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付喪神のいる食卓   作者: 守雨


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2 大きな手の記憶

「うげつじん……? すみません、もう一度お名前をお願いします」

雨月うげつ迅雷丸じんらいまる宗親むねちか。満月の夜に生まれ、雨のように静かに敵を斬り、雷のように斬撃ざんげきが速いという意味だ。宗親は俺をこの世に送り出してくれた刀工の名だ。お前は親から何も聞かされていないのか」


 男は続けて丁寧に名前の字も教えてくれたが、名前が長い。

 

「何もって、何をです? いや、それよりあなたはどこから入ってきたんですか」

「どこからって……」

 

 雨月さんは僕を憐れむような表情で眺めてから「はあぁぁ」と盛大にため息をついた。


「お前の父親の哲也は、統神家とうがみけを嫌っていたからな。かおるはお前に何も伝えなかったのか? お前たちが出ていったあと、さくは何度も薫に手紙を書いて送ったはずだ」

「じいちゃんからの手紙? 母さんは手紙の話なんて何も……。最近じいちゃんの遺言状を受け取りましたけど、この家を遺すから受け取れと書いてあるだけでした。それと、母さんならだいぶ前に亡くなりました」

「……そうか。薫はもう旅立っていたのか」


 雨脚あまあしが一層強くなった。青白い光と同時に、バリバリッ! ドオン! と轟音がした。僕がビクッとしたのを見て、雨月さんがフッと微笑んだ。笑うとさっきまでの物憂げで冷酷そうな顔が一気に優しい表情に変わる。


「雷鳴ごときで腰を抜かしそうだな。座れ。倒れて怪我でもされたら困る」

「はい……」


 日焼けした畳の上で僕は体育座りをして膝を抱え、雨月さんは僕の前に胡坐あぐらをかいた。足が長い。そして幼な子に話をするかのように、彼と僕の関係を丁寧に説明してくれた。それによると……。


 統神家の直系には、僕のように先祖の能力を受け継ぐ者が現れるそうだ。

 その能力とは、付喪神つくもがみしもべにできる能力だとか。

 じいちゃんと母さんはその力を持っておらず、僕は三代ぶりに生まれた真の統神とうがみ、つまり付喪神をべる者だと。

 そして雨月さんは宗親むねちかという刀鍛冶が平安末期に作った打刀うちがたなの付喪神で、刀身は二尺六寸四分の、かなり長めの打刀だと。

 

 もう無理。さっさと逃げ出したい。

 雨音は少し弱くなってきたことだし、頭がおかしい人に何かされる前にここから出たい。

 だけど駆け足でこの人に勝てる気がしない。絶対に途中で捕まるだろう。ここは下手したてに出たほうがいい。

 

「申し訳ありませんが、おっしゃる意味がわかりません」

「だろうな。まあいい。そのうちわかる」

「そもそも付喪神って、民話の中の存在でしょう? 僕はその手の話を信じません。あなたが刀の付喪神という証拠があるんですか?」

「ある」


 胡坐をかいていた美形の男が一瞬で消えて、僕の前に刀が現れた。

 黒漆くろうるしさや、握りの部分は濃い紫と黒だ。二尺六寸四分と言われてもピンとこなかったけど、それは刃の部分だけのことらしい。鞘に入った状態だと差し渡しは一メートルを超える。日本刀を見るのは初めてだから、これが打刀うちがたなという種類の中で大きいのか小さいのかわからない。

 

 僕はパニックが起き始めているのを必死に堪えた。床の間を見ると、さっきまであった刀がない。つまり本当にこの刀が付喪神になって、今まで僕と話をしていた雨月さんは本物の付喪神つくもがみってこと?

 めまいが……。


 刀が消えて雨月さんが現れた。

 雨月さんが「しっかりしろ」と言いながら僕を支えてくれる。この人、人間じゃないのか。信じられないけど、この目で証拠の刀を見ちゃったよ。

 外が急に明るくなった。


「雨がやんだようなので、僕はじいちゃんのお墓に行ってから帰りたいです」

「わかった。俺が案内しよう」

 

 雨月さんに手を借りて立ち上がり、位牌に手を合わせてから家を出た。じいちゃんばあちゃん、その他のお位牌をどうするかは、落ち着いてから考えたい。じいちゃんとばあちゃんの位牌だけを持って帰るのは、ダメな気がする。

 雨月さんが集落の墓地に案内してくれた。歩きながら刀の握りはつかと呼ぶのだと教えてくれた。

 お墓に着き、僕は統神家代々の名前が刻まれた墓石に向かって話しかけた。


「じいちゃん、春人です。長いこと一人にして、ごめんなさい」


 伝えたいことはたくさんある。じいちゃんを一人で死なせた後悔、雨月さんをどうするんだというこれからの不安。

 だけど雨月さんは「俺はお前に仕え、守る」と言い張る。僕はどうしたら……。

 雨月さんもお墓に手を合わせ、「春人は俺が守ります。安心してください」と声に出している。

 あれ? この人、敬語も使えるんだね? 

