30 家の周りをぐるぐると
板の間に布団を敷いて寝ているのは人間側の三人だけ。
雨月、千歳、小鈴さんまでが板の間へ直接横になっている。
「あのう、いくら簪の付喪神でも、女の子を板の上に寝かせて僕が布団と言うのは気が引けるんだけど。小鈴さんは布団に寝たらいいよ。僕が板の間に寝るから」
そう言うと付喪神の三人がぽかんとしている。あれ? 僕、おかしなこと言った? 言ってないよね。
「雨月さん、あなた何も教えていないんですね」
「そう言われたらそうだな」
「そうだな、じゃありませんよ。あのね春人さん、私たちに男も女もないんです。だって雨月さんは打刀だし、千歳さんは斧でしょう? 私は簪。布団なんて必要ないし、私は女の子でもありません」
「ん? 小鈴さんは男の子だったの?」
小鈴さんが首を横に振り、雨月が説明してくれた。
「違う。付喪神には男も女もないんだ。俺たちの姿形は最初の主が思い描いた姿だ。俺も小鈴も、最初に仕えた主が望ましいと思っていた姿がこの姿なのだ」
「私が付喪神になったのは明応三年です。最初の主は武家のお嬢様でした」
「だとしたら千歳の姿は……」
「そうですぅ。春人さんがオラの姿を決めてくださったんですぅ」
言われて気がついた。千歳の見た目は僕の理想のタイプそのものだ。背が高くて分厚い筋肉、よく笑う大きな口、髪をざっくりと伸ばしていてそれが似合っている。間違いなく僕の理想だな。気づくのが遅かったわ。
「オラ、カフェでかっこいいって言われるたびに『さすが春人さんだ』って嬉しくなるんです」
「そうだったのか。その見た目を気に入ってくれてよかった。事前に知っていたらハリウッドスターみたいな姿を……。いや、やっぱり千歳は今の姿が一番似合う。その姿で嬉しいよ」
「ありがとうございます。オラもすごく気に入っています!」
いつになく僕がテンション高くしゃべっていたら、榊原さんが「いいなあ」とつぶやいた。
「あっ、内輪で盛り上がってしまって、すみません」
「そうじゃありません。私は祖父の影響をうけて、子供の頃から妖怪や怪異現象の話を集めたり調べたりしていたでしょう? その我が身には何も起こらなくて、その手のことに興味がなさそうな統神君に付喪神の僕が二人も仕えている。それが羨ましいんです。その上、弟にはかんざしの僕ができましたしね」
「羨ましいんですか……」
「ええ。普段は人を羨まない私ですが、これは努力とは関係がない運命みたいなものです。運命にそっぽをむかれて、私は今、腹の底から統神君と翔が羨ましいです」
運命と言われたら、確かにそうかもね。
「それでもさっきは狐の妖を見ることができました。山の神として地元の人々に敬われている存在を見られて、至福の喜びです。あの狐は統神君を見に来たようですね。ということは、これからも統神君と一緒にいたら、あの手の存在に出会えるということです!」
おっ、榊原さんが興奮している。
「今後は地域安全課でご一緒する機会が増えるのですから、いやあ、楽しみだなあ。統神君を推薦したのは大正解でした!」
「地域安全課の仕事って、地元民のみなさんと話し合う仕事じゃないんですか?」
「それもありますが空き家や危険スポットの調査もあります。実は、地域安全課の仕事をしていると、私の知識では理解できないような事象に、たまに出くわすんです。今後は統神君たちのお力で解明できるんじゃないかと期待しています」
今、「統神君たち」って言ったね。雨月と千歳を当てにしてるってこと? そんなの聞いてないよと言いたいけど、僕、器物破損と無断侵入と千歳を持ち出したというか、正確には盗んだ過去があるからなあ。強くは出られないよなあ。
雨月が僕の右肩をポンポンと叩いた。「まあ、なんとかなる」ってことだろう。
翌朝、目が覚めると六時だった。隣で寝ていたはずの雨月と千歳がいない。置きあがって台所を覗くと、雨月と千歳が台所で山菜を洗っている。
「おはよう。それ、どうしたの? 採ってきたの?」
「いや、俺たちではない。日の出前に昨夜の妖の気配を感じて外に出たら、これが玄関の前に置いてあった」
「そんなおとぎ話みたいなことがあるんだね」
「アレは、よほど春人を気に入ったらしいな。これは善意の贈り物だ。受け取って食べればいい」
ここはスマホが通じないからなあ。レシピどころか山菜の種類もわからない。どうしたらいいかな。
「オラ、山の中で働いていましたから、木こりたちの食べ方ならこれの食べ方を知っています。オラに任せてください」
「じゃあ、山菜は千歳に任せるね。僕は持ってきた食材で朝ごはんを作る」
