21 御物部家の蔵の中
蔵の中に入ってすぐ、全身がゾワッとした。
たくさんの人に見つめられているような感じがする。隣の千歳を見ると、無言で両腕を摩りながら蔵の中を見回している。
椿さんが「ご安心ください。静かにするよう、言い聞かせましたので」と微笑む。
透子さんが椿さんたちを先に行かせたのは、そのためか。ということは、この中に付喪神がいるってこと? それも、この感じだと一人じゃないような。
「俺が言っていたのは、こういうことだ。付喪神使いだからと言って、出会った付喪神を全部引き受けることなどできない」
「オラが春人様に拾ってもらえたのは、運がよかったんですね」
「そういうことだ」
珍しく千歳が小さな声だ。
さっき透子さんが「好きな品を選んで蓋を開けていい」と言っていたけど、開ける勇気がなくなった。それが付喪神だったら、「僕にしてくれるのか?」と期待させてしまいそうで。
千歳が空き家での日々をどんな気持ちて過ごしていたかを知った今は、この蔵の中の付喪神たちにぬか喜びをさせたくない。
雨月はしばらく蔵の中を見まわしていたけど、奥の棚の上の段を目指して大股で進んだ。上の段に置いてある柳行李を指さして透子さんに尋ねる。
「これを開けてもよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ。もしかして、その中の付喪神と知り合い?」
「はい」
雨月が柳行李を棚から下ろし、手近な茶箱の上に置いた。蓋を開け、中から細長い桐箱を大切そうに取り出して、その蓋も開けた。緋色の布を左右に広げると、銀色の簪が現れた。
雨月がじっと簪を見詰めている。懐かしんでいるような喜んでいるような。こんな表情は初めて見る。
「その簪を知っているのね。その子に会うのは、いつ以来なのかしら?」
「最後に会ったのは文政八年、異国船打ち払い令が出された年でした」
二人が顔を合わせるのは四百年ぶりなのか。付喪神が生きている世界の時の流れは、僕たちとはあまりにも違う。
「小鈴の最後の主は若くして亡くなったそうです。それからいろいろな人を経て我が家に来ました。その子は我が家で次の主が現れるのを、長い時間待っているんです」
「春人にはもう、俺と千歳がいます。小鈴には申し訳ないのですが、これ以上は」
「そうね。僕が三人ともなると、いろいろ大変ですものね」
雨月と透子さんが、僕の意見を聞かずに話をしているよ。まあ、僕も三人の付喪神はさすがに遠慮するけども。
雨月は簪にむかって「縁があれば、また会おう」と話しかけ、緋色の布で再びかんざしを包み、桐箱の蓋を閉めた。
「血の契りは気軽に結べませんもの、慎重になるのが正しいわ。とはいえ、私が椿と葵を選んだのは直観でした。五歳児の直観でしたが、結果的には正しい選択でした。この子たちのおかげで、私の人生は楽しく幸せでした」
僕はじいちゃんに言われるまま、理由もわからずに雨月と血の契りを交わした。でもそれでよかった。雨月は何事にも自信がない僕に寄り添ってくれる。千歳もそう。一緒に暮らしてみたら、毎日が楽しい。
蔵を出たところで透子さんに「お濃茶と和菓子はいかが?」と勧められたけど、僕たちは辞退して御物部邸を後にした。
御物部家の門を出て少し歩いてから、僕は胸の底から息を吐いた。
「はあぁぁ、あの蔵の中、すごく息苦しかった」
「オラ、みんなの声がまだ耳に残っています」
「僕は何も聞こえなかったけど、たくさんの目が僕に向けられているのは感じたよ。ちょっと怖かった」
「椿と葵が先に蔵へ行き、春人の耳に何も入れるなと釘を刺したようだな。だが、俺と千歳には彼らの声が丸聞こえだった」
「なんて言ってたの?」
「春人が聞けば胸が痛むような言葉だ。お前は優しいから、彼らの言葉を聞けば同情して苦しむだろう。聞かなくてよかったのだ。透子様の配慮に感謝するといい」
「そうだったのか……」
百年を超す道具なんて希少なものだと思っていたけど。あるところにはあるんだな。付喪神も、透子様みたいな人の家には集まっているわけだ。透子様はそんな環境で手鏡を僕に選んだ。透子様みたいな由緒正しそうな家の人が手鏡。僕はへなちょこインドア派なのにキレッキレの日本刀と伐採斧。なんだか分不相応のお手本みたいになってない?
