27 なんでも手巻き寿司
透子さんに「そろそろ翔さんのところへ戻りましょう」と言われて元の部屋に戻ると、小鈴さんと翔君が話し込んでいた。翔君は可愛い顔立ちなのに表情が少ない子だなと思っていたけれど、小鈴さんと話をしているときは十歳らしい無邪気な笑顔だ。
「お兄ちゃんお帰り。僕ね、学校に行くよ。小鈴さんが一緒に来てくれるんだって」
「翔様、私のことは小鈴とお呼びください」
「わかった。じゃあ、小鈴も僕のことを翔君って呼んでよ。雨月さんなんか統神さんのことをお前って呼んだり呼び捨てしているんだから、いいよね?」
僕が雨月をチラリと見たら、雨月はそっと顔を背けた。その気まずそうな顔がおかしくて、思わず笑ってしまう。
「私と母は、翔がつらいなら無理に登校しなくてもいいと思っていたんです。でも、本人がその気になってくれたのならこんなに嬉しいことはありません。小鈴さん、ありがとう」
「学校に行くときは簪の姿で翔様の懐から見守るだけになります」
「僕はそれだけでも心強いよ」
翔君は付喪神使いと付喪神について学ぶため、しばらくは下校後に透子さんの家へ通うことになった。それも翔君にとってはいいことだと思う。自宅の部屋に閉じこもっているよりずっといい。
これで集まりは解散になった。
僕たち三人は帰りながら、いろんな話をした。
雨月は刀の付喪神だから武士の世界には詳しいけど、学校のことはあまり知らないらしい。ひいじいちゃんの幸之助さんが子供のとき、雨月は学校にはついて行かなかったそうだ。それはひいじいちゃんの親の意見だったからだとか。
「そもそも大男の雨月が一緒に学校についていくわけにも、幸之助さんが日本刀を持って登校するわけにもいかないしね」
「まあ、そのとおりなんだが。春人に言われるとなぜか腹立たしい」
渋い顔の雨月を見て、千歳が笑う。千歳の笑顔を見ていると、僕も笑ってしまう。雨月がますます渋い顔になるのがおかしかった。
この二人と暮らし始めてから、僕はよく笑うようになった。僕は元々社交的な性格ではないし、父さんの意向で五歳からずっと勉強三昧な生活をしていた。友達と遊ぶようになったのは、私立の学校をドロップアウトしてからだ。それ以降だって、こんなに笑って暮らすことはなかった。
「ねえ雨月、僕はね、君たちと暮らすようになった今が、一番笑って暮らしているよ」
こんなことを言ったら、雨月はきっと僕をからかうんだと思っていた。だけど雨月は足を止めて僕を真顔で見た。
「お前が東京に去ってから、そんな生活をしているとは思っていなかった。つらかったな」
「それがね、子供時代はその生活しか知らないから、それが普通だと思っていたんだよ。でもね、首輪が外れて自由を知ってから、『苦しくない学校もあったのか』って思ったかな」
それは本当のことだった。今のような楽しい暮らしを知らなかったわけだから、それほど苦しいって記憶があるわけじゃない。ただ、日々がいつも息苦しかった感じだ。
そう言って歩き出したら、僕の右側を歩いていた千歳が、顔をくしゃくしゃにして泣いている。
「なに? どうした? 今の話で泣くとこなんてあった?」
「春人さんが思い浮かべた子供の頃の景色を見たら……。春人さん、可哀想だった」
あ、そうか。そんなに泣くほど可哀想だったか。雨月や千歳が僕の頭の中をどんなふうに見えているのか、いまいちわからない。
「オラにはこう、たくさんの写真をバーッと並べたみたいに見えます。春人さんが楽しそうに笑ってる場面がほとんどなくて、胸がギュッと詰まって苦しくなりました」
千歳が涙を流しながら歩くものだから、彼とすれ違った人が振り返っている。
「千歳、泣くのをやめろ。春人が困っているぞ」
「はい、すんません、兄貴」
「僕が言いたいのはね、今がとっても幸せだってことさ。ねえ、今夜は肉と魚、どっちが食べたい?」
「俺はどっちでもいいぞ」
「オラは肉が好きです!」
