3 制圧
日曜は家事をして過ごした。雨月は掃除をしてくれた。幸之助ひいじいちゃんの僕だったときも、毎日掃除をしていたそうだ。
家事をして雨月から話を聞いたり近所を案内したりしているうちに日曜は終った。
月曜日になり、朝もお米派の僕は目玉焼きとソーセージをフライパンで焼いている。
副菜は残りもののキャベツとにんじんの練りゴマ和え。お味噌汁はワカメと絹ごし豆腐。何かもう一品と考えて納豆を出した。
今朝も雨月は背筋を伸ばしたいい姿勢で食べている。
「あのさ、付喪神って、百年以上たった道具なんだよね?」
「そうだ。正確には人間に愛されて百年以上、だな」
「それなのになんで服装が現代風なの? 着物を着ているものかと思ってた」
「これが春人が好む服装だからだ。僕は主が好む服を着るものだ」
「へえ。僕の好みがわかるんだ?」
「お前の好みは把握している。怖がるものも知っている。お前は雷と幽霊、暴力が嫌いだ。春人は怖いものが多いな」
言われたことは当たりだけど、何それ気味が悪い。頭の中を覗かれているってこと?
納豆さえも品よく食べていた雨月が、「クッ」と笑った。
「なんで笑うのさ」
「春人は子供の頃から怖がりだったのを思い出した」
「子供はみんな怖がりだよ。わからないことばかりだから怖いんだ」
「大人の今も怖がりだろう。職場の川原とやらを怖がっている」
どういうこと? 川原さんは僕の上司で、とても厳しい人だ。挨拶、服装、髪型、区民の皆さんへの敬語の使い方。全てに厳しい。
でも、なんで会ったこともない人のことまで知っているんだ?
「言動に厳しいのはお前のためを思ってのことだろう。いい上司だ」
「待ってよ。僕が今考えたこともわかるの?」
「わかる。だからお前が助けを必要とするときは、呼ばれずとも駆け付ける。本当は刀状態の俺を足元に置いて仕事をしてくれるのが一番だが」
「いやいや、無理。日本刀を持って出勤する人なんていないから」
雨月が「ふむ」と言って一瞬考え込んだ。
「ではライフル用の肩掛け袋に俺を入れるのはどうだ? ちょうどいい大きさだ」
「僕はライフル用の肩掛け袋なんて見たこともないのに、なんでそんなことを知ってるの……。それにそんな袋を職場に持ち込んだら、何が入っているのか興味を持たれるって。中身が日本刀と知られたら、病院に送り込まれるし職を失うよ」
それにしても、僕の思考が筒抜けになるとは。じゃあ、きれいな女性を見て(わぁ、美人だ)と思ったら、それも筒抜けになるのか。
口には出さず、そう考えてから雨月を見た。
「そうだ。筒抜けだ」
「うわ、最悪」
「気にすることはない。若造の春人が考えることなど、何を知っても俺は驚かない」
「そうじゃなくて僕の私生活が」
「主従の間に隠すべき私生活などない。気にするな」
雨月が楽しそうに笑っている。それから真顔になって「お前に伝えておくことがある」と僕を見た。
「今日、お前と一緒に出勤する。お前の職場の近くで職を得た」
「仕事を見つけたの? いつの間に?」
「区役所から一番近い飲食店の給仕係だ。どうやって職を得たかは、いずれは教える」
「また『いずれ』なのか。店はマンダリンカフェ?」
「そうだ」
「僕はあの店には週イチで通ってるんだ。どうやって就職を決めたかは聞かないよ。なんだか怖い方法のような予感がする」
雨月は何も言わず、出した料理をきれいに食べ終えると食器を流しに運んだ。僕が食器を洗っている間にフロアワイパーで隅々まで床を拭き清めている。使い方を知っているらしい。なんでも知ってるんだなあと思ったところで、(僕の脳内を読んだからか)と納得した。
翌朝、一緒に家を出て二人で地下鉄に乗ったんだけど、雨月が「俺も稼ぐ。生活費は心配するな。春人は旨い飯を作ってくれればそれでいい」と、すごく優しい口調で言った。シンと静かな地下鉄の中で雨月の声は結構響いて、周囲の人が何人も僕たちを見た。
僕たちの関係を誤解されるようなセリフを言うのはやめてほしい。
そして男女を問わず、ほとんどの人が雨月を二度見した。雨月はとんでもなく美しいものね。
区役所の最寄り駅で降りて歩いている間も、雨月はたくさんの視線を集めた。区役所前で雨月と分かれてすぐ、僕は職場の女性に声をかけられた。
