんぞく)になったという話は聞いたことがないから、役には立たないのだろうな。せめて春人を守る際に邪魔をしなければよしとしよう」

「我が家の初めてのペットが妖か……。だけど可愛いから問題なし」

「大らかな主(あるじ)でよかったな、千歳」

「はい!」


 千歳がとても嬉しそうだから僕も嬉しい。

 レンタカーを返しに行ったら、カウンターで隣り合った若い男性の体に黒いものがびっしりと貼りついていた。

 ここで退治するのは無理だよね? と雨月を見たら、雨月は小さく首を横に振っている。そうだよねと諦めていると、千歳に抱かれていた朧(おぼろ)が男の方に首を伸ばして何かを食べた。すると朧(おぼろ)の体表が短い時間、黒一色になった。

 

 千歳が急いで朧(おぼろ)を男性から離したが、朧はまだ空中に漂う何かをパクパクと食べている。それが嫌で、僕は外で待つよう言って千歳と朧(おぼろ)を店から出した。

 返却の手続きを終えて、外に出た。


「春人さん、外に出るように言ってくれて、ありがとうございました」

「僕もなんだか嫌だったんだよ。朧(おぼろ)には嬉しい気持ちと楽しい気持ちだけを食べさせたいよね」

「オラもそう思いました。よかったな、朧(おぼろ)、春人さんはオラの優しいご主人様なんだぞ」


 朧(おぼろ)は僕をジッと見るけど千歳の言葉に反応せず、再び千歳に抱かれたまま何かをパクリと食べた。無邪気で可愛いな。こんな妖もいるなんて、妖の世界は奥が深い。

 妖が貼りついている男性は、青い軽自動車に乗って去った。


 マンションに帰ってからも朧(おぼろ)はほとんどの時間を千歳と過ごしている。ところが僕が料理を始めると僕の肩に飛び乗る。重さを感じるけど、体重は猫よりはだいぶ軽い。朧(おぼろ)は肩の上で器用にバランスを取りつつ、僕の耳元で何かをパクパクと食べている。


「春人はよほど料理が好きなのだな。さっきから朧(おぼろ)がお前の気持ちのおこぼれを食べ続けている」

「本当だねえ。僕も自分がこんなに料理を楽しんでるとは思わなかったよ」

「ぷぎ」


 僕の左肩の上で、瓜坊の姿をした朧(おぼろ)が、また何かを食べた。思わず顔が緩んでしまう。


 

5月9日(土)

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