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チクタクリターン ~十秒だけ時間を戻せる身代わり令嬢が、孤高にして高嶺の王太子から甘く溺愛されるまで~  作者: 団田図


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第25話 隠し刀

「……連続で三回マバタキをすることで、十秒だけ時間を巻き戻すことができる。それが、私の持つ『チクタクリターン』の能力です」


 静まり返った別室で、リリアは自身の秘密を全て打ち明けた。

 大広間での騒動の最中、ユリウスが毒入りワインを口にする未来を何度も見て、それを回避するために数十回に及ぶ限界ギリギリの時間遡行を繰り返したのだと。


 荒唐無稽な魔法のような話だ。しかし、ユリウスはリリアの言葉を鼻で笑うことも、疑うこともしなかった。彼は顎に手を当て、真剣な眼差しでリリアを見つめている。


「なるほど。あの人混みの中を、君が誰ともぶつからずにすり抜け、完璧なタイミングで私のグラスを弾き落とせた理由が腑に落ちた。……だが、それを完全に信じるには、少しばかり証拠が足りないな」


 ユリウスは静かに一歩、リリアへと近づいた。そして、着ている豪奢な上着の裏地を僅かにめくり、そこに仕込まれていた『ある物』をリリアに見せた。


 それは、黒い柄《つか》を持つ、銀色に鈍く光る小さな隠し刀だった。


「これは、護身用に私だけが知っている位置に縫い付けてある特注の刃だ」


 ユリウスは隠し刀から手を離し、上着を元に戻すと、試すような、しかしどこか熱を帯びた瞳でリリアを見下ろした。


「これを君に見せた意味が、わかるかい?」


 もしリリアが暗殺者であれば、自らの最後の切り札を晒す愚行である。しかし、彼女の能力が本物であるならば、これ以上の証明方法はない。


 彼の意図を完全に理解したリリアは、静かに一つ頷いた。そして、ユリウスの深い藍色の瞳から視線を逸らすことなく、連続で三回、マバタキをした。


 パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。


 強烈な浮遊感と共に、視界が激しく歪む。ユリウスの言葉が逆再生され、彼が上着の裏地をめくる動作が巻き戻っていく。


 ふっと足に絨毯の感触が戻った。

 そこは、ユリウスが「証拠が足りないな」と口にし、一歩近づいてこようとしたまさにその瞬間であった。彼が隠し刀を見せる直前の世界。


 リリアは、ユリウスが動くよりも早く、凛とした声で言い放った。


「殿下の上着の左裏地には、護身用の小さな隠し刀が縫い付けられています。黒い柄に、銀色の鋭い刃を持つ特注の品でございます」


 ピタリと、ユリウスの動きが止まった。


 彼は驚愕に見開かれた目で自身の左胸元とリリアを交互に見比べ、やがて、堪えきれないといった様子で喉の奥で低く笑い声を上げた。


「……降参だ。君の目は、本当に未来を見ているのだな」


 ユリウスの顔から、王太子としての冷徹な仮面が完全に剥がれ落ちた。

 彼はゆっくりとリリアの手を取り、その手の甲に自らの額をそっと押し当てた。それは、主君が臣下に向けるものではなく、一人の男が絶対的な信頼を寄せる相手に向ける、敬虔《けいけん》な祈りのような仕草だった。


「私はこれまで、毎日が暗殺との戦いだった。出される食事の味もわからず、自分に向けて微笑む貴族たちの笑顔の裏に、常に刃を探して生きてきた」


 絞り出すような彼の声には、王冠を戴《いただ》く者が背負わねばならない、途方もない孤独と重圧が滲《にじ》んでいた。


「だが、君だけは違う。君は十年前も、そして今日も、見返りすら求めず、自らの身を呈して私を救ってくれた。……リリア、私はもう、君を手放せない。君を常に、私の最も近くに置いておきたいと願ってしまうよ」


