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チクタクリターン ~十秒だけ時間を戻せる身代わり令嬢が、孤高にして高嶺の王太子から甘く溺愛されるまで~  作者: 団田図


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第20話 王宮からの招待状

 大富豪アルバートの広大な屋敷に、一通の封書が届けられた。


 それは、グランデリア王国の中枢である王宮から送られてきた、夜会(パーティー)への招待状であった。


 十八歳を迎えたアルバートの愛娘、クロエが正式に社交界デビューを果たすための重要な催しである。

 莫大な財力で国政にも影響力を持ち始めた新興の豪商であるアルバート家にとって、王家から直接招待を受けることは無上の名誉であり、屋敷の者たちは誰もが喜びに沸き立っていた。


 しかし、当のクロエ本人の顔色は、招待状に押された豪奢な王家の封蝋を見た瞬間に、さあっと真っ青に染まりきっていた。


「……無理。絶対に、無理よ……っ」


 自室のベッドの端に丸くなり、極度の内気であるクロエは怯えてカタカタと小刻みに震えていた。


 彼女の脳裏には、過去に参加を強いられた貴族たちのお茶会や夜会での恐ろしい記憶が、鮮烈なフラッシュバックとなって蘇っていたのだ。


 伝統と家柄を重んじる古参貴族の令嬢たちからの、見下すような冷ややかな視線。


 豪華な扇子の向こう側で交わされる、「歴史もない新興の成り上がり」「金ばかりの商人の娘風情が」というあからさまな嘲笑と蔑《さげす》みの言葉。


 彼女たちの悪意に満ちた針のような視線に再び晒されることを想像しただけで、クロエの呼吸はひゅっと浅く、早くなる。


 過呼吸気味になり、胸のあたりをきつく押さえて、ぽろぽろと大粒の涙を流し、参加したくないと部屋に引きこもって泣きついてしまった。


「クロエお嬢様、落ち着いてください。ゆっくり、私の真似をして息を吐いて……」


 心配して温かい紅茶を運んできたリリアは、ベッドの傍らに静かに膝をつき、クロエの震える背中を優しくさすった。

 メイドとして働き始めて数年、リリアはクロエにとって単なる使用人ではなく、常に優しく自分を守ってくれる唯一無二の大好きな「自慢の姉」のような存在になっていた。


「リリアお姉様……っ、私、あの冷たい人たちのいる場所には行けない。意地悪な目で見られたら、息が詰まって死んでしまうわ……!」


 泣きじゃくるクロエは、甘えるようにリリアのメイド服の袖を強く握りしめた。


「お願い、リリアお姉様! 私の代わりに……私の代役として、王宮の夜会へ行ってちょうだい!」


「えっ……? だ、代役だなんて、とんでもございません。私はただのメイドです。王宮の夜会に出るなど、身分が違いすぎます」


 リリアは驚き、メイドという身分を気にして躊躇し、慌てて首を横に振った。

 いくらクロエと家族のように親しくしているとはいえ、王宮の夜会は国を動かす王族や大貴族たちが集う、この国で最上級の社交場である。


 裏路地で虐《しいた》げられて育った孤児院出身の自分が、安易に足を踏み入れて良い場所ではない。

 しかし、そこへ重々しい足音と共に部屋へ入ってきた親ばかなアルバートもまた、リリアに向かって深く頭を下げたのだ。


「リリア。どうか、クロエの願いを聞き入れてはくれないだろうか」


「旦那様まで……! ですが、私がアルバート家の令嬢として振る舞うなど、すぐにボロが出てしまいます。もし露見すれば、旦那様やお嬢様に泥を塗ることに……」


「いいや、そんなことは絶対にない」


 アルバートは力強く断言した。


「お前が古書店で血の滲《にじ》むような努力を重ね、どれほど深い教養と美しい作法を身につけてきたか、私は誰よりも知っている。多国語にも通じ、貴族以上の完璧な教養と作法を知っているお前ならば、我が家の代表として決して恥ずかしくない。むしろ、お前しかいないのだ」


 親ばかであるアルバートは、泣き崩れる愛娘を無理やり悪意の渦巻く社交界の波に放り込むことなどできなかった。

 そして同時に、リリアの圧倒的な実力と、どんな逆境にも動じない強い人間性を誰よりも高く評価していたのである。


 主人であるアルバートからの最大の賛辞と、涙ながらに袖を引くクロエの懇願。

 大切な二人の家族からこれほどまでに頼み込まれては、リリアに断りきるという選択肢はなかった。


「……し、承知いたしました。私がお力になれるのであれば、謹んでお引き受けいたします」


 リリアが静かに頷くと、クロエは「ありがとう、お姉様!」と泣きながら抱きつき、アルバートも安堵の息を長く吐き出した。


 +++


 代役を引き受けた夜。


 屋敷の仕事を終えて自室に戻ったリリアは、木製の引き出しの奥底から、小さな布の包みをそっと取り出した。


 布を解くと、中から現れたのは、金色の糸で複雑な王家の紋章が刺繍された、最高級の純白の絹のハンカチであった。


 それは十年前の十歳の時に、薄暗い下町の古書店で、高い脚立から落下した店主から身を挺して庇ったあの美しい少年に、すりむいた傷口へ押し当てられたものだ。


 孤高にして高嶺の王太子、ユリウス。


 十歳の時、大通りのパレードの豪華な馬車の小窓から退屈そうに下界を見下ろしていた彼を見たあの日から、リリアにとって彼は、暗い泥の底から見上げる唯一の眩い光であった。

 少しでも長くその姿を見ていたくて、初めてマバタキを連続で三回行う能力を使い、何度も時間を十秒前に戻して網膜に焼き付けた神々しい姿。

 そして、古書店でもらった王太子ユリウスからの温かい手の記憶は、二十歳になった今でもリリアの胸の奥で静かに、けれど熱く燃え続けている。


(王宮の、夜会……)


 リリアは、指先でその美しい金糸の刺繍をそっとなぞり、静かに見つめた。


 クロエの代役を引き受けた理由は、もちろん大切な彼女を守るためである。

 だが、王宮へ行くことに対して、リリアの心の奥底には誰にも言えないもう一つの密かな高揚感が渦巻いていた。


(あの方が生きる世界を、この目で……本当に、見ることができるのね)


 ずっと古書店の本の中でしか知らなかった、華やかな王宮。


 そして、手の届かない遠い雲の上にいるあの美しい王太子が立つ、眩い光の世界。

 裏路地の淀《よど》んだ影の中で生きていた自分が、その場所へ足を踏み入れる日が来るなど、幼い頃からの密かな憧れが現実になる実感が湧き上がってくる。


 長年の孤独な猛勉強と、生き抜くための戦いの末に、ついにあの光の近くへと繋がる扉が開かれたのだ。


 ハンカチを胸に抱きしめると、上質な絹の感触が、高鳴る心臓の鼓動を優しく受け止めてくれた。


 ただのメイドとしてではなく、豪商アルバート家の令嬢の代役として。

 リリアは窓の外に広がる王都の夜空を見上げ、来るべき王宮の夜会に向けて、静かに、そして確かな覚悟を固めるのであった。

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