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朝飯後 その2

「和尚さん、冷蔵庫の扉を早く閉めないと電気代がもったいないよ」

 慶次君がもっともな指摘をすると、和尚さんは素直に頷いて冷蔵庫の扉を閉めた。相変わらず無口で、目深に被った笠のせいで顔はよく見えない。おじいちゃんの割には黒々と豊かな髪の毛が肩まで届いている。

「勝負って、どうやって……」

「わがはい、こう見えても大の相撲ファンでな。そちらのDBと我らが和尚の勝負を是が非でも観てみたいのだ」

 慶次君と相撲?正気か……確かに和尚さんは熊のような体つきをしているが、身長はパパより少し低いくらい。体重もおそらく二けたどまりだろう。

「でも、土俵はどうするの?」

「土俵は直径30尺。約4.55mよ」

「あ、亜紀ちゃん、修、南監督も」

 よつきやの牛丼セットをお盆に載せて、3人が戻ってきた。さすが亜紀ちゃんは空手以外の格闘技にも詳しいな。相撲はテレビでときどき観たことはあるけど、土俵の大きさなんか気にしたこともなかった。

「ちょっともったいないですが、また携帯カイロから砂鉄を取り出して。わたし実はセンターサークルを手書きするのは得意なんですよ」

 南監督が床の上に少しずつ砂鉄をこぼすように線を引いて、器用に円を描いた。

「じゃあ、かっか、課長さん、わたしが行事をやるね」

「うむ、いいだろう」

 慶次君と和尚さんは土俵の中央で正対してどっしりと腰を落とした。こうやって対峙をすると、2人の体格差は歴然としている。慶次君が先に地面に軽く両手を付いた。慶次君は野球経験は長いが、格闘技の経験はないはずだ。

「2人とも、準備はいーい?はっきよーい」


 亜紀ちゃんの合図と同時に和尚さんが地面に両手を付き、頭を下げたまま慶次君に向かって突進した。

 慶次君は上半身を起こして両腕を開き、和尚さんの身体を抱きとめた。和尚さんの腰の帯を掴もうと、必死に手を伸ばしていたが、突然

「いい、痛てててて!」と悲鳴をあげた。

「な、なんだありゃ?」

 和尚さんのかぶっていた笠が慶次君の身体に激突し、粉々に砕け散った。露わになった和尚さんの頭には

「つ、角が生えている?鬼?」

 そういえば、さっき洋一君が「鬼」とか「悪魔」とか言ってたけど。

「本当の鬼だったのか?いや、まさか……」

 頑丈な警察官の制服のおかげで、角は慶次君の身体に直接突き刺さっているわけではなさそうだが、慶次君の顔は苦痛でみるみるゆがんでいった。和尚さんは構わず慶次君の胸のあたりに角をぐいぐいと押しつけている。角から逃れようと慶次君が体を起こした瞬間、和尚さんがさらに前に踏み込んで、低い姿勢のまま、両まわしを、いや制服のベルトをがっしりと掴んだ。

「やばい、双差しだ」

 うう、完全に懐に入り込まれた。この体勢だと慶次君の身体は和尚さんに思うようにコントロールされてしまう。

「慶次君、なんとかまわしを切って!」

「う、ぐ、ダメだよ。和尚さん、ものすごい力だ」

「フヘハハハハ、見たか?10万年の永きにわたってリズムを刻み続けてきたデーモニック・ベーシストの握力を。いいぞ、行けい和尚!」

 10万年ってどういうことだ?普通の人間がそんなに長生きできるわけない。ま、まさかこの人たちは本当に?