 熱を帯びた瞳で見つめられ、リリアの心臓が甘く、激しく跳ねた。


 泥の底から見上げていた光が、今、自分を求めてくれている。この孤独で気高い人を、自分の能力と知識の全てを懸けて守り抜きたいと、リリアの心に強固な決意が宿った。


 +++


 別室での密談を終え、二人が大広間へと戻ると、騒ぎは一旦の落ち着きを見せていたものの、貴族たちの間には依然として異様な緊張感が漂っていた。


「殿下! ご無事で!」

「して、あの狂った令嬢の処遇はいかがなされますか! 即刻地下牢へ……」


 詰め寄る古参貴族たちを、ユリウスは冷ややかな一瞥《いちべつ》で黙らせた。そして、バルコニーの国王と、大広間に集う全員に向かって、よく響く通る声で宣言したのだ。


「皆に紹介しよう。彼女の名はリリア。私の命を暗殺者の毒牙から救った、勇敢で聡明なご令嬢だ。……そして私は、彼女を我が『婚約者』として迎えることをここに決断した!」


「「「……は?」」」


 大広間が、爆発したような凄まじいどよめきに包まれた。


 貴族たちだけではない。リリア自身も目を丸くしてユリウスを見上げた。常にそばに置いておきたいとは言われたが、まさか「婚約者」として発表されるなど、一言も聞いていなかったのだ。


「正気ですか、殿下! どこの馬の骨とも知れぬ、初めて会ったばかりの人物を王太子の妃にするなど、諸国の笑い物になりますぞ!」

「そうです! 伝統ある王家の血を、そのような卑しい女で汚すなど断じて認められません!」


 伝統と身分を重んじる古参貴族たち――特に、次期王妃の座を狙っていた公爵令嬢のイザベラを筆頭とする派閥が、顔を真っ赤にして猛反発を始めた。国王でさえも、眉をひそめて難色を示している。

 身分違いの壁が、明確な悪意となってリリアに襲いかかろうとした、まさにその時だった。


「我が娘を、卑しいとは聞き捨てなりませんな」


 群衆をかき分け、堂々たる足取りで進み出たのは、ふくよかな体躯《たいく》を持つ大富豪、豪商アルバートであった。


 彼はリリアの隣に並び立つと、王族や大貴族たちを前にしても一切臆することなく、温和だが絶対に退かない強者の笑みを浮かべた。


「皆様、誤解なきようお願いしたい。彼女は単なる令嬢ではない。私の長年の知己が見出し、私がその比類なき才能と教養に惚れ込んだ、我が豪商アルバート家の正式な『養女』である!」


 アルバートの突然の爆弾発言に、再び会場が大きく揺れた。

 同じくさらに驚いてアルバートを見上げるリリアに対し、彼はこっそりと優しくウインクをして見せた。


「我が愛娘リリアが殿下の婚約者となるのであれば、私に否やはない。このアルバート家の莫大な総資産と、国内外に広がる全商流をもって、次期国王であらせられるユリウス殿下の治世を全力でお支えする所存である!」


 それは、単なる養女縁組の発表ではない。強大な財力を持つ新興勢力のトップが、王太子派に完全につくという政治的な大宣言であった。


 この申し出に、最も早く計算を弾き出したのは現国王だった。王国の財政基盤を強固にするため、アルバートの財力は喉から手が出るほど欲しい。それが「婚約」という形で王家に取り込めるのであれば、平民上がりという身分の壁など取るに足らない問題だった。


「……うむ。アルバート家の令嬢であれば、身分に不足はない。殿下の命を救った功績も鑑み、余はこの婚約を容認しよう」


 国王の鶴の一声により、古参貴族たちはぐぬぬと奥歯を噛み締め、それ以上の反論を封じられた。


 リリアは胸がいっぱいになり、視界が涙で滲んだ。


 ただの身代わりとして来たはずの夜会で、愛する人の婚約者となり、そして何より、アルバートが公衆の面前で自分を「誇り高き娘」として正式に迎え入れてくれたのだ。


 ユリウスが、そっとリリアの腰に手を回し、優しく引き寄せた。


「これから忙しくなるぞ、私の可愛い婚約者よ」

「……はい。どこまでも、殿下のおそばにお供いたします」


 王宮のシャンデリアが眩く輝く中、時を駆ける令嬢の運命の歯車が、今、大きく回り始めたのであった。

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