喜翔の抵抗
京は焦らなかった。すぐには同棲の話をせず、何度かうちに通って私のお母さんと何度もお話をして信頼関係を築いた。
付き合っている話をして、どれだけ自分が私のことを想っているのか、
どれだけ喜翔が私の悪影響になっているのか、私が二階から飛び降りた話も交えて語った。
お母さんは京の話を真剣に聞いていて、京の話に共感した姿勢を見せた。
何度かそうしていた後で、京は本題に入った。
「僕は東雲さんと同棲を考えています」
京は続けた。
「でも東雲さんはまだ未成年で、高校生です。東雲さんに何かあった時、正直僕は責任を取りきれません。
それでも東雲さんのお兄さんと離れて暮らすことで東雲さんの精神的な安定は約束できます。
家もここの近くのオートロックのマンションをもう探しています。
食費や水道光熱費などの生活費はこちらで負担するのでご迷惑はお掛け致しません。
許可していただけますか?」
お母さんはうーんと唸った。
それから、「ちょっと待っててちょうだいね」と言ってお父さんに電話をかけた。数分間通話をしていたと思う。
その間、京は少し不安だったのか、テーブルの下で私の手に指を絡めてきた。
少し汗ばんでいる気がした。
通話を切ったお母さんは難しい顔をしていた。
「お父さんが、相手が京くんなら構わない、と」
京はホッとしたような顔をした。
「泰親さんの息子を信じると言っていたわ。責任重大ね」
お母さんは笑っていた。
泰親さんとは京のお父さんのことで、私のお父さんの直属の部下にあたる人だ。
「父にはもう話しています。東雲さんを傷つけるようなことをすれば家を追い出すと言われました。
なので僕は誠意をもって東雲さんと一緒に暮らします」
京は椅子に座ったままお母さんに頭を下げた。
「しのをよろしくお願いします」
お母さんも頭を下げた。
「そんなこと許さない」
不意に後ろから声がして、ヒッと声が出た。振り向きたくない。
私は京の手を握った。握ったというか、掴んだと言った方が適切かも知れない。
「喜翔」
お母さんが口にする。
喜翔はズカズカとリビングにやって来て、「最初からこいつは気に入らなかったんだ」と言った。
「しのは俺のだ」
そう言った喜翔のことを、京は肩越しに睨んでいた。
「あなたには関係のない話よ、喜翔。部屋に戻りなさい」
「この家からしのがいなくなるなら俺もついていく。しのがいない生活なんて嫌だ」
「それは許しません。いいから部屋に戻りなさい」
喜翔はお母さんの言うことを聞かなかった。遂に京が立ち上がる。
「東雲さんは渡しません。もうこれ以上傷つけるようなことはさせません。
指一本でも触れることを許しません。あなたのせいで東雲さんは二階から飛び降りたんですよ。
わかっているんですか。下手したらあの時死んでいたんですよ」
京の声は震えていた。
「今日から新居が決まるまで東雲さんは僕の家で暮らします。良いですね?」
京はお母さんに訊いた。お母さんは「ご迷惑をお掛けします。でも喜翔からは離さないと」と言った。
緊迫した空気が広がる。
喜翔と京は睨み合い、お母さんは「どうしてこんな子に育ってしまったのかしら」と嘆いた。
私は喜翔が視界に入っている恐怖で体が震えていた。そんな私の肩を抱いたのは京だった。
「大丈夫、僕がいるから」と安心させるように繰り返し言ってくれた。
「しのに触れるな!」
喜翔は京に掴みかかった。お母さんが悲鳴を上げ、京は咄嗟に私を庇った。
喜翔は京を殴りかかり、京は喜翔の拳を手で受け止めた。喜翔の怒号が聞こえ、私は耳を塞いだ。
もうやめてーー。私の声は声にならなかった。
「何をしている!」
突然声がして、私はハッと顔を上げた。そこにいる誰もがリビングの入り口を見た。
「親父」
そこにはお父さんが立っていた。
「お父さん!」
私とお母さんは縋るような声を出した。京はどんと喜翔の胸を突き飛ばし、喜翔がよろける。
「喜翔、お前は病院送りだ。半年ほど診てもらえ。どうかしてる」
「親父の言う通りにはならねえ」
「そうか、じゃあ警察を呼ぶ」
お父さんがそう言った瞬間、喜翔が苦虫を潰したような顔をした。
「俺は何もしてないだろ」
「実の妹を強姦したとしのの主治医から聞いている」
「あれは合意の上だ」
そう言った喜翔に、「違う!」と叫んだ。あれは合意の上なんかじゃない。
怖かった。悪夢のような、地獄のような時間だった。言葉にならないくらいに。
「とにかく、喜翔はしのから離れろ。これは命令だ」
お父さんは冷たい目で喜翔に言い放った。喜翔は舌打ちして、京に暴言を吐いた。
「死ねよ、糞虫野郎」
京は動じなかった。ただただ私の肩を抱き、喜翔を睨みつけていた。
その夜から私は如月邸にお世話になることになった。
私は両親と一緒に如月邸に向かった。お父さんが「少しの間ですがうちの娘がお世話になります」
と京の両親に頭を下げると、「とんでもない。ゆっくりしていってください」と京の両親は言った。
その後両親同士が軽くお酒を飲みながら談笑しているのをリビングのふかふかなソファに座って京と見ていた。
「疲れた」
京は小さな、本当に小さな声で言った。
「うん、私も」
今日は疲れた。喜翔が現れなければとても良い日だったのに。
「でも東雲がこの家にいてくれて嬉しい。そばにいてくれて幸せだ」
京はさりげなく私の手の甲にキスをした。
「私も、そばにいてくれて嬉しい。安心できるから」
日付が変わった頃、両親は如月邸をあとにした。