「春人さんはへなちょこじゃねえです!」
「千歳の言うとおりだ。お前はなかなか肝が座っている」
「そ、そう? ありがとね」
僕の二人に気遣われてしまった。卑屈なことを言うのはやめよう。僕の悪い癖だ。いつからこんな考え方をするようになったのか。
洗濯物を畳みながら反省した。雨月は床を水拭きしているし、千歳は台所を磨いている。この二人と暮らすようになってから、僕の部屋はピカピカだ。千歳の腹が「ぐーきゅるるる」と鳴った。
「オラ、少し腹が減ってきました」
「お昼ご飯、豪華だったけど油っけがなかったかからかな。今夜は餃子だよ」
「餃子! 四代目の家では、今夜は餃子だっちゅうと、みんな喜んでいました。どんな味かなあ。オラ、楽しみです」
「そうかそうか。頑張って作るからね。雨月は食べたことある?」
「あるぞ。朔が好きだった。朔は野菜たっぷりの餃子を好んでいた」
雨月が「野菜を刻むのは任せろ」と言うから野菜を刻むよう頼んだら、とても美しく刻んでいる。刀で切るのかな? と思っていたけど、さすがに包丁を使っていた。
「このささやかな台所で打刀を使うのは至難の業だろう」
「そりゃそうでした。それにしても雨月は包丁使いが上手だねえ」
「刃物の使い方を心得ているからな」
「オラもお手伝いさせてください」
雨月がみじん切りにしたキャベツ、ニラ、大葉、ネギに豚ひき肉を入れ、鶏ガラスープを加えた。スープを足すと、ジュワッとジューシーな餃子になるんだよね。
「じゃ、千歳がこの具をこねてね。それから三人で包もう」
「俺はそれも得意だ。朔が包むのをいつも手伝っていた」
「オラだって、やったことないけど得意です!」
「包んだことがないのに得意って、意味わかんないよ」
千歳と二人で笑っていたら、雨月が僕と千歳を見て口を開いた。
「千歳が僕になってから、春人はよく笑うようになった。お前の手柄だぞ、千歳」
「ほんとですか⁉ オラが役に立ってるなんて嬉しいです!」
大きな手でタネを捏ねながら、千歳が笑う。子供みたいな無邪気な笑顔だ。いいなあ。僕もこんなふうに笑う人になりたかった。今さら陽気になりたいなんて言っても手遅れか。
「そんなことはない」
「そんなことねえです!」
付喪神の二人が声を揃えてそう言う。
「たった二十七年しか生きてないのに、手遅れなんてことがあるか。そもそも五歳までのお前は明るくてよく笑う子供だった」
「オラ、春人さんの優しい笑顔が大好きです」
ありがとうね。僕、こんなにまっすぐ褒められるの、いつ以来かわからないよ。
中学で挫折してからの僕はずっと、目立たず褒められず注意もされずを良しとして生きてきた。そう思うことで自分を守っていたんだよね。でもさ、こうして褒められるのは二十七歳でも嬉しいものだね。
「さ、包んで焼くよ」
三人で包んだ餃子をカリッとなるまで焼いて、酢醤油とラー油で食べた。野菜と肉の美味しさが口の中にあふれてくる。
雨月は「うん、旨い」と喜んでくれたし、千歳は「最高です! うんまい!」と言って、すごい勢いで食べている。
そういや、餃子を包んで複数人で食べるのは母さんがいた頃が最後か。大学時代の友人たちとは居酒屋に行くばかりで料理を作ったことはない。区役所の職員になってからは、誰かの家で料理なんてしたことはない。そういう付き合いをしてこなかった。
「餃子は、こうやって誰かと一緒に作って一緒に食べると余計に美味しいんだな。今、気がついた」
今までそう感じたことはなかったけど、僕は長いこと寂しかったみたい。




