第37話 密会現場
翌日、王宮内。
リリアは昨夜盗み見た予定表の情報を頼りに、王宮の敷地の外れにある、高く生い茂る生垣と歴史ある石造りの建物の影へと慎重に足を踏み入れた。普段は誰も近寄らない寂れたその場所は、人目を避けて秘密の会話を交わすには絶好の死角となっている。
壁伝いに息を潜めて進んでいたリリアの視界に、二つの人影が飛び込んできた。
フェリックスとレオンが建物の影でヒソヒソと話をしているのを見かけたリリアは、ハッと息を呑み、即座に大理石の太い柱の陰へと身を隠した。
第二王子フェリックスと、騎士団長レオン。
王宮の光の当たる場所では決して親しく交わることのないはずの二人が、周囲を鋭く警戒しながら言葉を交わしている。その異様な光景は、リリアの胸の奥で渦巻いていた疑惑を確信へと変えるのに十分だった。
二人の口の動きから極めて深刻な話題であることは推測できたが、遠すぎて聞こえなかったので近くまで行く決意を固めた。
(もっと近づかなければ、何を企んでいるのかわからないわ……)
リリアは、メイドとして長年働き培ってきた、気配を殺す身のこなしを極限まで研ぎ澄ませた。ドレスの衣擦れの音さえ立てないように細心の注意を払いながら、柱から彫像の陰へ、そして生垣の隙間へと、少しずつ距離を詰めていく。
冷や汗が背中を伝う中、ようやく風に乗って二人の声の断片が届く距離まで接近することができた。
「……準備は整っているのだろうな、レオン」
「はっ。近衛の配置はすべて私の思い通りに動かしております。あとは、殿下のご決断次第かと」
「フッ、よかろう。では……」
しかし、二人の会話は極端に声が落とされており、肝心な計画の全貌までは聞き取ることができない。
ただ一つ、次に会う場所と時間だけを聞くことが出来た。
「明日の深夜、使われていない旧書庫の奥で。最終的な約束を取り交わす」
その具体的な密会の約束を耳にし、リリアは彼らが明日、ついにユリウスに対する決定的な行動を起こすつもりなのだと悟った。
十分な情報を得たリリアは、これ以上留まるのは危険だと判断し、静かにその場を離れようとしたその時だった。
リリアが後ずさりをしたまさにその瞬間、足元にあった乾いた小枝を踏み折ってしまったのだ。
パキッ、という乾いた音が、静まり返った建物の影に鋭く響き渡った。
「誰だッ!!」
レオンの獣のような怒号が空気を切り裂く。
振り返ったレオンの瞳が、生垣の陰に潜むリリアの姿を正確に捉えた。その眼差しは、主君を守る誠実な騎士のものではなく、秘密を知った獲物を確実に屠ろうとする、冷酷な暗殺者のそれであった。
チャキッ、とレオンが腰の剣を抜く音が響く。フェリックスもまた、底知れない悪意を含んだ冷たい笑みを浮かべ、リリアを見据えていた。
絶対的な死の気配が、リリアの全身を粟立たせる。
剣の達人であるレオンから逃げ切ることなど、か弱い令嬢にできるはずがない。刃が彼女の首を刎ねるまで、ほんの数秒の猶予すらないだろう。
極限の恐怖の中、リリアはとっさに能力を使ってその場から逃げ帰る決断を下した。
強く瞼を閉じ、三回連続でマバタキを行った。
パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。
強烈な浮遊感と吐き気がリリアの身体を突き抜ける。
視界が激しく歪み、抜刀して迫り来るレオンの姿が凄まじい速度で逆行していく。踏み折られた小枝の音が逆再生され、時間が正確に十秒前へと遡行した。
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ふっと足の裏に地面の感触が戻った。
時は、小枝を踏み折る直前の瞬間。
まだ二人はリリアの存在に気づいておらず、「明日の深夜、旧書庫の奥で」という会話を終えた直後であった。
リリアは足元に小枝があることを十秒後の未来で知っていた。彼女は決して後ろへは下がらず、息を殺したまま、別の方向へと忍び足で後退した。
そして、彼らの視界に入らない角を曲がった瞬間、ドレスの裾を強く握りしめ、迷路のような王宮の回廊を全力で駆け出した。
心臓が破裂しそうなほどに早鐘を打ち、息が白く乱れる。
(見つからなかった……。なんとか、逃げ切れたわ)
安全な区画まで逃げ延びたリリアは、冷たい壁に背を預け、震える手で胸を押さえた。
あの二人が確実に結託し、ユリウスを狙っている。具体的な密会の場所と時間も掴むことができた。これは、暗殺の陰謀を未然に防ぐための決定的な手がかりだ。
すぐにでもユリウスの元へ走り、この恐るべき真実を伝えなければならない。
しかし、急いでユリウスの私室の前まで駆けつけたリリアは、絶望的な現実に直面することとなる。
分厚いマホガニーの扉の前には、レオンの息のかかった近衛騎士たちが微動だにせず立ち並び、厳重な警備を敷いていた。
ユリウスは国王になる前の禊のため、外部から遮断された密閉された部屋(安全圏)で生活しているのだ。
「殿下にお目通りを願います!」
息を切らして懇願するリリアに対し、近衛騎士たちは冷酷に首を横に振った。
「王太子殿下は禊の最中につき、何人たりとも面会は許されておりません。婚約者様といえども、例外ではありません」
「手紙だけでも、どうか……!」
「外部からのいかなる持ち込みも禁じられております」
取り付く島もない騎士たちの態度。彼らがレオンの部下である以上、強引な真似をすれば、リリアが何かを探っているという情報が真っ先にレオンへと伝わってしまうだろう。
扉の向こう側に、愛する人がいる。たった数メートルの距離が、今のリリアには果てしなく遠く感じられた。
決定的な危機が迫っているにもかかわらず、報告できないリリアは、ギリッと悔しさに唇を噛み締めた。
(どうすればいいの……。殿下に知らせる手立てがない)
王宮という巨大な権力の渦の中で、味方は誰もいない。孤児院上がりの自分一人の言葉で、フェリックスやレオンという大物を告発することなど不可能だ。
だが、リリアの瞳から絶望の色はすぐに消え去り、代わりに氷のように冷たく、強い覚悟の光が灯った。
(いいえ。私には、古書店で学んだ知識と、十秒だけ時を戻す力がある)
彼らが次に密会する場所と時間は分かっている。
誰にも頼れないのなら、自分が直接その密会に潜入し、彼らの陰謀の全貌を、そして言い逃れのできない決定的な証拠をこの手で掴み取るしかない。
愛する人を守るため、時を駆ける令嬢の孤独で命がけの戦いが、幕を開けようとしていた。




