朝飯前 その1
「わたし、やっぱり壁際は怖いから真ん中がいい」
「そうか、じゃあゴレイロは慶次、監督は膝の調子が悪いからピヴォで前線に張ってもらって。てつは左アラでいいな」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、おれが残った右アラだ。ん、外でなんか音がしなかったか?」
ぼくが慌ててテントの入り口から外を伺うと、山のような大男がのっそりとテントに侵入してきた。
「ごめんなさい、遅くなって」
「ああ、お帰り慶次君。早かったね」
「うん。さっちゃんと喫茶店でパフェを食べてきたんだけど、今日は疲れたからもう寝るって」
よく見ると慶次君の口の周りには白い液状のものが付着していた。
「そうなんだ、ちゃんと寝る前に歯磨きしといた方がいいよ」
「うん。わかった。でも、なんだかこのテントの周り、ジャリジャリしてるよ」
慶次君が靴の裏を眺めながら不思議そうに言った。
「おお。結局、トラップに使う糸が買えなかっただろ?」
「うん」
「だから、テントの周りにこれを」
そうだ。ぼくらは修の指揮のもと、インスタントカイロの袋を破って、中の砂鉄をテントの周りに敷き詰めていた。
「な、なんでそんなこと……」
「ほら、金持ちの家の周りには砂利が敷き詰められてるだろ?あれも泥棒除けなんだぜ」
「ああ、そうか。砂鉄を踏むとジャリジャリ音がして、誰かがテントに近づいてきたらわかるようになってるんだね」
「そういうこと。じゃあおれ達もう寝るから。充電器はそっちで、食料はそのバックパックの中だからな。慶次のベッドは入り口に一番近いとこ。もちろんゴレイロだから、しっかりゴールを守ってしてくれよな」
「了解。まかせといて。じゃあおやすみ」
「明日は10時から行動開始ですから。それまでに朝食と着替えをすませておいてください」
「監督、わかりました。おやすみ、慶次君」
ふう、今日はいろいろあって、本当に疲れたな。明日こそ、パパを見つけないと……
ギギギギギギ……ズン
「な、なんだ?敵襲か?い、いや」
頭の方から聞こえた甲高い音は、どうやら南監督の歯ぎしりだったようだ。入り口の方から聞こえた重たい音は……どうやら歯ぎしりの音に驚いた慶次君がベッドから落ちてしまったらしい。
「う、もう7時か」
テントの中はまだ薄暗かったが、ラビリンス内はすでに点灯されているようだ。
「あれ、亜紀ちゃんは?」
修は毛布を股の間にはさんでぐっすり寝ているが、亜紀ちゃんの姿が見当たらなかった。もう幽霊の出る時間は過ぎてしまったから、亜紀ちゃんのことはそんなに心配しなくても大丈夫だろう。ぼくはタオルと歯磨きセットを持って、トイレに向かった。
「おはよう、てっちゃん」
ぼくが口をすすぎ終わるタイミングを見計らったように、後ろから声をかけられた。
「ああ、亜紀ちゃん。早いね」
亜紀ちゃんはすでにメイドの衣装を着用し、営業用のメイクもすませていた。
「わたし、毎朝5時に起きて稽古をするのが日課だから」
そうか、やっぱりあの鬼神のような強さは、日々の地道なトレーニングの賜物なんだな。
「てっちゃん、わたしお腹すいちゃった。朝ご飯食べにいこうよ」
「O.K.髭剃りは……まあ、1日くらいは剃らなくてもいいか」
ぼくは「学者」だから、少しくらい無精ひげが生えているくらいがちょうどいいのかもしれない。
みんなまだ寝ているのか、それともアンが乏しくて朝食もとれないのか、フードコート内には数えるほどしか参加者は来ていなかった。しかし
「やっぱりあの恰好は目立つな」
姉ちゃんたちは、朝っぱらから色とりどりの派手な衣装を着て、〇〇うどんの行列に並んでいる。あいかわらず胸のサッカーボールが揺れていて、目のやり場に困るよ。
「わたし、やっぱり朝はパンがいいな。ロリッテマスネバーガーのモーニングセットにするよ」
「うーん、ぼくはやっぱりご飯と、あとはお味噌汁が飲みたいから、よつきやの納豆定食にして、サラダも付けようかな」
ケガの功名というか、昨夜姉ちゃん達から襲撃を受けたおかげで、食事代には困らないくらいのアンが支給されていた。でも、もし亜紀ちゃんと結婚したら、朝は洋食ってことになるのかな?
