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付喪神のいる食卓   作者: 守雨


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1 遺された山奥の一軒家

本作品に書かれている地名人名などは全て架空のものです。

 帰宅したら、大判の茶封筒が届いていた。差出人はとある県にある行政書士事務所だ。

 中には印刷された手紙と複数の書類、普通の封筒も入っている。

 印刷された手紙には母方の祖父が亡くなったこと、祖父が住んでいた家と土地が僕に遺されたことが書かれていた。

 内容を理解して途方に暮れる。

 

 これ、間違いなく貰って困るやつだ。じいちゃんちには五歳まで住んでいたから、わずかに記憶がある。

 僕に残されたのは地方の山奥の一軒家。東京からだと新幹線と在来線と路線バスを乗り継ぎ、最後は徒歩。山の中腹の一軒家まで延々と坂道を上らなくてはならない家。

 

 両親はじいちゃんから縁を切られたそうで、あの家を出てからは交流は全くなかった。少なくとも僕は五歳以降、あの家には一度も行ったことがない。だから遺された家には思い入れがない。

 これは家が傷む前にさっさと売るしかないと思ったが、同封されていたじいちゃんの直筆の手紙を読んで気が変わった。


統神とうがみ春人はると

 

 春人にこの家と土地を遺すから受け取るように。

 そして、統神とうがみ家の人間として、役目を果たしなさい。

 健闘を祈る。          統神とうがみさく


 役目を果たせというのは、家の管理をしろということだろうか。

 じいちゃんの最期の願いを無視するのは、あまりに薄情だろう。健闘を祈られちゃってるし。

 せめてあの家まで行って手を合わせ、「ごめんねじいちゃん。僕の手には余る代物だよ」と頭を下げてこよう。家と土地を手放すのはそれからだ。

 夕飯を作って食べ終え、お風呂に入った。鏡には「優しそう」とよく言われる、気弱そうな僕が映っている。インドア派二十七歳の僕に、山奥の古い一軒家を遺されても。どう考えても無理だよ。僕に古民家の管理なんてできるわけがない。


 土曜日、じいちゃんの家に向かう。

 一度県庁所在地の大きな街へ寄り、行政書士事務所で土地の権利書と鍵、銃砲刀剣類登録証を受け取った。

 事務所の人に「この銃砲刀剣類登録証というのは?」と尋ねたら、じいちゃんは古い日本刀を所有していたのだとか。刀を売るにしても名義変更が必要らしい。

 

 再び在来線の席に座ってじいちゃんのことを思い出そうとしたけど、五歳までの記憶はあまり残っていない。わずかに残っている記憶のひとつは、僕が怪我をしたことだ。

 左手の親指から結構な血が流れ、僕はギャンギャン泣いた。それを見た父さんがじいちゃんに向かって大きな声で何か言った。その後わりとすぐに両親と僕はあの家を出た。

 母さんは実家を出る際に少し寂しそうだった気がするけど、それは僕が勝手に作った記憶かもしれない。今となっては何もかもが濃い霧の中だ。


 東京は山奥の一軒家とは別の国みたいで驚いたけれど、五歳の僕はすぐに都会の暮らしに馴染んだ。

 親子三人であちこちに出かけて楽しく過ごした。楽しい日々が十年過ぎて、母さんは僕が中三の年に病気で亡くなった。

 その後は父さんと二人暮らし。男二人で協力して、そこそこ平和に暮らした。

 

 僕が大学に進学した年、父さんが再婚した。それをきっかけに僕は家を出て一人暮らしを始めた。新しい母親は引き留めてくれたけど、僕は父さんの再婚生活を邪魔したくなかった。それから二十七歳の現在に至るまで、一人暮らしは続いている。


 じいちゃんちの最寄駅から路線バスに乗り、僕の苗字と同じ『統神とうがみ』というバス停で降りた。

 バスに乗っている間、コンビニは一軒も見かけなかった。服も肉も花の種もトイレットペーパーも売っているような商店が一軒だけ。

 

 バス停の周囲には歴史を感じさせる民家が並んでいる。この集落の人たちはどこで買い物をするんだろう。周囲を見回せば、民家の他には濃い緑の森と畑しかない。

 長い坂道を上りますかと気を引き締めたところで、背後から「何かご用ですか?」と声をかけられた。

 少し距離を置いて、七十代と思われる女性がクワを片手に立っている。


「こんにちは。僕は統神とうがみさくの孫の統神とうがみ春人はるとです。これからじいちゃんちまで行くところです」

「ありゃま! あんたハル坊かい! おばちゃんびっくりだよ。おっきくなったねえ! 朔さんのこと、ご愁傷様でした。私が朔さんちまで車で送ってやるから、ちょっと待ってて」