 

 気が弱い僕は、結局雨月さんに押し切られた。バスと電車と新幹線を乗り継いで、今、雨月さんは僕の部屋にいる。彼が「あるじであるお前を守り仕えるのが俺の役目だ」と言って譲らなかったんだもの。それにしても僕がこの人の主って。


 もう夜の九時。猛烈におなかが空いている。精神的に疲れているときや混乱しているときこそ、カップ麺やコンビニの弁当ではなくてちゃんとした食事をしたい。それに料理をしていると心が無になって落ち着く。


「僕は夕飯を食べるけど、雨月さんはどうするの? 刀の付喪神は食事をするの?」

「いただきたい。この体だと腹が減る」


 雨月さんに質問したいことが山ほどあるけど、まずは夕食だ。

 ご飯を炊いている間にホッケの一夜干しを焼き、ほうれん草と油揚げのお味噌汁を作った。ちぎったキャベツと細切りにしたニンジンをさっと茹でて、白練りゴマと麺つゆで和えた。何かもうひと品作りたい。

 少し考えて木綿豆腐に片栗粉をまぶして揚げ焼きにした。上には刻んだ青ネギとおろし生姜しょうが

 雨月さんが僕の手元を興味深そうに見ている。


「慣れているんだな」

「母さんが亡くなってからの実家では、僕が家事を引き受けていたんだ。僕は料理が好きだし、温かくて美味しいものを食べたい。あと、母さんが『食べたもので体が作られているから』って繰り返していたのが忘れられないんだよね。雨月さんは……」

「さんづけはいらない。呼び捨てにしてくれ」

「わかった。さあできた。雨月も一緒に食べよう」


 雨月は美しい所作で食べる人だった。僕の料理を気に入ってくれたらしい。彼は無言で丁寧に食べていて、ご飯をお代わりした。そして全部を食べ終えると両手を合わせて頭を下げた。


「旨かった。こうして人の形で食事をするのは、三代前の幸之助こうのすけの時以来だ。残念なことに、朔と薫は能力を持っていなかったからな」

「じいちゃんと母さんは付喪神使いの能力を持っていなかったから、雨月は主従関係を結べず、人の姿にもなれなかったってことだね?」

「そうだ」


 食器を片付けようとして、雨月の箸がほとんど汚れていないことに気づいた。箸先のほんの一センチくらいしか食べ物に触れてない。雨月はお作法の先生みたいな食べ方をするんだな。


「寝るときはどうするの? ベッドは一台しかないし、雨月が寝られるようなソファもないんだけど」

「床で寝る。問題ない」

「毛布は?」

「不要だ」

「お風呂は?」

「入りたい。風呂は好きだ」


 交代でお風呂に入り、僕がベッドで雨月は床のラグマットの上でごろ寝だ。枕もいらないと言われたけど、僕が気になるからクッションを使ってもらった。目を閉じたけど、部屋に付喪神の大柄な男がいる状況が気になって眠れない。

 何度も寝がえりを打っていたら話しかけられた。


「眠れないのか」

「うん」

「俺のことは気にするな。お前は安心して今までどおり暮らせばいい」


 気になっていたのはそれだ。僕は今までどおりに暮らしたい。僕はむくりと起き上がった。

 

「僕は区役所の職員なんだ。月曜になったら出勤するけど、雨月を連れて出勤するわけにはいかないからね?」

「勤め先が役所か。近くに店はあるか?」

「一番近いのは向かいにあるマンダリンカフェだね」

「ではその店長の姿を思い浮かべろ」


 言われるままに店長を思い浮かべた。四十代後半で、あご髭を生やし、愛想のいい店長。真っ白な制服、黒いエプロン。

 雨月は僕をジッと見ていたが、「終わった。もういいぞ」と言う。何が終わったのか聞いたけど、雨月は僕を見て微笑むだけ。美形の微笑が眩しくて思わず目を逸らした。


「お前が眠れないなら、俺は少し外に出てくる。遠くには行かない」

 

 そう言ってベランダに出ると、雨月は迷いもなく五階のベランダからふわっと飛び降りた。

 僕は咄嗟とっさに自分の口を自分で押さえた。そうでもしないと夜遅くに悲鳴をあげてしまいそうだった。

 ベランダに出て下を見ると、雨月はマンション前の歩道に立って周囲を見回している。何をしているんだ?

 そのうち力ない笑いがこみ上げてきた。昨日まで規則正しくて平穏だった僕の生活は、今やすっかりカオスだ。

 

 夜の歩道に立っている雨月を眺めながら、山を下りてからここに来るまでのことを思い返した。

 雨月は列車の外を興味深そうに見ていたが、ときどき何かを見つけるらしい。窓に顔を近づけて通り過ぎた場所を目で追っていた。

 付喪神の目に何が見えたのか聞いてみたけれど、「一度にあれこれ説明しても無理だろうから、おいおいな」と言って教えてくれなかった。今は夜の歩道で何を見ているんだろう。


 それにしても、彼は僕のことをまだ五歳児であるかのように扱う。

 雨月を眺めるのはやめてベッドに入ったら、雨月がベランダから戻ってきた。どうやって戻ってきたのか、最後まで見ておけばよかった。


「何をしていたの?」

「周囲の小さき者どもに、俺が春人のしもべだと名乗ってきた」

 

 どうせ聞いても教えてくれないんだろうけど、小さき者どもってなんだ? 僕が目を閉じていたら、優しく頭を撫でられた。

 撫でられて思い出した。

 あの山の家から親子で引っ越す直前、こうやってそっと頭を撫でてくれる人がいた。

 僕はじいちゃんと一緒の部屋で寝ていたけれど、その大きな手は、じいちゃんの反対側から僕を撫でていた。

 あの手は雨月だったのか。

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