第27話 執務室での安らぎ
「リリア、すまないね。君に窮屈な思いをさせてしまって」
レオンが退出した後、ユリウスは書類から顔を上げ、柔らかく微笑んだ。その瞳には、昨夜見せたような深い愛情と、彼女を絶対に守り抜くという強烈な意志が宿っている。
「とんでもございません。私の命まで案じてくださり、感謝の言葉もありませんわ」
リリアは優雅に一礼した。
二人は今、協力してユリウスの命を狙う暗殺者の手がかりを探していた。豪商アルバート家でのメイド経験と、古書店で培った膨大な知識を活かし、リリアは過去の来客記録や王宮内の怪しい物資の搬入リストなど、複雑な書類の束を素早く整理していく。
緊迫した空気の中、膨大な資料と睨み合っていたユリウスが、ふと眉間を揉むようにして小さなため息を漏らした。
(殿下、少しお疲れのようね)
リリアは音を立てずに立ち上がると、部屋に備え付けられていた茶器を手にした。彼女はアルバート家で磨き上げた完璧な腕前で、茶葉の香りを最大限に引き出し、リラックス効果のあるハーブを絶妙な分量でブレンドして温かいお茶を淹れた。
「殿下、少し休憩になさいませんか」
最高級の陶器に注がれた琥珀色の液体を、静かに執務机の端へと置く。
ユリウスは驚いたように目を瞬かせ、そのお茶を一口飲んだ。途端に、彼の張り詰めていた表情が、春の雪解けのようにふわりと緩む。
「……美味しい。君の淹れる茶を飲んでいる時だけが、心から安らげるよ」
彼が甘く優しい微笑みを向けたその時、カップを置こうとしたリリアの指先と、ユリウスの大きな手がほんの僅かに触れ合った。
「あっ……」
「すまない……」
ビクッと肩を跳ねさせたリリアの白い頬が、みるみるうちにワインのように真っ赤に染まる。ユリウスもまた、気まずそうに視線を泳がせながら、わずかに耳の先を赤くしていた。
常に命を狙われる過酷な環境にありながらも、同じ空間で過ごす時間の中で、二人は確実にお互いを異性として意識し始めていた。それは、暗殺の恐怖と隣り合わせの緊迫感の中に咲いた、甘く穏やかな日常であった。
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その頃、ユリウスが平民上がりのメイドを婚約者として指名したことに対し、王宮内では反応が真っ二つに割れていた。
国王は、豪商アルバートの莫大な財力を国政に取り込めるという大きな利点から、この婚約を容認していた。新興勢力の経済力は、王国の基盤を盤石にするために喉から手が出るほど欲しかったのだ。
しかし、伝統と格式を何よりも重んじる王妃の考えは全く違った。
「なんという屈辱……! 由緒正しき王太子の隣に、あのような成り上がりの商人の娘が立つなど、王家の歴史に対する冒涜です!」
王妃の豪奢な私室に、ヒステリックな怒声が響き渡った。彼女の前で優雅に頭を垂れているのは、王宮内で最も高い権力を持つ古参貴族の代表格、高慢な公爵令嬢イザベラであった。
派手で高価なドレスを着こなすイザベラの唇の端には、隠しきれない冷酷な嘲笑が浮かんでいる。
「おっしゃる通りでございます、王妃様。あの品性のないメイド上がりを野放しにしておけば、王宮の品位は地に落ちてしまいますわ」
「わかってくれますか。国王陛下は財力に目が眩んでおられるようですが、私が決して許しません。イザベラ、あなたに任せます」
王妃は扇子をピシャリと閉じ、イザベラを鋭い目で見据えた。
「近々開かれる夜会で、あの成り上がり娘に、王宮の厳しさと身の程を教えてやりなさい」
「承知いたしました。わたくしにお任せくださいませ」
王妃からの直接の後ろ盾という絶対的な権力を手にしたイザベラは、深く優雅に一礼した。その瞳の奥には、リリアを大勢の貴族の前で徹底的に辱め、完膚なきまでに叩き潰してやろうという、昏く陰湿な喜びが渦巻いていた。
静かな執務室で愛を育むリリアとユリウスのあずかり知らぬところで、黒い悪意の波が、確実に彼女の足元へと迫りつつあった。




