第33話 シェルターでの密着
レオンがわざと隙を作ったとしか思えないその不可解な動き。
しかし、その違和感を口にする暇はなかった。レオンが体勢を崩したその一瞬の隙を突き、もう一人の暴漢が馬車内へと突撃してきたのだ。
「死ねェッ!!」
ガンッ!という鈍い音と共に、馬車の豪奢な扉が外側から乱暴に蹴り破られた。
黒装束の暴漢が、血に濡れた刃を構えて車内へと躍り込んでくる。
「リリア、危ないッ!」
ユリウスは全く躊躇することなく、リリアの細い身体を自らの腕の中にきつく抱き込み、彼女に刃が向かわないよう、完全に背中を向けて庇った。
リリアの視界が、ユリウスの広い胸板によって完全に塞がれる。
「殿下、駄目っ――!」
リリアの絶叫が車内に響き渡る。
直後。ドスッ、という、刃が肉を裂くひどく生々しく残酷な音が、リリアの耳元で響いた。
「が、はっ……!」
ユリウスの喉の奥から、空気が漏れるような苦しげな音がこぼれた。
彼を抱きしめていたリリアの手の甲に、生温かく、ひどく粘り気のある液体がポタポタと滴り落ちてくる。
ゆっくりと顔を上げたリリアの目に飛び込んできたのは、自らを庇い、背中から深々と剣を突き立てられたユリウスの姿だった。
「で、殿下……? あ、ああぁ……っ!」
太陽の光を反射して輝いていた美しい銀髪が、みるみるうちにどす黒い赤に染まっていく。
ユリウスの身体から急速に力が抜け、リリアの腕の中へと崩れ落ちた。彼の重みが、リリアの身体にのしかかる。
暴漢は血塗られた剣を引き抜き、再び凶刃を振り上げようとしていた。
愛する人が、自分の目の前で命を散らそうとしている。
パレードの日からずっと見上げ続けてきた眩い光が、理不尽な暴力によって永遠に失われようとしている。
理解の範疇を超えた絶望と恐怖に、リリアの全身がガタガタと激しく震え、呼吸の仕方を忘れたように息が詰まった。
(嫌だ……嫌っ! 殿下、死なないで……!)
パニックに陥りそうになる頭の片隅で、生存本能と、彼を絶対に失いたくないという強烈な執念が、凍りついたリリアの思考を強制的に叩き起こした。
ただ怯えて泣く無力な子供だった過去は、もう捨てたのだ。自分は、彼を守るためにここまで来たのではないか。
(私には……この時のために、この力があるんだわ!)
迫り来る凶刃を前に、リリアは涙に濡れた瞳を大きく見開き、強く、強く瞼を閉じた。
パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。
連続で三回。
運命を覆すための、決死のマバタキだった。
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強烈な浮遊感と吐き気がリリアの身体を容赦なく突き抜けた。
視界が大きく歪み、ユリウスの背中を深々と貫いた凶刃が、凄まじい速度で逆行していく。飛び散った鮮血が見えない糸に引かれるように彼の身体へと戻り、馬車の扉を蹴り破った暴漢の姿が巻き戻っていく。
耳の奥で、鼓膜を引っ掻くような逆再生の不協和音が鳴り響き――。
ふっと、足の裏に馬車の床の感触が戻った。
時は、正確に十秒前。外で騎士団長レオンが「殿下には指一本触れさせんッ!」と剣を抜き、最初の暴漢に斬りかかった直後の瞬間であった。
(急がないと、また殿下が……!)
リリアは躊躇することなく座席から滑り降り、ユリウスの服の袖を強く引いた。
「殿下、こちらへ! 座席の下に隠れてください!」
王族が乗る特注の馬車には、万が一の襲撃に備えて座席の下に隠し扉――緊急回避用のシェルターが設けられていることを、リリアは王宮の設計図録を読み込んで知っていた。
リリアが座席の下にある隠しレバーを引くと、床板が音もなくスライドし、大人二人が辛うじて入れる程度の狭い空間が現れた。
「リリア、君が先に入れ!」
「駄目です、私はおとりになります!」
外から、馬車の扉へと迫る暴漢の足音が聞こえる。ユリウスは自らの命よりもリリアの安全を優先しようとしたが、リリアが半ば強引に彼の身体をシェルターへと押し込んだ。
直後、ユリウスがリリアの細い腕を力強く引き寄せ、彼女の身体ごと暗いシェルターの中へと引きずり込んだ。
カチャン、と内側からシェルターの蓋が閉まったまさにその刹那。
ガンッ!!
頭上で、馬車の扉が蹴り破られる激しい音が響いた。十秒前の未来と同じように、暴漢が車内へと躍り込んできたのだ。
光の届かない極度に狭いシェルターの中で、リリアとユリウスの身体は隙間なく密着していた。
暗闇の中、ユリウスの逞しい両腕がリリアの背中に回り、彼女の頭を自身の広い胸板へと強く押し当てた。そして、彼女の耳を大きな掌でそっと塞ぐ。
「……見なくていい。音も、聞かなくていい」
ユリウスの口唇がリリアの髪に触れ、甘く囁く。
それは、暴漢の息遣いや外で繰り広げられる血みどろの惨劇から、愛する婚約者を徹底的に遠ざけようとするユリウスの過保護なまでの庇護であった。
リリアの耳には、外の喧騒はくぐもってしか聞こえない。代わりに聴覚を満たしたのは、耳に押し当てられたユリウスの胸の奥から響く、ドクン、ドクンという力強く熱い心音だった。
彼を失うかもしれないという極限の恐怖と、密室で彼と肌を重ね合わせるように抱き合っている甘やかな高揚感。相反する二つの激しい感情が渦を巻き、リリアの頭の中は整理がつかないほどにショートしそうになっていた。
(殿下は確かに生きている……私が、お守りしたんだわ)
ユリウスの体温に包まれながら、リリアは安堵で震える手を、彼の背中へとそっと回した。