「慶次君、気をつけて!」

 和尚さんが左右のベルトをつかんだまま投げをうってきた。

「う、ぐ」

 一瞬、慶次君の左足が浮いてしまったが、右足1本の力でなんとか踏みとどまり、体勢をたてなおした。

「よし。こらえた」

 慶次君の武器は150kgの巨体だけではない。野球の守備で鍛えた柔軟性と、フットサルで鍛えたバランス感覚のおかげで、そう簡単に倒されることはない。

「今だ。慶次君。スキルを使って!」

「スキル?そうか。第3スキル発動!」

 慶次君は両方のベルトを掴まれたまま、体をゆすって、徐々に上半身を和尚さんの身体に近づけていった。

「『逮捕』からの『お姫様抱っこ』だ」

 長い両手を活かして右手で和尚さんの両足を抱え上げ、左手で首をロックした。

「そのまま土俵の外にそっと寝かせれば慶次君の勝ちだ」

「そうはさせんぞ。和尚、デーモニック・スプラッシュだ」

 かっか、課長さんが叫ぶとともに

「ぶわあああっくしょん」

 長時間冷蔵庫に隠れていた和尚さんの身体は芯から冷えてしまっていたのだろう。盛大なくしゃみの風圧で、土俵を描いていた砂鉄が全て吹き飛んでしまった。

「ああ、土俵が粉々に……」

 くしゃみのいきおいを利用して慶次君の戒めから逃れた和尚さんは、間髪を入れずに再び慶次君の上半身に突っ込んだ。

「危ない!また角が……いや」

 慶次君は和尚さんの頭を直前で躱し、両者の肩と肩が激しくぶつかった。慶次君は和尚さんの身体を受け止めると同時に右手でがっしりと帯を掴んだ。

 土俵がなくなったからには、押し出しや寄り切りはできない。かといって格闘技の経験がない慶次君に和尚さんを投げる技術はない。

 和尚さんも右手でベルトを掴んだまま何度か投げ技を試みるが、慶次君の巨体はびくともしない。やがて、がっしりと組み合った2人の身体は、まるで大地に根をはった一本の巨木のようにぴくりとも動かなくなってしまった。

「く、2人の力が拮抗している。膠着状態ってやつか?」

「いや、てつ、よく見てみろ」

 ああ、和尚さんが体勢を低くして、徐々に慶次君の懐に潜り込んで……いや、それにしては和尚さんが苦しそうだ。

「慶次のやつ、上から押しつぶすつもりだ」

「うう、それって……」

 フットサルのトレーニングを始めてから、慶次君の脂肪の大半はいつの間にか筋肉に置き換えられてしまっている。それでも体重はむしろ増えているんだから、どれだけ食べてんだって話なんだけど。

いやともかく今の慶次君のお腹にはクッションはついていない。150kgの筋肉の塊に押しつぶされたら……

「和尚、踏ん張れ。一族の意地を見せろ!」

「いや、無理です。わたしにも経験がありますが、ああやって背中の真上から体重をかけられると、膝が悲鳴をあげて……」

 ああ、和尚さんの膝が徐々に落ちて…… 

 

「ねえ和尚さん。ぼく、まだうどんを食べてなかったんだ。うどんを注文したとたん、和尚さんたちが出てきたから、もうぼく、お腹がすいて……」

「…………」

 和尚さんはもう答える余裕もないようだ。いや、登場してからここまで一言もしゃべっていないだけか。

「うん、そうだね。和尚さん無理しちゃだめだよ。この勝負、引き分けー」

 亜紀ちゃんが高らかに宣言して、2人の肩をやさしくたたいた。慶次君は和尚さんの背中に手を回し、倒れてしまわないようにしっかりと支えた。

「和尚さん、膝は大丈夫?ごめんね、重かったでしょう?」

 和尚さんは頭を振って否定の意を示すとともに、両足を少し開いて胸を張り、右の拳を真っすぐに突き上げた。

「イエーーーイ」

 な、なんでここで「イエーーーイ」なんだ?いや、待てよ。パパから聞いたことがある。

ま、まさかこの人があの「イエーイの……」


「両名ともあっぱれであった。よいものを見せてもらったぞ」

 かっか、課長も満足そうだ。そりゃそうだよな。10万年以上も長生きしているおじいちゃんなのに、慶次君と相撲をとってひけをとらないなんて、さすがDBの底力は計り知れない。

「よし。慶次とやら、褒美をとらすぞ。近こう寄れ」

「ええっ、ご褒美?なんだろ?ケーキとか?」

 かっか、課長は自分の腰に巻いていた大きなベルトを引き抜くと、慶次君に差し出した。

「チャンピオンベルトってこと?」

「わがはいが若いころ、お面をかぶってバイクに乗った男を倒した時に奪った戦利品である。ありがたく受け取るがよい」

「ええ、でもこのベルトじゃ短くて、ぼくのお腹には巻けないよ。もっと長いのはないの?」

「ちょ、ちょっと待って、慶次君、そのバックルのところ」

「あ、まさかこれって……」

 バックルの中央部には茶色くて丸いものがついていた。

「この丸いの、外れるぞ。ま、まさかこれが紋章?」


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