14 手鏡
千歳の持ち主だった四代目は蕎麦が好きだったらしい。それを聞いて、父さんと会ってから暗くなってしまった雰囲気を蕎麦で挽回しようと思った。今夜は冷たいお蕎麦にしよう。
長芋をすりおろし、蕎麦を茹でて冷やせばいいだけで簡単だ。でもちょっと思案する。僕はこれと作り置きのおかずで十分だが、千歳は足りるだろうか。
「千歳、今夜は冷たいとろろ蕎麦にしようと思うんだけど、天ぷらもあったほうがいいかい?」
「はい! オラ、天ぷらを食べてみたいです」
「海老もイカもないから野菜のてんぷらになるけど」
「楽しみです!」
ニンジンと玉ねぎのかき揚げ、ゆで卵の天ぷら、ゴボウの天ぷらにしよう。
「千歳を甘やかし過ぎだ」
「そんなことないよ。雨月も天ぷらは嫌いじゃないでしょ?」
「好きだが」
「じゃ、決まりだ」
縦半分に割ったごぼうを茹でて柔らかくしながら、同じ鍋でゆで卵も作る。そんな僕の隣に来て雨月が「哲也のことだが」と、父さんの話を始めた。なんでさ。今はその話題から離れたいのに。
「哲也は統神の力を信じなかっただけでなく、朔のことも幸之助のことも否定していた。哲也が何を信じ何を信じないのかは勝手だが、統神の力を受け継いだお前に何も知らせず、付喪神使いとしての選択肢があることを教えなかったのは許しがたい。しかも、息子が己の望みどおりにならぬからと……」
「いいんだ。いいんだよ雨月。僕のために怒ってくれてありがとうね。だけど、あの人がいるおかげで僕が生まれたわけだからさ」
高校時代、同級生の友人の家に行くと、友人と父親は楽しそうにしゃべって笑っていた。それを見て感じた(なんで僕は父親に恵まれなかったんだ)という思いはもう、消化している。
父さんは学業に優れ、社会人としても成功している。だけど父親としての資質に欠けていた。それはもう、僕にも父さんにもどうしようもないことだ。中学時代の僕が倒れそうなほど頑張っても成績が上がらなかったのと同じだと思っている。
「お前は優しいな」
雨月がそう言ってテーブルを拭き始めた。雨月に優しいと言われるのはこれで何度目だろう。彼の言う「優しい」には何種類もの意味があるように思う。
テーブルに天ぷらとお蕎麦ととろろを並べ、夕食にした。雨月が「春人は天ぷらも上手だな」と褒めてくれたし、千歳は「オラ、こんなご馳走を食べられて幸せです。美味しいです」と笑う。
父さんは僕の料理を褒めてくれたことがあったかな。多分なかったな。
いつも無言で食べて、食べ終わったらさっさと自分の部屋に入っていた。僕は一度だけ、食器を洗いながら「寂しい」と声に出したことがあったっけ。母さんが家族の要だったことを思い知った。
しまった。こんなことを考えていたら、この二人に筒抜けなんだっだ。
「気分転換にちょっと外を歩いてくるよ」
「俺も行こう」
「オラも行きます」
「うん、みんなで一緒に行こうか」
そうして出発した散歩の途中、雨月が僕にそっと耳打ちした。
「前から来る女の二人連れは、両方とも付喪神だ。声をかけられても無視しろ」
「えっ? あっ、うん」
二十代に見える女性の二人組が、僕の顔を見ながら近寄ってきた。
雨月が僕と女性たちの間にサッと割り込み、千歳は僕にピタリと体をくっつける。
二人の女性は顔と服装がとてもよく似ていて、一人はくすんだ赤色、もう一人はくすんだ緑色のブラウスを着て濃い灰色のスカートをはいている。
どこからどうみても普通の人間に見えるけど、見た目が当てにならないことは雨月と千歳も同じだ。
二人の女性は実にさりげなく僕らの進行方向を塞いでいる。雨月が低い声を出した。
「どけ」
「あなたじゃなくて、そこの優しそうな方と話がしたいの」
「ぼ、僕は結構です。急いでいるので失礼します」
「オラたちは用事があるんです」
