23 榊原清隆の弟、榊原翔
「私は祖父の影響で日本の幽霊や妖怪などに興味があったんですが、弟は全く興味がありませんでした。その弟のことで統神君に話があるんです」
僕と榊原さんが向かい合ってイスに座り、雨月と千歳はベッドに並んで座った。
榊原さんが長い説明をした。
榊原さんの祖父はベルギー人、祖母が日本人。二人の間に生まれた女性が榊原清隆さんの母親で、夫は若くして亡くなり、再婚した男性との間にできたのが弟さんで、名前は翔君。まだ十歳だそうだ。
祖父母が続けて亡くなり、榊原さん一家は祖父母が遺した松濤の家と土地を相続して引っ越した。そこで御物部透子さんのご近所さんになったそうだ。
「松濤に引っ越してから父と母は喧嘩が絶えなくなり、結局離婚しました。父は松濤の土地と家を売ってお金に替えたがっていたんです。その父とはもう音信不通で、どこにいるかさえわかりません。でも問題は父ではなく、弟の翔のことです」
弟さんは御物部家の近くを通るたびに「ここ、いろんな人の声がする。たくさんの人がわけのわからないことをしゃべってるんだ」と言い出すようになった。だが、翔君と二人で歩いても榊原さんには何も聞こえない。母親も同じく。
翔君は学校で友達にその話をした。結果、クラスで浮いてしまって不登校になったそうだ。
母親は翔君の一連の行動に戸惑い、悲しんだ。だが元々祖父の怪異話収集に興味があった榊原さんは御物部家に原因があるのではないかと考えた。
「私は御物部家の歴史を調べ、透子さんから話を聞くために彼女の屋敷へ通いました。ある程度親しくなってから、透子さんから付喪神使いの話を聞き、蔵の中も見せてもらいました。ですが僕にはやはり何も聞こえず感じなかった。だから私は透子さんの話を信じ切れないでいたんです」
話を聞く限り、椿さんと葵さんは手鏡の姿になって見せることはなかったわけだ。
「それから一年近くたって、あの事件が起きました。包丁を持った男に向かって、雨月さんが尋常ならざる速さで駆け付け、一瞬で制圧した。さらに、何かですっぱりと壁を切り裂かれた空き家から君たちが出てきた。あれを見てやっと、透子さんの付喪神使いの話が本当なのでは? と思ったのです」
「そうですか……」
「ねえ統神君、君は付喪神使いなのでは? そして雨月さんは付喪神。そちらの千歳さんも斧の付喪神なのでは?」
「そのとおり。お前の弟は嘘をいっているのではない。稀な力を持っている子なのだろう」
「雨月?」
それ言っちゃうの? ベッドに座っていた雨月は、榊原さんを穏やかな表情で眺めている。
「翔の両親のどちらかが付喪神使いの末裔なのだろう。だが春人と同じで親たちから何も知らされずに育ったわけだ。長く付喪神使いが現れず、力の存在を忘れてしまった傍系の家は少なくない」
「では、私の弟は……」
「ずっと本当のことを言っていたのだ」
「そうですか……」
榊原さんが雨月を見詰めたまま、泣きそうな顔になった。
「透子が説明したかどうか知らんが、御物部家の蔵には多くの付喪神が収められている。お前の弟は彼らの声を聞いていたのだ」
「だったら……私の弟にも付喪神の僕を持たせてあげられたらいいのに。そうしたら、引きこもってしまった弟の心も癒されるんじゃないでしょうか。雨月さんたちと一緒にいる統神君は、以前よりもずっと楽しそうですから」
それはどうだろう。僕の経験を振り返れば、安易にそれは勧められない。
付喪神は人の姿になって過ごすことを望むけど、十歳の弟さんにとって、それは無理がある。弟さんは不登校だそうだが、付喪神を連れては学校に行けない。学校へ通うようになれば、僕は主から離れてしまうから人の姿になれない。つまり、妖が弟さんに寄ってきても主を守れないってことだ。
「昔ならいざ知らず、現代で子供が付喪神を僕に持つのは問題が多すぎると思います。せめて大人になってからのほうが」
「それは私も考えました。それに、付喪神となった古い道具なんて我が家にはありませんしね」
榊原さんは納得したらしく、「弟が妄想や嘘を話しているのではないとわかっただけでも、大収穫です」と言って立ち上がった。玄関で靴を履きながら、榊原さんが提案を切り出した。
「あのう、私の弟と会ってやってくれませんか。同じ能力を持っている先輩として」
そのくらいはいいと思ったから「お会いします」と答えたら、「明日の夜はいかがです?」と畳みかけられた。
