第43話 完全解読
(この単語の並び……古書店で読んだ『西大陸の失われた古代商業暗号』の法則に似ているわ。それに、この記号は……)
孤児院から毎日古書店に通い、埃にまみれながら貪るように読んできた数多の希少本。そこで血の滲むような猛勉強をして培った「多国語の知識」と「他国の歴史・暗号学の知識」が、彼女の脳内で凄まじい速度で結びついていく。
「この部分は、古代交易で使われた隠語です。『白き鷲』は王族を、『黒い盾』は近衛兵を指しています。そして、ここの文法は意図的に逆さから……」
リリアがスラスラと難解な暗号の法則を紐解き始めると、学者たちの嘲笑は徐々に驚愕へと変わり、やがて呆然と口を開けたまま声を発せなくなった。
順調に解読を進めるリリアだったが、文書の中盤で、ある極めて難解な単語の羅列に直面し、ピタリと動きを止めた。
(え……? ここの法則だけが、全く違う。南方の方言? それとも旧帝国の軍事暗号? どちらの解釈を当てはめればいいの……)
文脈が繋がらず、解読が完全にストップしてしまう。学者たちが「やはり素人には無理だったのだ」と再び安堵と優越感の混じった顔を見せようとした、まさにその時。
パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。
リリアは誰にも気づかれることなく、強く瞼を閉じた。
強烈な浮遊感と共に視界が歪み、時間が十秒前へと逆行する。
十秒前の世界に戻ったリリアは、先ほど行き詰まった「南方の方言」という解釈を即座に捨て去った。
(南方の解釈では繋がらなかった。なら、旧帝国の軍事暗号の法則を当てはめてみて……)
頭の中で素早く文脈を組み立てるが、またしても意味が通らない。
(駄目。これも違うわ)
パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。
再び十秒戻る。
リリアの能力『チクタクリターン』の真骨頂は、危険を回避することだけではない。このわずかな猶予の中で、複数の異なる言語体系や暗号規則の解釈を「試行錯誤」し、正解を導き出すための時間を無限に稼ぐことができるのだ。
古書店の閉店間際、一行でも多く本を読むために能力を酷使していたあの頃と同じように。
数回のループを経て、リリアはついに正解の糸口を掴み取った。
(わかったわ! これは二つの言語を組み合わせたものではない。単語の頭文字だけを抽出し、隣国の関税規則の数字と照らし合わせる、多重のすり替え暗号よ!)
傍目には、リリアがほんの数秒間、文書を見つめて沈黙していたようにしか見えない。
だが、その沈黙を破ったリリアの口から紡がれたのは、学者たちが数ヶ月かかると匙を投げた暗号の、完璧な解読結果であった。
「……解けました」
リリアがペンを走らせ、白紙の紙に現代語に翻訳された文書の内容を書き出していく。
「馬鹿な……! あ、ありえない!」
「我々が全く理解できなかった多重暗号を、たったこれだけの時間で……!?」
王宮のトップ学者たちは、自分たちの知識を遥かに凌駕するリリアの圧倒的な知能を前に、もはやぐうの音も出ないほどに黙り込んだ。メイド上がりの平民だと見下していた彼女が、実は国を代表する頭脳たちよりも遥かに高く、深い教養を持っていたのだ。彼らは顔を真っ赤にして俯き、敗北を認めるしかなかった。
+++
痛快な論破劇の後、リリアが書き記した解読文を読んだユリウスの顔色は、氷のように冷え切っていた。
「……やはり、そうか」
解読された文章の中には、ユリウスに対する「暗殺決行の日時」が明確に記されていた。
それは、国王が王位を退き、ユリウスが新たな王として即位する『戴冠式』の当日であった。国中が祝賀ムードに包まれ、警備が分散する最大の隙を突く計画なのだ。
さらに、文書には見過ごせない恐るべき条件が書き連ねられていた。
「『計画完遂の暁には、フェリックス・グランデリアの名において、レオン一族の抱える莫大な借金の全額帳消しを確約する』……そして、『新王直属の国軍総司令官への任命を誓約する』、か」
そこには、フェリックスの署名と共に、レオンが自ら捺した契約印がはっきりと残されていた。
ユリウスの手が微かに震える。
彼が誰よりも信頼し、自分のために血を流してくれたと信じていた右腕。その忠誠心の裏側にあったのは、借金という金銭的な苦境から逃れ、新興勢力である豪商たちを蹴落としてさらなる権力を手に入れたいという、あまりにも浅ましく「醜い欲望」であった。
ユリウスの心の中に残っていた、わずかな情や希望さえも、この言い逃れのできない事実の前に完全に打ち砕かれた。
「殿下……」
リリアが心配そうに彼を見つめる。
ユリウスは静かに目を閉じ、そして、ゆっくりと目を開いた。
その深い藍色の瞳から、もはや悲しみや絶望の色は完全に消え去っていた。そこにあるのは、次期国王としての絶対的な威厳と、自身を裏切った者たちを完膚なきまでに叩き潰すという、氷のような冷徹な覚悟だった。
「リリア。君の卓越した知能と勇敢さが、私を真実へと導いてくれた」
ユリウスは解読された文書を固く握りしめ、リリアに向かって真っ直ぐに宣言した。
「奴らの計画は全て露見した。暗殺の舞台となる戴冠式……そこを、我々の大反撃の舞台とする」
「はい、殿下。どこまでも、お供いたします」
悲しみと怒りを乗り越えた王太子と、彼を支える時を駆ける令嬢。
全てを清算するための運命の戴冠式へ向け、二人の孤独で命がけの反撃の準備が、今、静かに始まろうとしていた。




