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チクタクリターン ~十秒だけ時間を戻せる身代わり令嬢が、孤高にして高嶺の王太子から甘く溺愛されるまで~  作者: 団田図


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第29話 ヒゲ

 さすがのリリアも、まだ発表されていないその最新情報までは知る由もない。彼女は無理に知ったかぶりをすることなく、静かに深く頭を下げた。


「申し訳ございません。私の不勉強ゆえ、その勅令については存じ上げません。どうか、イザベラ様の深い見識でご教授願えませんか?」


 一度頭を下げてイザベラに教えを乞うリリア。


 リリアが頭を下げた瞬間、イザベラの顔にパッと歓喜の醜い笑みが広がった。


「オーホッホッホ! やはり、メイド上がりの平民には王宮の最新の動きなど理解できないのですね! そんなことも知らないで王太子妃になろうだなんて、片腹痛いですわ!」


 イザベラは得意げに扇子を広げ、周囲の貴族たちに見せつけるように、その勅令の内容を高らかに説明し始めた。


「よろしい、無知なあなたに教えて差し上げますわ。我が国の国王陛下は、周辺諸国のすっきりしたスタイルを取り入れたいとお考えになり、殿方へヒゲを剃ることを義務化なさいましたのよ!」


 イザベラはそんなことも知らないのかとリリアを無知だと罵り、完全に優位に立ったと確信して高笑いを上げた。


(周辺諸国のすっきりしたスタイルを取り入れたため、ヒゲを剃ることを義務化した……なるほど、ヒゲ税の導入ね)


 頭を下げたまま、リリアはその答えを一言一句、完璧に記憶した。

 彼女の最大の武器は、古書店で培った知識だけではない。この絶望的な状況を覆すための、秘密の能力がある。

 イザベラの高笑いが大広間に響き渡る中、リリアはここで能力を使い、連続で3回マバタキをした。


 パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。


 強烈な浮遊感がリリアの身体を突き抜ける。視界が激しく歪み、イザベラの高笑いが逆再生の不協和音となって巻き戻っていく。シャンデリアの光がブレ、周囲の貴族たちの動きが凄まじい速度で逆行する。


 時間は、正確に10秒前へと遡っていった。


 +++


 ふっと足の裏に大理石の感触が戻る。

 そこは、10秒前に戻ったリリアが、イザベラから意地悪な質問をされた直後のタイミングであった。


「殿方のヒゲに関する最近下された勅令について、未来の王太子妃であるあなたならば、当然ご存知ですわよね?」


 10秒前と全く同じ、勝ち誇った声。


 しかし、今のリリアはもう無知ではない。彼女は先ほど聞いたばかりの最新情報を胸に、頭を下げるどころか、毅然とした態度で優雅に微笑んでみせた。


「ええ、もちろん存じておりますわ、イザベラ様」

「……え?」


 予想外の返答に、イザベラが間抜けな声を漏らす。


 リリアは澄んだ声で、大広間に響き渡るように告げた。


「周辺諸国のすっきりしたスタイルを取り入れたかった国王陛下が、ヒゲを剃ることを義務化したという、あのヒゲ税に関する最新の勅令のことですね」


 リリアは、先ほどイザベラから聞いたばかりの最新の勅令の内容を、一言一句違わずに完璧に言い当ててみせたのだ。


「なっ……!?」


 絶対に答えられないはずの極秘情報の質問を完璧に返されたイザベラは、屈辱と驚きで完全に言葉を失った。持っていた扇子が手から滑り落ち、カランと虚しい音を立てて床に転がる。


「ど、どうして……昨日できたばかりの、まだ誰にも……」


 血の気を失い、ワナワナと震えるイザベラ。その異様な様子とリリアの見事な返答に、周囲の貴族たちは水を打ったように静まり返った。


「一体、何事だい?」


 その時、大広間の騒ぎを聞きつけた王太子ユリウスが、近衛騎士を伴って人垣を割ってやってきた。

 彼は事の次第と、リリアが「ヒゲ税」について見事に答えたことを周囲の者から知り、驚きに目を見張った。

 そして、愛しい婚約者へと歩み寄り、心からの感嘆を込めて優しく微笑んだ。


「驚いたな。その勅令は、つい昨晩、父上がごく一部の側近にだけ話した決定だ。私ですら今朝聞いたばかりなのに、君の耳の早さと知識欲には恐れ入るよ」


 次期国王である王太子ユリウス自身から、その情報が最高レベルの機密であったことのお墨付きをもらった瞬間だった。


「あ……あぁ……っ」


 イザベラは完全に逃げ道を失い、顔を覆ってその場に崩れ落ちそうになった。王妃の後ろ盾を利用して極秘情報をひけらかそうとした浅はかさと、それを軽々と凌駕したリリアの底知れない情報網と教養の前に、彼女の高慢なプライドは完全に粉砕されたのだ。


「あの難しい古代言語を完璧に操るだけでなく、王宮の最新の極秘情報まで……」

「なんという知性と情報網だ。彼女はただの令嬢ではない、真の賢婦だ……!」


 周囲を取り囲んでいた貴族たちの見る目が、一瞬にして変わった。


 もちろん、伝統を重んじる古参貴族たちの中には、いまだに彼女のメイド上がりという出自を理由に、腹の底で反感を抱き続けている者もいる。だが、少なくともこの瞬間、彼女をただの「無知で品性のない成り上がり」と表立って嘲笑できる者はいなくなった。

 いかなる罠にも動じない優雅な立ち振る舞いと、リリアの底知れない圧倒的な教養を前に、イザベラをはじめとする敵対者たちも一時的な沈黙を強いられたのである。


(10秒戻る力と、古書店での学びが……私をこの場所に立たせてくれた)


 静まり返る大広間の中、リリアはユリウスと視線を交わし、静かに、しかし誇り高く微笑んだ。

 身分という見えない壁に、自らの実力と覚悟で最初の大きな風穴を開けた夜。時を駆ける令嬢リリアの圧倒的な賢さは、王宮中に広く知れ渡ることとなったのである。

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