34 空間を斬る
千歳が土砂崩れ跡の前に立ち、「また崩れるかもしれません。オラが骨を捜しますか?」と言う。
「雨月、僕も誠一郎さんのお骨を捜したい。行ってもいいかな」
「いいだろう。土砂が崩れてきたら、俺がお前を抱えて逃げる」
「わかった。ありがとう」
淳之介さんに幸之助さんたちが「子孫が必ず誠一郎さんを見つけます」と約束したんだ。僕が最後まで役目を果たしたい。
数メートル先の土砂崩れ跡に足を踏み入れた。千歳が僕に説明してくれる。
「土の様子を見ると、ここが崩れたのは割と最近です。土がまだ柔らかいんで、足元に気をつけてください」
僕はもう、誠一郎さんを見つけていた。人間のものと思われる、丸みのある頭蓋骨が土にまみれて顔を出している。以前の僕なら骨に近寄ることもできなかっただろう。でも今は、何百年も松千代君を思っていた誠一郎さんの骨だと思うと、気持ち悪いとも怖いとも思わない。
榊原兄が「あのう」と言葉を発した。
「無名の古い骨であっても、人骨を見つけたら触ってはいけません。文化財保護法や刑法に抵触します。まずは警察に知らせるのが筋です」
「お兄ちゃん! 二人のお骨を一緒にしてあげないの?」
「翔、それは法に触れるんだよ。」
「お兄ちゃんのわからずや! いっつもそんなことばっかり言う!」
いや、これに関しては榊原兄が正しい。松千代君たちはもう骨がどうこうという次元を超えて、仲良く旅立ったもの。そう思っていたら雨月が榊原兄弟の言い合いに割って入った。
「安心しろ。骨は動かさない。触れる必要もない。小者の妖がここに集まらないよう、誠一郎の骨に残っている憎しみと恨み、悲しみを封じるだけだ」
「そうなの? じゃあ雨月、よろしくお願いするね」
「いや、これは春人の役目だ」
「僕は無理だよ、どうやるのか知らないもの」
「大丈夫だ。俺が教える。誠一郎と松千代の心に一番寄り添っていたのは春人だ。俺が力を添えるから春人がやった方がいい」
雨月は近くの木の枝を斬り取ると、それを日本刀に見立てて僕に持たせた。
「骨の上で四角い箱を描くように空間を斬れ。なるべく大きくな。箱の辺はいくつあるかわかるか?」
「わかるよ、十二だ」
「そうだ。だが、底はいらないから八つだ。この骨を囲むように斬れ」
そう言って雨月が刀の持ち方、足の位置を教えてくれる。足を肩幅に開き、僕は木の枝を使って大きな箱を描く。持っているのがそう重くない木の枝なのに、不慣れなものだから重心がブレてふらついてしまう。一度は尻もちもついた。雨月は僕が転んでも笑わずに、何度も練習をさせる。
息が上がり、汗が流れる。
「まあまあだな。いいだろう。俺はこれから刀に戻る。お前は俺を使って結界を作れ。心の中で松千代と誠一郎の幸せを願いながら斬るのだ。くれぐれも怪我に気をつけろ。小鈴、千歳、春人が怪我をしないように見てやってくれ」
「承知しました」
「お任せください、兄貴」
仲間の返事を聞いて、雨月が僕を見た。一瞬ののち、雨月は消えて地面の上に鞘に入った状態の刀がぱたっと落ちるように現れた。
あっ……と思った。
兄のようで父のようで友のような雨月は、本当に刀なんだと今さらながらに思う。大きくて美しい一振りの刀は、僕の勝手で都合のいい思い込みを「くだらん」と言っているようにも見える。
「春人さん? 大丈夫ですか?」
「あ、うん。大丈夫だよ、千歳。この鞘は千歳が持っていてね」
刀を拾い上げた。ズシリと重い。右手に柄、左手に鞘。ゆっくり両手を広げると、光る刀身が現れた。これ、うっかり触ったら簡単に指が取れそう。
鞘を千歳に渡して、練習したとおりに空間を斬る。横、縦、縦、横、縦。見えない立方体を作るつもりで大きく刀を振った。
「よし、これでいいはず。千歳、鞘をくれる?」
「はい、どうぞ。指に気をつけてくださいね」
時代劇だと鞘の端を持ってパチンと刀をしまってたな。でも僕がやったら指を切りそうだからやめておく。僕は鞘の端からだいぶ離れた場所を持って刀を収めた。「もう人の姿になっても大丈夫だよ」と声をかけてから地面に置くと、刀は消えて雨月が現れた。雨月は僕が空間を斬った場所をじっくり眺めている。
「うん。よくできている」
「よかった。今度こそ引き揚げようか。雨月、骨はこのままでいいんだよね?」
「ひと月もすれば、榊原が通報しても大丈夫だ。その頃には憎しみや恨みの残滓も消えている」
「では私がその頃に通報しましょう。骨のようなものを見た、気になっているので通報したと言っておきます。この場所はもう、スマホに記録しました」
そう答えた兄を、翔君が満足そうに見上げている。よかったね、榊原兄。
