第41話 愛ゆえの怒り
国王になる前の禊の期間が終了し、重厚な扉がゆっくりと開かれた。
隔離された安全圏の部屋から姿を現したユリウスは、数日間の閉鎖的な生活を経てもなお、次期国王にふさわしい気高い威厳を放っていた。
「殿下、お疲れ様でございました」
扉の前で待機していたリリアは、深く優雅なカーテシーをして彼を出迎えた。
その背後には、騎士団長レオンをはじめとする近衛騎士たちがずらりと整列し、主君の帰還を恭しく迎えている。レオンの顔には「忠実な右腕」という完璧な仮面が張り付いており、昨日、第二王子フェリックスと旧書庫で密談を交わしていた暗殺の首謀者だとは、誰の目にも分からなかった。
リリアを除いては。
(あの男が、殿下を……)
リリアの胸の奥で冷たい怒りが渦巻いたが、メイドとして培ってきた完璧な自制心で表情を取り繕った。今はまだ、悟られるわけにはいかない。
ユリウスの深い藍色の瞳が、真っ直ぐにリリアを捉えた。隔離期間中、互いに顔を合わせられなかった寂しさと、無事を確かめ合うような熱の籠もった視線が交差する。
「ただいま戻った、リリア。……少し、顔色が悪いようだが?」
ユリウスが鋭く察知して眉をひそめる。昨夜の命がけの潜入による極度の疲労が、メイクで隠しきれずに滲み出ていたのだろう。
「お気遣いありがとうございます。ですが、それよりも……殿下のお耳に入れたい、極秘の急報がございます」
リリアは周囲の騎士たちに怪しまれないよう、あくまで落ち着いた声色で、しかし明確な切迫感を込めてユリウスを見上げた。
「すぐに、私室へお移りいただけますか」
ユリウスは僅かに目を細めると、無言で頷いた。
「皆の者、ご苦労だった。これより私は休息を取る。人払いをしろ」
「はっ! 殿下の私室周辺は、我々近衛騎士が厳重に警備いたします」
レオンが恭しく胸に手を当てて応じる。その言葉の響きに反吐が出そうになるのを堪えながら、リリアはユリウスの後ろに付き従い、廊下を進んだ。
+++
私室の重い扉が閉められ、分厚い鍵が内側からかけられた。
廊下との音が完全に遮断された静寂の空間で、リリアは大きく息を吐き出し、張り詰めていた糸を少しだけ緩めた。
「どうした、リリア。その様子からして、ただ事ではないようだな」
ユリウスが振り返り、真剣な眼差しを向ける。
「殿下……私、昨夜、レオン様とフェリックス殿下の密談の場を特定し、潜入いたしました」
「……なん、だと?」
ユリウスの顔から、安堵の色が一瞬にして消え去った。
リリアは昨夜、旧書庫の屋根裏で聞いた恐るべき計画の全貌を、早口で、しかし正確に伝えた。
これまでユリウスを襲った数々の暗殺未遂がレオンの自作自演であったこと。フェリックスが王位に就いた暁には、レオンの借金を帳消しにし、新興勢力を弾圧して筆頭公爵に引き上げるという密約。そして、戴冠式に合わせて決行されるであろう、直接的な実力行使の計画について。
「そして……彼らは、互いを裏切らないための誓約書を交わしました。私は、二人の間に交わされた誓約書の隠し場所を特定したのです」
リリアがそう告げた瞬間、ユリウスの表情が凍りついた。
「旧書庫の奥、壁掛け燭台の右下にある、三つ目のレンガの奥です。そこに、言い逃れのできない決定的な証拠が隠されています」
すべてを伝え終え、リリアはこれで彼を救う手立てができたと、安堵の微笑みを浮かべようとした。
しかし、次の瞬間。
ドンッ!
鈍い音が響き、リリアの華奢な背中が壁に強く押し付けられた。
「で、殿下……?」
目を見張るリリアの両肩を、ユリウスの大きな両手が乱暴に掴んでいた。壁際に追い詰められた彼女を見下ろす彼の顔には、先ほどの冷静な王太子としての面影はなく、鬼気迫るほどの激しい怒りが燃え盛っていた。
「君は……自分が何をしたのか、わかっているのか!」
鼓膜を震わせるような、絞り出すような怒声。
リリアは驚きのあまり息を呑んだ。彼がこれほどまでに感情を露にして声を荒げる姿など、今まで一度も見たことがなかったからだ。
「見張りの厳しい旧書庫へ、何の護衛もつけずに単独で潜入しただと? 相手は国境の戦を潜り抜けてきた騎士団長だぞ! 万が一、足音ひとつ、衣擦れひとつでも聞かれれば、君はその場で首を刎ねられていたかもしれないんだぞ!!」
「それは……っ、でも、私には十秒戻る力が――」
「能力があろうと関係ない! もし背後から一太刀で急所を突かれれば、マバタキをする暇すらなく君は死んでいた!」
ユリウスの怒りの声が、痛切な悲鳴のように部屋に響き渡る。
リリアは、彼が激昂している理由が、単なる無茶な行動への叱責ではないことに気がついた。
彼女の肩を掴むユリウスの手は、骨が軋むほど強いのに、カタカタと小刻みに震えていた。彼の深い藍色の瞳には、怒りよりも遥かに濃い、圧倒的な恐怖が渦巻いていたのだ。
「私の隣に君がいぬのなら……王冠など要らぬ」
ユリウスは顔を歪め、苦しげに呻いた。




