信頼関係
次の日、私は外出できる時間になった瞬間に病棟を出て庭に向かった。
私が飛び降りた場所へ。
私は紅葉の木のところに見覚えがあった。
ゆっくりと車椅子を降り、地べたに体をくっつけた。
地面すれすれの視点から上を見上げると紅葉の木が見えた。
今は黄緑色の葉をつけているその木の周りが私の血で赤く染まったのは、確か紅葉が赤く色づいている時。寒い日だったと、思う。
「おい」
急に声をかけられて肩がビクッと揺れた。
「あ、ショウ……」
その顔を見たらなぜか安心してしまって、ぽろぽろと涙が溢れる。
「どうしたんだよ」
心配そうにショウが言った。
ショウは私が起き上がるのを助けてくれて、私はそのままショウに抱きついた。
「私、飛び降り自殺しようとしたんだって。
でも何も思い出せない。家族のことを一番に思い出したいのに全然思い出せない。
お兄ちゃんがいるんだって。
顔も名前も思い出せないけど、そのお兄ちゃんが原因かも知れないんだって。
でも本当に思い出せないの。脳が全てを拒んでるみたいに。
思い出そうとしたら頭が痛くなって手を噛みたくなる」
私は泣いた。
記憶はすべて自分だけのものなのにその宝物を誰かに全部盗まれたような、もう二度と取り返せないような気がしていた。
それがどうにも悲しくて、歯がゆくて、苛立って、幾つもの感情に支配された私は、もう泣くしかなかった。
「最低だな、その兄貴」
「最低なのかな、分かんない。何も分かんない」
「俺ならお前を幸せにしてやれるのに」
私はショウの首に回していた自分の腕を解いて、びっくりしたような、照れくさいような顔でショウを見た。
ショウは真面目な顔をしていた。
「……ありがと、ショウ」
「どういたしまして」
私たちはそう言って微笑み合った。
何かに守られているような、何があってもショウが助けてくれるという確信のようなものが心に芽生えた。