「松千代君の骨は?」
「あの骨は害をなさない」
僕たちはこのまま帰るか一泊するか話し合って、やはりもう一泊することにした。
昼食を食べ損ねたから夕食は早い時間に食べることにした。僕がお好み焼きを作り、榊原兄が「唯一の得意料理です」と言って焼きそばを作った。それを翔君がそばで見ている。榊原兄弟は父親が違うけど、とても仲がいい。
僕の父さんは再婚したものの、妹弟は生まれていない。生まれていたら、こんなふうに仲良くできただろうか。僕が父さんを避けているからそれは無理か。
榊原兄はああ見えて面倒見がいいんだな。彼を煙たがっていたこともあったけど、いい人だ。
お好み焼きを食べていた雨月が「春人もな」と唐突に言った。焼きそばを大量に口に入れた千歳がウンウンとうなずいている。
その夜は順番にお風呂に入った。水色のタイルを貼ってある湯船に浸かっていたら、雨月が入ってきて「話がある」と言う。
「先祖代々の位牌を、このままこの家に置いておくのは気が引けるんだが」
「それは僕も気になっていたんだよね」
「寺に話をして、ひとつの位牌にしてもらえないだろうか。そうすれば俺も安心できる」
「そんなことができるんだ? 知らなかった」
「実は、朔がその話をしていた。まだ元気なうちだったが、位牌の将来を気にしていてな」
雨月と相談して、僕たちは明日、菩提寺に行って住職に相談することを決めた。
その夜は翔君が何度も「付喪神使いになってよかった」と繰り返していて微笑ましかった。
「でも、松千代君の姿をはっきりと見られなかったのが残念でした」
「お兄ちゃんはぼんやりした姿さえ見えなかったから、もっと残念だったよ」
それを聞いていた雨月が、小鈴さんに声をかけた。
「翔は遠からず妖や松千代のような魂を見るようになる。いずれ翔にも妖が寄ってくるはずだ。小鈴、しっかりと役目を果たせ」
「もちろんです。全力で翔様をお守りします」
松千代君は今頃、両親に会っているんだろうか。小さくてひんやりしたあの手の感触を、僕は今も覚えている。
翌朝は残った食材でチャーハンを作った。それを食べ終えてから榊原兄弟は山を下り、僕たちはお位牌を全部持ってお寺に向かった。
向かった先は豊実山 慈眼寺。最初にお墓参りした墓地の隣にある。
駐車場に車を止めると、頭に手拭いを巻いて作務衣姿の、五十代くらいの男性が出てきた。男性は「いらっしゃい。お墓参りですか?」と愛想よく話しかけてから、雨月を見た。
住職の顔が、ゆっくりと驚きの表情に変わっていく。
「雨月さん? 雨月さんですよね? こりゃあ驚いた……。寛道です! 崖から転がり落ちた時に助けていただいた長谷川 (はせがわ)寛道です!」
「ああ、あのやんちゃ小僧か。大きくなったな」
「大きくなったって。ははは。私はもう五十三です。雨月さん、あの節は命を救っていただき、ありがとうございました。こうしてまたお会いできるようになったんですねえ」
雨月は微笑んでいる。
「そちらが今の主さんですか?」
「そうだ。朔の孫の春人だ。それと、これは春人のもう一人の僕の千歳だ」
千歳は畏まって頭を下げ、僕は体を二つに折るようにして住職さんに頭を下げた。
「祖父がお世話になりました。統神春人です」
「大体の事情は朔さんから聞いています。朔さんはあなたがいつかこの集落に来てくれることを楽しみにしていました」
申し訳なくて何も言えないでいる僕を見て、雨月が「春人はいい人間なんだ」と言う。住職は「見ればわかります」と微笑む。
お寺の中に招かれ、僕はまずお位牌のことを相談した。住職は「それなら一体のお位牌にまとめましょう。今日東京に帰るんでしょう? 急いで取りかかります。お位牌は宅急便で送るわけにはいきませんからね」と言って作業に入った。
その間、僕は墓地の草むしりをして待った。
「朔のことならそんなに気に病むことはない。もう終わったことだ」
「まあ、そうだね……」
「帰りに蕎麦を食べよう。蕎麦の旨い店が近くにある」
美味しい食べ物に目がない僕を、雨月は上手にあやすなぁ。
「終わったことよりこれからのことを大切にしろ」
「うん、そうするよ。お蕎麦の店は、近いの?」
「まあまあ近いな。千歳、お前も食べるだろう?」
「食べます!」
千歳が必死で可愛らしい。
やがて住職さんが「終わりましたよ」と言って、新しいお位牌を一体持たせてくれた。お布施は振り込みでいいらしい。
三人でじいちゃんのお墓に手を合わせ、「東京に帰るね」と声をかけて、僕らは車に乗った。
5月5~6日 火曜~水曜のできごと