それも問題ないと思った。明日の夜、弟さんに会う約束をして、榊原さんを見送った。
◇
「初めまして。榊原翔です。兄がお世話になっています」
「いやいや、君のお兄さんは僕の上司だから。お世話されるのは僕のほうだよ」
「でも、うちのお兄ちゃんは変わっていますから」
「あー、あはは」
思わず笑ってしまった。弟から見ても榊原兄は変わって見えるのか。
翔君の見た目は女の子みたいに愛らしい。お兄さんは和風な顔立ちだけど、翔君は目がぱっちりしていてまつ毛が長く、唇もふっくらしている。アイドル系の顔立ちだ。
それにしても十歳にしては、ずいぶん大人びたしゃべり方をするんだな。
「翔君は他の人には聞こえない声が聞こえるそうだね」
「はい。ですがそれをうっかり同級生に話したら、わかりやすく仲間外れにされました。馬鹿なことしたと反省しています。統神さんは? 僕と似た症状があるんですか」
「君と似た症状、というより、現実に付喪神はしゃべったりご飯を食べたりするからね」
「僕に同情して話を合わせているんじゃありませんよね?」
翔君の精神年齢は、実年齢よりずっと上なんだろう。「ほんとですか?」でもなく「やった! 仲間がいた!」でもなかった。
「同情していないし、話を合わせてもいないよ。翔君はこの二人が人間じゃないって言ったら、驚くかな」
僕がそう言ってうちの付喪神たちを見ると、翔君はふらりと立ち上がった。二人の前に進み、「触ってもいいですか?」と雨月に聞いた。雨月が無表情にうなずいて手を差し出した。その手を握った翔君が「わ、ひんやりしてる」と驚いている。千歳が「オラの手もどうぞ」といって分厚くて大きな手を差し出した。翔君は千歳の手も握って、「この人の手もひんやりしている」とつぶやいた。
雨月が翔君に話しかけた。
「お前にだけ聞こえる声というのは、こういう声か?」
「……あっ! これです。これ、なんなんですか? 頭の中に直接話しかけられてるみたいなんですけど」
「付喪神使いだけが聞こえる、付喪神の声だ。俺は春人にはこれを使わないでいる。春人は驚くだろうからな」
今のは僕にも聞こえた。雨月は『御物部家から聞こえたのは、こういう声だろう?』と声を出さずに言ったのだ。
僕は雨月から順を追って付喪神について説明されてきた。「まだ早い」「そのうちに」と何度言われたか。そういう経緯なしにいきなり頭の中で声が聞こえたら、十歳の少年は恐怖を感じるのでは?
「この子は冷静で怖がっていない」
僕が十歳の翔君より怖がりだと言われたようで悔しい。いや、そう言っているのか。
それまで黙って僕らのやり取りを聞いていた榊原兄が「先輩がいてよかったな、翔」と安堵の表情で言う。榊原兄は父親代わりのような立ち位置なのか。榊原兄が立ち上がり、ベランダの窓を開けた。
もしかしたら妖が入ってくるかもしれないから閉めていたのに。案の定、居間の空中にふわっと黒いものが現れた。
「翔、見ていろ」
雨月が立ち上がった。その右手が刀を握っている。翔君はぽかんと口を開けて雨月の刀を見ていたが、遅れて妖に気づいた。
「それ、なんですか! わ! こっちに来る!」
「動くな」
そう言うなり、雨月がシャッと刀を左から右へと真横に振った。妖は「キィ」と声を出して消えた。僕には見慣れた光景だけど、翔君は硬直している。初めて見たら、そりゃ驚くよね。
「今のは小物の妖だ。春人の精気に引き寄せられて入ってきた。何もしなければ春人はアレに精気を吸われる。あの程度の小者ならすぐにどうこうなることはないが、数が多かったり長い間精気を吸われれば、春人が弱る」
「ぼ、僕にもあんなのが寄ってくるんですか?」
「今のままならあまり心配はない。だが春人のように付喪神を僕にすれば、お前の力は増し、精気も増える。そうなれば妖も寄ってくるぞ」
翔君は賢そうな顔で考え込んでいたが、僕を見て口を開いた。とても真剣な表情だ。
「統神さんは、付喪神使いになって、よかったですか?」
「僕はよかったと思っている。お兄さんの言うとおり、毎日が楽しくなった。事情があって、雨月が僕の僕と知ったのはつい最近なんだ。質問の答えだけど、僕がよかったからといって、翔君に付喪神を勧めようとは思わない。だって彼らとの契約は、『やっぱりやめた』は無しの契約だからね。一生の契約なんだよ」
「一生、ですか」
「そう。親兄弟よりも濃く長い時間を共にするってことだから、よくよく考えてからがいいと思ってる」