「じゃあ、『なんでも手巻き寿司』にしようか。具がお刺身だけじゃなくて、なんでもありなんだ」
「いいですねえ。オラ、急に腹が減りました」
なんでも手巻きは、大学時代の友人で鉄道マニアの早瀬君に教わった。僕が「手巻き寿司を食べたいけど、一人分の具って売ってないんだよね」と言ったら教えてくれた。早瀬君は「今夜、僕んちで食べる?」と言ってくれたけど、僕は断った。その頃の早瀬君は彼女ができたばかりで、彼女との時間を邪魔するのもなあと思ったからだ。でも断ったあとで、素直に誘われるべきだったか? と気にしたっけ。
「気にし過ぎだ」
「そうなんだ、気にし過ぎなんだよ。僕の悪い癖なんだ。すぐくよくよしちゃって」
「悪い癖というより、お前の優しさ故だな。お前は気づいていなくても、その優しさに救われた者は多いと思うぞ」
「そんな人がいたらいいと思うけど、思い当たらないなあ」
夕食のテーブルには、手巻き用のお刺身、カニカマ、キュウリ、たくわん、卵焼き、水にさらした薄切りの玉ねぎ、棒状に切ってこんがり焼いた練り物系ハンバーグ、細かく切って焼いた豚肉の生姜焼き。酢飯はすし酢を使って簡単に。白ゴマ少々を酢飯に混ぜるのが僕の好み。海苔は一枚一枚ガスの火でパリッとさせてから半分に切った。お味噌汁はワカメと長ネギ。
三人で手を合わせて「いただきます」を言って、食べ始めた。
一人暮らしだと手巻き寿司はしないから、これは実に久しぶりだ。僕は子供の頃にたくわんにはまっていて、たくわん手巻きをずっと食べたっけ。母さんはイクラ手巻きが好きだった。
「あっ……」
イクラの手巻きずしを嬉しそうに食べている母さんの顔を思い出した。
母さんの他の記憶はぼんやりしているのに、食べ物にまつわる記憶だと、どうしてこんなにくっきり覚えているんだろう。僕の中で、母さんの記憶は病気になってからのものが多い。もっと笑っている母さんのことを思い出したいものだ。
「薫が好きだったものを作ってみたら思い出すんじゃないか? 子供の頃の薫は桜でんぶが好きだったぞ。薫は母の楓にねだって、よく作ってもらっていた」
「桜でんぶか。そう言えば手作りの桜でんぶが、よく食事に出てたよ」
「薫が子供の頃は、桜でんぶが出ると薫が一人で食べていた。朔が『俺も桜でんぶが好きなんだが、薫があんなに嬉しそうに食べているからなあ』と言って味見程度にしか食べなかった。あれは作るのにかなり手間がかかるから、朔は薫にたくさん食べさせたかったのだろう」
いい話だなあ。じいちゃんて、昔の人にしては威張っていなかったんだね。
「明日も休みだし、明日、桜でんぶを作ろうかな。母さんの遺影にお供えしたい」
「薫が喜ぶな」
「オラ、桜でんぶを知らないです。楽しみだなあ」
なんでも手巻きはすごく楽しかった。雨月はまんべんなく食べ、千歳は豚肉の生姜焼きを好んで食べていた。僕はたくわんを多めに食べた。
全部食べ終わってから、お風呂に入った。今夜は雨月が背中を流してくれると言う。「毎日背中を流さなくていいんだよ」と言っても「いや、俺が流したい」と言うので頼んだのだけど。
背中を流しながら、雨月が思いがけないことを聞いてきた。
「薫は統神の家を出てから幸せだったのか?」
「どうだろう。まあまあ普通に幸せだったと思う。自分で選んだ人と結婚したわけだし」
「よく笑っていたか?」
「母さんは穏やかで控えめな人だから、大笑いはしなかったかな。穏やかに微笑むことは多かった。あんまり陽気ではないところは僕と似ているのかもね」
「朔の料理好きと薫の控えめな性格が、お前に引き継がれたんだな」
普段、「僕は天涯孤独のようなもの」と思って生きているけど、そう言われると嬉しいもんだね。
「僕の中にはじいちゃんや母さんがいるんだね」
「幸之助に似ている部分もある。今度それを話してやろう」
「今じゃないのか。引っ張るね」
「ふふふ」
鏡の中の雨月が楽しそうで、僕もつられて笑ってしまう。
5月3日 日曜のできごと




