31 洞穴
死者の執念と聞いて眉を顰める僕とは反対に、榊原さんが俄然活気づいた。
「それが今どこにいるかわかりますか?」
「だいたいの方角ならわかるが」
「案内してください! ぜひ!」
「榊原さんやめましょうよ。なんで自分から火の中に飛び込もうとするんですか」
すると榊原さんがキッ! と僕を振り返った。
「統神君は怪異のほうから寄ってくるから、そんなことを言うのですよ。怪異現象を長年追いかけている私にとって、これは千載一遇のチャンスなんです」
「僕は遠慮しておきます。榊原さんを案内するかどうかは、雨月の判断に任せます」
「雨月さん、私は場所を教えてもらえればそれでいいのです」
翔君は何も言わずに自分の兄の様子を眺めている。その目が老成しているように見えるのは、兄のこういう姿を見て育ったからだろうか。君、苦労してるんだねぇと翔君に同情してしまう。
詰め寄られた雨月はというと、無表情に榊原さんの話を聞いていたが、「お前がそいつのところへ行っても無駄だ」と言い放った。
「おそらくあいつの声が聞こえ、姿を見られるのは、付喪神の俺たちと春人だけだ。翔はどうかわからん」
「僕? なんでさ」
「春人は付喪神使いの能力が元から高かったが、俺と暮らすようになってから急激に成長している。今まで見えず聞こえずだったものも、見えて聞こえるようになっているはずだ」
「嫌だよ。僕は関わりたくない」
そこで車のエンジン音がして、全員が窓から外を見た。白い軽トラックが見えた。あの軽トラはもしかして……。そう思っていたら予想していた声がした。
「ハル坊! いるかい? 私だよ、笹山のおばちゃんだよ!」
「お知り合いですか」
榊原さんにそう尋ねられたけど、知り合いなのかなあ。この家へ初めて来たときに、有無を言わせない感じで車に乗せてもらっただけだけど。運転していた例の女性が玄関を開けて顔を見せた。
「ああ、よかった、間に合った。東京ナンバーの車が坂道を上がっていくのを見た人がいたから、帰ってきてるんだなあと思ってさ」
「僕になにかご用でしたか?」
「東京へ帰る前に、一ヶ所お祓いをしてほしいんだよ。お願いできるかい?」
「お祓い……。僕はその手のことはできません。もしかして、祖父はそういうことをしていたんでしょうか」
「違う違う。朔さんじゃなくて、幸之助さんだよ。この辺の集落の平穏を祈願して、幸之助さんにお願いしていたの」
僕はちらりと隣の雨月を見たけど、雨月は僕と目を合わさない。話が読めない僕の様子を見て、笹山さんが説明してくれた。
ひいじいちゃんの幸之助さんは生前、集落の安全祈願を引き受けていたそうだ。それは幸之助さんが生きている間続いていて、朔じいちゃんの代になってからは固辞されていたという。
しかしこの春になってから、山菜採りに入った住民が山中で男の低い声を聞くことが続いているそうだ。集落で一番の年長者であり笹山さんの舅でもある人が、「統神家のお祓いを絶やしているからだ」と言い出したらしい。
毎年、神社の神主さんに頼んでお祓いをしてもらっていたが、笹山さんのお舅さんは、「統神家のお祓いじゃないとダメなんだ」と繰り返していると。
僕は「ちょっと待ってもらえますか」と言ってから雨月の袖を引っ張って奥の部屋に入った。
「どういうこと? 雨月も関わっていたんでしょう?」
「あの者が言っているのはこの地に留まっている魂のことで、昨夜の執念の気配とは別口だ。その魂のことなら俺は全く手を出していない。俺が斬って消すこともできたが、幸之助がそれではダメだと言って、その魂に語りかけて慰めていた」
山神の狐の他に死者の執念もいて、それとは別口の魂もいるのかい!