千歳によると、妖が持ってきた山菜はタラの芽、コシアブラ、フキ、よもぎだそうな。フキは煮物、それ以外は天ぷらがいいらしい。旅先で山菜の天ぷらか。いいね、本格的な旅っぽい。
僕はこれからごはんを釜で炊く。この家はスマホが通じないから事前に釜での炊き方をプリントアウトしておいた。六人で五合炊く。残ったらおにぎりにしよう。
小鈴さんは「家の周りを掃除してきます」といって竹ぼうきを手に出ていった。
蛇口をひねって出てくるのは沢の水だ。台所で水が使われない間、流れ込む水は竹の筒で外に流されている。水は冷たく、飲むとなぜか甘みを感じる。米を研いで慎重に水加減をしていると、雨月が心配そうに見ている。
「釜で炊いたことはあるのか? 俺が米を炊いてやろうか?」
「雨月は慣れてるの?」
「そうだな。幸之助の僕だったときはたまに炊いていた」
「じゃあ、ご飯をお願い」
雨月は幸之助さんとはどんな主従関係だったのか。少なくとも僕よりは頼りがいのある主だったんだろうな。
僕がそう思うと同時に雨月が「春人とはまだ二月にもなっていない。幸之助とは七十年近くも一緒だった。焦る必要はない」と言う。七十年か……。
榊原家と一緒に来ると決まってから、とりあえず使えそうな食材は全部運んできた。てんぷら粉も卵もベーコンもある。
ベーコンはこんがり。目玉焼きは半熟に。お味噌汁はお麩と長ネギ。フキは一度茹でこぼしてから煮つけよう。
「おはようございます。統神君、何か手伝いましょうか?」
「おはようございます。榊原さんは料理は……」
「焼きそばしか作れません。面目ない」
「では待っていてくれれば大丈夫ですよ。そういえば、お母さんは誘わなくてよかったんですか?」
榊原さんが困ったような顔で口元だけ微笑み、板の間の翔君も様子を確認してから、小声になった。
「母は眠っていると思います。翔のことでずいぶん悩んでいましたからね。夜もよく眠れなかったようですし。母は自分も子供時代に学校がつらかったそうで、余計に翔の気持ちがわかるらしいんです。今回、私と翔が出かけると聞いて、ほっとしていました。御物部家に通うことも、翔が外出してくれるならと歓迎しています」
僕も中学時代は学校が苦痛だった。学校の中では息をひそめ、注目されないよう、意地悪されないよう、小さくなって過ごしていた。僕は自分を、逃げ場がない檻の中のネズミかウサギみたいだと思っていた。檻の中には優しい動物も肉食の猛獣もいた。猛獣にいつ目をつけられるかと、ビクビクしていたっけ。
「小鈴さんがランドセルの中にいてくれると思うだけで、翔は心強いのでしょう。連休明けにも登校すると言っていて、母はとても喜んでいます」
千歳と雨月は話を聞いているはずだけど何も言わない。雨月が見守っている釜はフツフツと音を立てているし、千歳が揚げている山菜は小さな山を作っている。山菜の天ぷらに、食欲をそそられる。
「米が炊けたぞ」
「オラの天ぷらももうすぐ終わりです」
「じゃ、朝ごはんにしよう」
座卓に料理を並べる前に、雨月がフキの丸く大きな葉っぱに、少しずつ料理とご飯を盛り付けている。僕が見ていると、「仏壇に供えたあとで食べれば無駄にならない」と教えてくれた。榊原さんが感心して見ている。
「なるほどねえ。古の日本人の心が、付喪神の中に残っているんですねえ」
「僕も雨月と暮らすようになってから、初めて知ることが多いです」
「うううん、やっぱり統神君が羨ましい」
その顔が本当に羨ましそうだ。
翔君が起きてきて、朝から豪華な食事になった。新鮮な山菜はほろ苦さと緑の香り。体が浄化されるような天ぷらだ。千歳は天ぷらを揚げるのは初めてだろうに、サクッと軽く揚がっている。あっ、僕の頭の中の知識も見たのかな。
「こういうお出かけで楽しいのは初めてだよ。僕は子供の頃からインドアだったからさ」
「春人さんもですか? 僕もです。家が一番だと思ってたけど、このお出かけはすごく楽しいです!」
翔君がそう言ってくれると僕も嬉しい。榊原兄弟と合流してよかった。雨月の勧めに従ってよかった。
しかし帰り支度を始める段になって、小鈴さんが妙なことを言いだした。
「夜中にあの狐とは別の、なにやら重い気配がしていましたね。なんだろうと意識を研ぎ澄ませましたが、死者の気配でした」
「来ていたな。この家の周りをぐるぐる歩き回りながら『違う、違う』と繰り返していた」
雨月が当然のことのように応じている。
「こわっ! 幽霊とか?」
「幽霊と言えば幽霊だが、正しくは死者の執念だ」
「死者の執念? それがこの家の周りをぐるぐる?」
幽霊よりよっぽど怖いじゃないか!
5月4-5日 月ー火 連休中の出来事