くすんだ赤色のブラウスの女性が僕たちの言葉を完全に無視して、「お願い、お兄さん、話を聞いてくれませんか」と言いつつ僕に向かって手を伸ばした。だけど雨月が素早く彼女の細い手首をがっしりとつかんで触れさせない。
「俺の主に触れるな」
「わかりましたから手を離してください。そんな馬鹿力で握られたら、砕けてしまいます!」
「断りもなく俺の主に触れようとするからだ」
雨月がゆっくり手を離すと、女性は素早く一歩後ろに下がった。
「お願いします。話を聞いてください。私たちの主を助けてほしいんです。主が質の悪いものに狙われていて……」
「主を守るのはお前たちの役目だ。俺の主を巻き込むな」
「このままでは主が死んでしまいます。後生ですからあなた方の力を貸してほしいの。その許可をそちらの付喪神使い様にいただきたいんです」
夜の道にも人はいる。その人たちが「喧嘩か?」と遠巻きに見ている。スマホで撮影し始めた人もいた。
雨月がその人たちに聞こえないくらいの小声になった。
「もう一度言う。お前たちの主はお前たちが守れ」
雨月はさっさと歩きだし、僕も続いた。千歳だけは何度も振り返っていて、雨月に「春人から目を離すな」と言われて慌てて前を向いた。
食後の腹ごなしにたっぷり歩いた。僕はさっきの二人のことで雨月に聞きたいことがたくさんある。
僕の思考を読んだ雨月が、家に帰ってからあの二人のことを説明してくれた。
「あの二人は対の手鏡の付喪神だ。主らしき人間は近くにいなかった。」
「悪いものに狙われている主を置いて、出歩いているってこと?」
「主の許可が出ているのだろうし、主と距離を置いて動けるほど強い結びつきがあるのだろう」
「あの人たちの主を助けてやれないの?」
雨月は無言だ。
「もし主が死んだら、さっきの二人はどうなるの?」
「主が旅立てば、ただの付喪神に戻る。意識があって見聞きができても、人の姿にはなれない」
「手鏡じゃ戦闘力が低そうだよね。悪いものをやっつけられずに困っているんじゃないのかな」
雨月は駄々をこねる子供を見るような目で僕を見た。
「俺にあいつらの主を守れと言うのか?」
「守れとは言ってない。僕はただ、あの二人と主が可哀想だなと思っただけ。それと雨月、ひとつ教えてくれる? 統神家以外にも付喪神使いがいるんだね?」
「いる。かつては付喪神使いに十二の家筋があった。だが俺は慶長二十年に江戸を離れた。最近の他の家筋のことには不案内だ」
慶長二十年は大坂夏の陣の年だから、西暦千六百十五年だ。雨月の付喪神使いに関する知識は四百年前までか。その割にはライフル銃の袋が日本刀を入れるのにちょうどいいなんていう、新しい知識を持っていたよね?
「幸之助と朔はラジオが好きだったし、新聞も読んでいた。ライフル銃の袋の話は昔の新聞の広告で見た」
「なるほど。雨月の言う最近って、いつ頃?」
「昭和以降は最近だ」
「あっ、そう」
「オラはテレビの音だけ聞いていました。新聞紙に包まれる前は、革の道具袋に入れられていましたんで。あと、木こりたちのおしゃべりも楽しく聞いていました」
「そうだったのか。あの家が空き家になってからは人の気配がしなくて、さぞや寂しかったろうね」
「春人さんは、オラの救いの神だぁ!」
千歳が僕に抱きついて、すりすりと頬を寄せてくる。僕が苦笑していると、雨月が「馴れ馴れしいぞ」と言って千歳を引き剥がした。
お風呂に入ろうとしたら、千歳が「オラが春人さんの背中を流します」と言ってくれたけれど、雨月が「春人の背中を流すのは俺の役目だ」と言って、千歳がしょげた。
そんなわちゃわちゃしている最中に、雨月が鋭い目つきでを外を見た。「妖が来ているの?」と尋ねると「いや、雀だ。夜なのにな。もういない」と言う。
雨月はついでに乾いたタオルで窓ガラスについていた汚れを拭き取った。きれい好きだねえ。
4月6日(月)