「なんでそういうことを来る前に話してくれなかったかな!」
「春人は質問しなかっただろう。俺が知っていることを何もかも話せというのか? 話すだけで何年もかかるぞ」
だーっ! 僕は何も知らないんだから質問のしようがないじゃないか! でも腹を立てている場合じゃないよ。待たせている笹山さんのところに引き返した。
「幸之助さんはどこでお祓いをしていたんですか?」
「少し先の洞穴なのよ。私が案内するから、お祓いしてくれないかしら。うちのお舅さんがずっと『朔さんの孫を呼べ』って繰り返していてね。舅は朔さんから、ハル坊にはそういう力があるって聞いていたらしいの」
じいちゃんたら、僕の力のことを集落の人たちに言っていたのか。いや、言うか。三代ぶりに生まれた能力者の孫だもの、言いたくなるか。
笹山さんが繰り返し「もう東京へ帰るんだろう? その前に頼みたいんだよ」と繰り返す。雨月は涼しい顔で「行ってやればいい」と言う。僕の僕は無責任だな。
「わかりました。お役に立てるかどうかわかりませんが、僕が行ってその笹山さんのお舅さんが安心してくれるなら行きます」
「助かるわ!」
こうして案内されたのは、坂道を少し下ってからギリギリ車が走れる道に入って進んだ場所だった。高さのない穴が開いている。穴の前には木の杭が二本打ち込まれ、杭に張られている縄には白い紙で作られた紙垂が挟み込まれている。
「幸之助さんはここでお祓いをしていたんですね?」
「ううん、穴の中に入ってお祓いをしていたんですって」
僕が中に入るの? 思わず雨月を見たら、「うんうん」とうなずいている。うんうんじゃないよ。怖いでしょうが!
キラキラした視線を送ってくる榊原さん、期待と尊敬が混じった表情の翔君、ニコニコしている千歳。周囲を見回している小鈴さん。
そうですか、僕が入るんですか。わかりましたよ、穴に入るくらいやってやるよ。
縄をまたぎ、洞穴に向かって「おじゃまします」とつぶやいてから足を踏み入れた。
中は意外に乾燥していて、足元はサラサラと乾いた土だ。入り口は狭かったのに、奥は腰を伸ばせるだけの高さがある。
狭い洞穴は奥まで続いている。
奥まで入ってから、幸之助さんは何をしたんだろう。これといったご神体のようなものは見当たらない。
引き返すか、と思った僕が「じゃ、そういうことで失礼します」と締まらないセリフを言った時だ。
どこかから「誠一郎? 誠一郎なの?」という子供の声が聞こえた。同時に洞穴の一番奥の地面からもやもやと黒い影が浮かび上がってくる。僕の全身の皮膚に、一瞬で粟粒が立った。
「誠一郎じゃないね?」
「ちが、違います。僕は統神春人です」
「統神? あのおじいさんの息子なの?」
「統神幸之助なら、僕のひいじいちゃんです」
「そう……。あなたは誠一郎を知ってる? 誠一郎は私の傅役なんだ。ずっと待っているんだけど、なかなか迎えに来ない」
「申し訳ありません、その人を知りません。その人をどうして待っているんですか?」
そう聞いてから(しまった、話相手をすることになってしまう!)と慌てたけど、すぐ思い直した。この子はずっと誠一郎という人を待っている。服装から察するに、何百年も。
受け継いだ能力以外、これといって取り柄のない僕が必要とされるなら、話し相手をするぐらいなんだというんだ。大丈夫。いざとなったら雨月と千歳がいる。
目の前で湧いて出てきた黒い影は、会話をしている間に少しずつはっきりした姿になっていく。
鼠色の絹らしい着物を着て袴を身に着けている、十歳ぐらいの少年だ。脛には紺色の布が巻かれ、足元は足袋に草鞋だ。上品で聡明そうな顔立ち。身分が高そう。
「私は望月源左衛門が長子、望月松千代です。誠一郎と二人で逃げていたのだけど、誠一郎がここで待てと言ったからずっと待っている」
そこで外から声をかけられた。雨月は「おい、春人、その辺で戻ってこい」と声をかけてきたし、笹山さんが「ハル坊、もうその辺で十分よ」と言う。いやいや、話はこれからなんだが。
どうしよう、と松千代君を見ると、悲しげな顔で僕を見ている。
「もう行ってしまうの?」
松千代君は「まだ行かないで」でもなく「寂しい」でもなかった。「もう行ってしまうの?」と言うところに、この子の諦めを感じる。切なくて可哀想で胸が痛む。僕は強く唇を噛んだ。そして……。
「一緒に来る?」
そう言ってから、(あっ、これ、雨月に怒られるやつでは?)と思った。