「え、いや……」


 女性は僕の言葉を聞く様子もなくバス停前の家に入り、すぐに出てきた。白い軽トラックを僕の前に停めて「さ、乗って」と笑顔で言う。断る理由がないから僕が助手席に乗ると、女性は結構な勢いで軽トラを発進させた。運転が荒い。

 じいちゃんちの前で軽トラを下りた僕は、十五分くらいの間に車酔いしていた。三半規管が弱いのは昔からだ。


「じゃあね。何か困ったらうちに声をかけて」


 そう言って女性は去ったが、連絡先どころか名前も聞いていない。まあ、いいけども。軽トラの中で確認したけど、くねくねした上り坂の途中からスマホが圏外だった。ということは怪我をしても救急車を呼べないってことだ。怪我をしないように気をつけよう。

 古風な形の鍵で玄関の引き戸を開けると、少しだけ淀んだ空気の匂いがした。家の中はきれいに片付いている。


 三畳くらいの三和土たたきを上がると八畳くらいの板の間。板の間の中央に囲炉裏いろりが切ってある。

 板の間の右手に台所。左手には六畳のじいちゃんの部屋。板の間の奥が六畳の部屋で、両親の部屋だった。

 家を見たら思い出した。僕はじいちゃんと寝ていたな。


 じいちゃんの部屋には簡素な仏壇があった。その脇にある床の間に目をやると日本刀が一振り、刀掛けの上に置かれている。登録されている刀とはこれか。顔を近づけてしげしげと刀を見た。

 刃の部分を見てみたくなって刀に手を伸ばしたら、遠くで雷の音がした。慌ててスマホで雨雲レーダーを確認しようとして、圏外の表示に脱力する。圏外の表示ってこんなに心細くさせるものなのか。

 山を下りる途中で雷雨に遭遇なんて事態は避けたい。さっさとこの家を出ようと仏壇に手を合わせた。


「じいちゃん、春人です。せっかく僕に家を遺してくれたのに申し訳ないんだけど、僕はこの家には住めないから、ここは売ることになります。お許しください。なぁむぅ……ん?」


 今、何かの気配がした。タヌキとか? まさかクマじゃないよね。いや、一番危険なのは人間か。

 外がカッと白くなった。すぐにドドーンと雷が落ちる音がした。とっさに秒数を数えていたけど、光ってから音がするまで四秒。音は一秒で三百四十メートル進むから、雷が落ちたのは千三百六十メートル先だ。近いな。近い。怖い怖い。

 急いで坂道を下るべきか、この家で雷雲が通り過ぎるのを待つべきか。

 

 さっき、あの女性は時速四十キロくらいで細くてくねくねしている山道をかっ飛ばしていた。それが十五分。あの山道、およそ十キロもあるのか! 大人になってからそんなに歩いたことがないんだけどなあ。

 雨雲が通り過ぎるのを待とう。そうしよう。

 

 稲光と雷鳴の間隔が短くなっている。今も外が青白く光ってドドーンと音がした。今度の時間差は三秒。雷雲かみなりぐもが近づいている。外が急に暗くなった。レトロな電球のスイッチをひねったけど、明かりはつかない。ブレーカーを落としてあるのか?

 そのとき背後で何かが動く気配がした。絶対にした。

 振り向くのは怖いけど、振り向かないのはもっと怖い。ゆっくり後ろを向いたら、背の高い男が立っていた。


「ひゃあああっ!」


 声が裏返った。僕の後ろにいたのは身長が百八十センチを軽く超えていそうな、歳の頃は三十くらいの、すんごい美形の男だ。

 男は無言で僕を見ている。

 少し癖のある長い黒髪は後ろで雑に束ねられていた。着ているのは白い丸首シャツとチャコールグレーのジャケットで、下は黒い細身のズボン。足元は裸足はだし。どこも汚れていないから、ここに住み着いていた浮浪者ではなさそう。

 男が無表情に僕を見ながら一歩、二歩と僕に近づいてきた。向かい合ったまま慌てて後ろに下がったら、壁にぶつかった。しまった、追い詰められた。しかも、雨が地面を叩く音が聞こえてきた。


春人はると、大きくなったな」

「ぼ、僕を知っているんですか?」

「知っているさ。お前は自分の指から血が出るのを見て、びゃあびゃあ泣いていた」


 男が僕の左手を取り、僕の親指にある古傷をスリッと撫でた。この人、体温が低い。

 あの場面にこの人がいた? 全く覚えていないんですけど?

 男の声は低く、心を落ち着かせてくれるいい声だ。彼の声のおかげで少し落ち着いた。

 男は見れば見るほど美しく聡明そうな顔。形のいい眉、切れ長の涼しげな目とまっすぐな鼻梁。薄い唇。大男だけど鈍重な感じは欠片かけらもない。

 男がまた口を開いた。


「俺の名は雨月うげつ迅雷丸じんらいまる宗親むねちか。お前が帰るのを待っていた」


 地面と屋根を叩く雨音が大きくなった。




3月28日(土)のできごと。

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