「てっちゃん、そういえば……」
ぼくが納豆をかき混ぜていると、亜紀ちゃんから声をかけられた。
「ん、どうしたの?」
納豆は混ぜれば混ぜるほどおいしくなるという説と、あんまり関係ないという説があって、いまだに決着はついていない。ぼくはどちらかというと、さっとかき混ぜてから醤油をたらす派だ。
「消防団の人たちが見当たらないよ。消防団って朝が早いっていうイメージがあるんだけど……」
「あ、ほんとだ」
ぼくは「観察」のスキルを発動してフードコート内を見渡したが、どこにも紺色の制服は見当たらない。
「でも亜紀ちゃん、消防団の人たちって、冬の夜には『火の用心』ってやってるから、夜は意外と遅いんじゃない?」
「うーん、でも昨日の夜、そんな声聞こえなかったよ」
「そうかあ、じゃあ2階の喫茶店で朝ご飯食べてるのかも?」
ぼくは亜紀ちゃんを不安にさせないようにあえて軽く流したが、なんだか悪い予感がしていた。
「ん、念仏?」
ぼくらが食器を片付けてフードコートを出たところに、ふくらはぎまで覆い隠す裾の長い黒い衣を着て、竹のような素材で編んだ笠を目深に被ったお坊さんが3人並んで立っていた。1人は小柄でやせていて、もう1人は背が高くガタイもいい。3人目は、DBだ。
「お若い方、もしよろしければ少しでも施しを……」
「これって、托鉢?」
「え、亜紀ちゃん、宅発って?」
宅発?ひょっとしたら託髪かな?どっちにしても聞いたことがない言葉だ。
「うん。昔のアニメで観たことがある。日本ではもうやってないけど、外国では今でもやっているって、ほら、あのどんぶりみたいな鉢の中にお金とか食べ物を入れてあげるんだよ」
「ああ、募金みたいなやつだね。でもぼくたち今……」
「てっちゃん、テントに戻ったら慶次君の非常食があるんじゃない」
「そうか。じゃあみなさん一緒にテントまで……」
「あ、ありがとうございます。ぼくら、アンが残り少なくて、昨日の昼にココアを飲んだだけで、げっ、まさか……」
小柄なお坊さんは、笠を少し持ち上げてぼくらの顔を見たとたん、動きが止まってしまった。
「哲也先輩と、亜紀姐さん……」
背の高いお坊さんもぼくらの顔を見てそう言ったまま、気をつけの姿勢で固まってしまった。待てよ、この2人の顔、確かにどこかで見たことがある。
「ふうん、なんか事情があるみたいね。食べ物は分けてあげるから、代わりにいろいろと教えてもらおうかしら?」
亜紀ちゃんがすかさず後ろに回って2人の手を捻り上げた。
「わ、わかりましたから……ちょ、離して、逃げたりしませんから」
3人目のDB和尚さんは黙ったまま身じろぎもせず、成り行きを見守っている。
「じゃあ、行こうか」
亜紀ちゃんは、2人の手を軽く掴んだまま、ゆっくりとテントに向かって歩き出した。
「ふう、助かりました。ありがとうございます」
空腹で今にも倒れてしまいそうだった3人にミネラルウォーターと、慶次君のために買っておいた非常食を渡すと、あっという間にたいらげてしまった。
「落ち着いたみたいね。じゃあ、あとは慶次君よろしく」
「わかった。でも食料はあとで補充しといてね」
「おう、まかせとけ」
「じゃあ、1人ずつ、氏名と年齢と職業から教えて」
3人ともエネルギーを補給して、少しは元気が出たようだが、DB以外の2人は見るからにおどおどしている。
「はい。ぼくは金山小次郎、19歳です」
「ぼくは竹原洋一、19歳、2人とも平峰大学の1年生です。あとこっちはぼくのおじいちゃんで……」
お、おじいちゃんか。DB和尚さんはあいかわらず黙ったまま、ほとんど身動きもせず、どっしりとあぐらをかいている。
「ふうん、おじいちゃん、ひょっとしてしゃべれないの?」
「いえ、そんなことはないんですが、普段はすごく無口で、一定の条件を満たさないとなかなか口を開かないんです」
洋一君が代わりに答えた。
「そうか。2人とも平峰大学の1年生ってことはぼくらの後輩だよね。あんなところで何してたの?」
「は、はい。ほんとうすみません。あの17Sのみなさんに托鉢なんかしちゃって……」
「マ、マジで勘弁してください」
なぜか2人とも正座をして下を向いてしまっている。異常なほどの怖がりようだ。
「おう、なんでそんなにビビってんだよ?」
「げっ、ま、まさか修二さん?」
「おう、修って呼んでくれよ」
「そ、そんな滅相もない。だって修二さん、噂じゃあ隣の県でチームの頭はってて、部下が100人以上いたって……」
「はあ、誰だよそんな根も葉もねえこと言いやがったのは?確かにおれは高校時代、サッカー部のキャプテンで、部員は100人くれえいたけどよ」
チームはチームでもサッカーチームの方か、まあ、見た目はそんな感じだから無理もないか……
「慶次さんはラーメンの替え玉をして、学食の麺を全部食べつくしちゃって、ブチ切れて学食を破壊したって……」
「あ、あの時はたまたま麺が3玉しか残ってなかったから……」
しかも学食を破壊したっていうのは間違いで、ほんとうは慶次君がお腹が空いたって泣き出したから、ぼくらが外のラーメン屋さんに連れてったんだ。
「亜紀姐さんは、小学校の頃、空手の大会で男子を病院送りにしたって聞いて……」
「う、それは、そんなこともあったかもしれないけど……」
亜紀ちゃんは地元だから、情報も正確に伝わっているのか。それにしても17Sがそんな目で見られてたなんて。
「じゃ、じゃあぼくは?」
「あ、あと丸坊主でガタイのいい組長さんみたいな人が出入りしてて……」
それはパパのことか?じゃなくて、ぼくは?なんか、武勇伝とか伝説とか伝わってないのか?
「それに金髪の院生がいて、研究室で怪しい薬を開発してるって……」
ま、松山さんまで噂になってるのか?金髪は昔の話で、今は黒く染めなおしているのに……
「ほ、ほかには?」
「え、ぼくが聞いたのはそれくらいで」
「ああ、いや、そう言えばあと1人……」
「うん。あと1人?」
「今はケガしちゃっててあんまり試合には出られないけど、昔はフットサルのトップリーグで大活躍してたっていう……」
くっ、南監督のことか。やっぱりこんな個性的なメンバーの中じゃあ、ぼくはあんまり目立ってないんだな。くそ、もっと練習して、伝説になるくらいのプレイをしないとダメだな。
だけどこの2人、間違いなくどこかで会ってるぞ。大学で同じ授業でも取っているのかな?




