第17話 悪魔との再会
王都セント・グランデの午後は、今日も多様な人々が行き交い、活気に満ちていた。大通りに面した商店の店先には色鮮やかな果物や他国から持ち込まれた珍しい品々が並び、陽気な音楽と人々の笑い声が絶え間なく響いている。
その喧騒の中を、メイド服に身を包んだリリアは軽やかな足取りで歩いていた。彼女の腕に抱えられた紙包みからは、ふわりと甘い香りが漂っている。
中に入っているのは、隣国から輸入されたばかりの珍しい砂糖菓子だった。大富豪アルバートの屋敷でメイドとして働き始めて数年、リリアにとって一番の喜びは、極度の人見知りであった令嬢クロエが心を開き、年相応の無邪気な笑顔を見せてくれるようになったことだ。
(美しいガラス細工の小鳥の出来事を経て、今ではすっかり私を「お姉様」と慕ってくれるクロエお嬢様。……この新しいお茶菓子を見たら、きっと目を輝かせて喜んでくださるわ)
クロエが美味しそうに頬張る姿を想像するだけで、リリアの胸の奥に温かいものが広がる。孤児院や裏路地での過酷な生活では決して得られなかった、穏やかで幸福な日常。この温かな居場所を守り、大切な家族である彼らに恩返しをしていくことが、今のリリアの全てであった。
買い物を終えたリリアは、屋敷へ向かって歩き出したが、大通りの交差点は他国からの隊商の荷馬車でひどく混雑していた。このままでは屋敷に戻るまでにかなりの時間がかかってしまう。
リリアは少し思案した後、大通りから一本外れた細い路地へと足を踏み入れた。
彼女は古書店での猛勉強の中で、歴史書や外国語の書物だけでなく、王都の精緻な都市計画図や古い建築の図面までも頭に叩き込んでいた。そのため、どの路地がどう繋がり、どこを通れば最短距離で目的の場所へ抜けられるのかを、地図を開くまでもなく完全に把握しているのだ。
少し薄暗く、日の光が届きにくい裏路地ではあるが、足早に通り抜ければ問題はないはずだった。早く帰ってクロエと一緒に温かいお茶の時間を楽しみたい。その一心で、リリアは迷いのない足取りで入り組んだ裏道を縫うように進んでいった。
しかし、人気のない湿った石畳の路地を半ばほど進んだ時だった。
背後から、ひたひたと粘りつくような足音が近づいてくるのに気がついた。
(え……?)
ただの通行人かと思ったが、足音は明らかにリリアの歩調に合わせ、確実に距離を詰めてきている。古書店で培った知識と、かつて危険なスラムで生き抜いた直感が、激しい警鐘を鳴らした。
足早に路地を抜けようとリリアが速度を上げた瞬間。
ドンッ、と背後から強い力で壁に押し付けられ、リリアの細い腕がギリッと骨が軋むほど強く掴まれた。
「痛っ……!」
紙包みが手から滑り落ち、甘い匂いを放っていた砂糖菓子が冷たい石畳の上に散らばる。
悲鳴を上げそうになったリリアの鼻腔を、むせ返るような安酒の臭いと、何日も風呂に入っていないような不快な汗の臭いが容赦なく突いた。
「見つけたぜぇ……俺様の可愛い可愛い宝物ちゃん」
耳元で囁かれたそのひび割れた濁声を聞いた瞬間、リリアの心臓が凍りつき、全身の血の気が一気に引いていくのを感じた。
恐る恐る振り返った先には、薄汚れ、無精髭を伸ばした男が、血走った目をギラギラと輝かせてリリアを見下ろしていた。
「お、おじ、さん……?」
ガストン。
十歳の時にリリアを虐げ、闇カジノに連れ込んで能力を悪用しようとした、あの親戚の叔父であった。
(どうして……!? あの時、治安部隊に捕まって、地下牢に入れられたはずじゃ……!)
リリアの頭の中はパニックに陥った。
薄暗くカビ臭い部屋で朝から晩までこき使われた日々。暴力の痛み。そして、あの闇カジノで全財産を失い、怒り狂って自分を吊るし上げたガストンの醜悪な顔。
完全に終わったはずの過去の恐怖が鮮烈なフラッシュバックとなって蘇り、リリアの呼吸を浅く、乱れさせる。ガストンに掴まれた腕が小刻みに震え出した。
「驚いたか? そりゃそうだろうな。てめえのせいで、俺は長いことあの臭え牢獄の中で地獄を見たんだからな」
ガストンは歪んだ笑みを浮かべ、リリアの腕を掴む手にさらに力を込めた。
「だがな、ようやく満期の刑期を終えてシャバに出てこれたんだ。運が良いことに、牢屋仲間の裏のツテでな、豪商の屋敷でてめえにそっくりな娘が働いてるって情報を得てな。お前が一人で出歩くのを、ずっとここで張ってたってわけだ」
ガストンの執念深い言葉に、リリアは絶望的な寒気を覚えた。彼は何年もの間、リリアへの恨みと強欲を腹の底で煮詰め続けていたのだ。
ガストンの下卑た視線が、リリアの着ている上質なメイド服を舐め回すように動く。
「それにしても、良い服を着せてもらってるじゃねえか。その生地の艶、どう見ても安物じゃねえ。……今の主は、よっぽど金を持ってる豪商なんだろうなぁ?」
ガストンの目が、かつて闇カジノでチップの山を見た時と同じ、底なしの強欲な色に染まっていく。彼はニチャリと舌なめずりをして、リリアの顔に不快な息を吹きかけた。
「お前のその服を見れば、どれだけ恵まれた生活をしてるか一目でわかるぜ。だがな、俺がお前の育ての親だってことを忘れるなよ? ……いいか、今度こそ俺を大儲けさせろ。お前のその『時間を戻す気味の悪い力』を使って、俺にたんまりと金を稼がせるんだ」
「いや……離して……!」
リリアは必死に腕を振り払おうとしたが、大人の男の力に敵うはずもない。
ガストンの目には、もはやリリアは一人の人間ではなく、無限に金を生み出す便利な道具としてしか映っていなかった。
「断ればどうなるか、分かってるよなぁ? お前の今の主に、お前が裏路地出身の気味の悪い化け物だってバラしてやる。それとも、あの時みたいに力ずくで言うことを聞かせてやろうか?」
逃げ場のない薄暗い路地裏。響き渡る悪意に満ちた脅迫。
築き上げてきた幸福な生活が、大切な家族であるアルバートやクロエとの未来が、この男の薄汚い欲望によって今まさに音を立てて崩れ去ろうとしていた。