「統神さん、おはよう。さっきの人、お友達? すっごいイケメンだったわ」
「彼は親戚。田舎から東京に出てきたばかりだから、僕と一緒に出勤したんだ」
「あら、勤め先がこの辺ってこと?」
「そうだよ。マンダリンカフェらしい」
「へえ、そうなんだ。わかった」
何がわかったのかは察しがついた。彼を好きになっても無駄なのに。なにせ雨月は人間じゃないからね。
年金課の窓口でつつがなく午前の仕事を終え、休憩に入ろうと思っていたら男の怒声が響いた。
「上司を出せっつってんだよ。さっさとしろ! お前じゃ話にならない!」
「落ち着いてくださいっ!」
窓口の職員の声が怯えている。なにごとだ? とそっちを見て僕は固まった。
五十代の男が、包丁を持っている。それに気づいて走って逃げる来庁者さんが何人もいたけど、男より奥にいる人は逃げられないでいる。
僕はすかさず『雨月!』と心の中で叫んだ。本当に来てくれるのか? と思っていたら、自動ドアの向こうに雨月が見えた。
雨月は白いワイシャツに黒いベスト、黒のソムリエエプロンという格好で飛び込んできた。雨月は走ってきた勢いをそのままに、男に飛びかかった。
雨月は本当に一瞬で男を床にねじ伏せ、床に落ちた包丁を遠くに蹴り飛ばしてから僕を見た。口の動きで「大丈夫か?」と聞かれたから何度も大きくうなずくと、雨月は僕から視線を外して男を睨んだ。
走ってきた警備員、刺股で男を押さえる職員、警察に電話をする職員。スマホで一部始終を録画する来庁者たち。
所内は騒然としている。
雨月は刺股で男を押さえている職員に声をかけて場所を代わり、悠々と庁舎を出てカフェに戻った。
駆け付けた何人もの警察官が役所の人間に話を聞いていたが、そのうちの二人がマンダリンカフェに向かった。雨月に話を聞くのだろう。
僕は職員用食堂でカレーうどんを食べながら、心の中で謝ることにした。この謝罪も、雨月は聞き取ってくれるだろう。
ごめんね、雨月。僕が君を呼んだばかりに、面倒ごとに巻き込んじゃったね。警察官が君を怪しまないといいんだけど。
君のおかげで誰も怪我をしなかった。とても感謝してる。今夜は雨月が食べたいものを作るよ。外食でもいい。食べたいものを言ってね。
夕方に仕事を終えてマンダリンカフェに入ると、雨月が素早く席に来てくれた。
「六時で上がるからここで待ってろ」
「わかった」
そう返事をしてミルクティーだけを頼んで時間を潰した。
雨月は勤務初日にしてファンがついたようで、店内の女性たちが雨月を目で追っている。これが執事カフェだったら、雨月は間違いなく売上ナンバーワンだな。
六時二分に雨月はいつもの服装に戻って僕の席に来た。「帰るぞ」と言って僕を急かす。スマホで小説を読んでいた僕は、引っ立てられるようにして店を出た。
「夕飯はキジ肉の味噌焼きを食べたい。幸之助が褒美として何度か食べさせてくれた」
「キジ肉の代わりに鶏肉じゃダメかな。地鶏を買うからさ」
「地鶏でいいぞ。買い物をするんだな?」
「うん」
普段は行かない高級スーパーに寄って、地鶏の腿肉を多めに買った。もしかして雨月が荷物を持ってくれたりするのか? と思ったけどそれはなかった。
「お前といるときは両手を空けておきたい」
「なるほど。雨月、あの男を制圧してくれてありがとう。おかげで怪我人が出ずに済んだ」
「あれしきのこと、造作もない。あの男の利き腕を切り落としてやりたかったが、それではお前が困るんだろう?」
「当たり前だよ! そんなことをしたら雨月が刑務所に入れられちゃうよ!」
「そうだろうと思った。刑務所など、人ならざる俺には無意味だがな。一瞬でも春人から離れるのは不本意だからやめておいたのだ」
「切り落とすって、人間の姿でどうやって?」
「帰ったら見せてやる」
そう言って雨月がうっすらと笑う。すれ違った女性の二人組が雨月の笑顔に見惚れ、二人同時に振り返った。
帰宅して袋から食材を取り出していたら、「春人」と声をかけられた。「ん?」と振り返ったら、雨月がギラリと光る日本刀を手に立っていた。
(3月29~30日)日~月曜のできごと




