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チクタクリターン ~十秒だけ時間を戻せる身代わり令嬢が、孤高にして高嶺の王太子から甘く溺愛されるまで~  作者: 団田図


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第10話 孤児院での処世術

 闇カジノでの恐ろしい事件を経て、十歳のリリアは王都にある小さな孤児院へと引き取られた。

 隙間風の吹き込む粗末な部屋と、味の薄いスープだけの食事。決して恵まれた環境ではなかったが、そこにはガストンのような理不尽な暴力も、命を脅かされる恐怖もなかった。


 リリアは新しい生活を始めるにあたり、自身の心に固く誓ったことが一つある。それは、十秒だけ時間を戻す能力の事を、二度と周囲に知られないように完全に隠し通すことだった。


 自身の不思議な力が、身内の大人を強欲な怪物へと変え、破滅へと向かわせた光景は、彼女の網膜に深く焼き付いている。他人の運命を歪め、人を狂わせるこの能力は、不用意に使えば再び自分の身を滅ぼすことになると悟っていたのだ。


 同時に、彼女は自分が搾取され、あわや命を落としかけた根本的な原因を冷静に分析していた。

 それは、自分が世の中の仕組みや文字を全く知らない無知であったからだ。


(何も知らなければ、また誰かに騙される。自分の身を守るためには、絶対に知識が必要なんだわ)


 孤児院での生活の中でも、その決意と能力が試される場面はすぐに訪れた。

 ある日の昼下がり、古株の年上の子供たちが、新入りのリリアを標的にして、彼女に与えられた小さなパンを奪おうと路地裏に追い詰めてきたのだ。


「おい、そのパンを寄こせよ。新入りは俺たちの言うことを聞くルールなんだ」


 以前のリリアであれば、怯えて泣き出し、ただ奪われるがままになっていただろう。だが、今の彼女は違った。

 リリアは静かに目を閉じ、連続で三回、マバタキをした。


 パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。


 強烈な浮遊感と共に、十秒の時間が巻き戻る。

 年上の子供が脅し文句を口にする直前の世界。リリアは相手が動くよりも早く、自らパンを半分に割り、穏やかな微笑みを浮かべて差し出した。


「このパン、一人で食べるには少し大きいと思っていたんです。あなたたち、孤児院のルールを教えてくれる親切な先輩ですよね? もしよければ、一緒に食べませんか?」


 威圧しようとしていた年上の子供たちは、予想外の友好的な態度と、大人びた言葉遣いにすっかり毒気を抜かれてしまった。彼らは戸惑いながらもパンを受け取り、気まずそうにリリアの隣に座り込んだ。


 能力を使って相手の行動を先読みし、そこに本で得た知識と穏やかな交渉術を組み合わせることで、争いが起きる前に和解へと導いたのだ。リリアはただ逃げるだけでなく、友好な関係を作り出して生き抜くための処世術《しょせいじゅつ》を、実践を通じて少しずつ身につけ始めていた。


 +++


 学校に通うお金など到底ないリリアにとって、唯一の楽しみであり、最大の学び舎は、王都の片隅にある古書店街であった。

 そこには、交易の要衝であるグランデリア王国らしく、他国から流れ着いた希少な古文書や書物が山のように積まれている。


 リリアは毎日、特定の古書店へと通い詰めていた。ただ立ち読みをするだけでは追い出されてしまうと考えた彼女は、店主の足元の埃を丁寧に掃き清め、高齢の彼には重すぎる本の束を運ぶ手伝いを無給で引き受けた。


「ふん。掃除が終わったなら、そこの隅の本なら読んでいってもいいぞ」


 気難しい顔をした店主だったが、リリアのひたむきな働きぶりを認め、店内で本を読むことを許可してくれたのだ。


 本を開けば、そこにはリリアの知らない広大な世界が広がっていた。


 しかし、他国の歴史書や専門書には、見たこともない複雑な文字や難解な単語が数多く並んでいる。リリアは分からない箇所にぶつかるたび、接客ウンターに座る店主の袖を控えめに引き、小さな指でページを指し示した。


「店主さん、この文字はなんと読むのでしょうか?」

「あぁ? それは隣国の旧帝国語で『繁栄』だ。その横の単語は貿易の関税率を表している。そんなことも分からないで読んでるのか。まったく」


 店主はぶっきらぼうな口調で小言を言いながらも、必ず正確な答えを教えてくれた。リリアは「ありがとうございます!」と目を輝かせ、教えられた知識を乾いた砂が水を吸い込むように吸収していった。


 王都の成り立ち、周辺諸国の複雑な歴史、そして多国籍な人々が行き交うこの国で必須となる多様な外国語。

 彼女の知識欲は底なしだった。無知であった過去の自分と決別するため、血の滲むような努力で猛勉強を重ねていく。


 やがて窓の外の空が茜色に染まり、古書店に閉店の時間が近づいてくる。


「ほら、もう店じまいだ。ランタンの火を消すぞ」


 店主が手を伸ばしたその瞬間、リリアの秘密の時間が始まる。


 パチ、パチ、パチ。――チクタクリターン。


 リリアがマバタキをすると、世界が十秒前に巻き戻る。

 店主の手がランタンから離れ、再び彼が「ほら、もう店じまいだ」と口にするまでの、わずかな猶予。

 一度戻った地点が限界のセーブポイントになるため、十秒以上の過去へは戻れない。つまり、彼女が能力で稼げるのは、常に数秒程度の時間だけだった。


 それでもリリアは、店主が再びランタンに手を伸ばすたびにマバタキを繰り返し、閉店時間を自分が満足いくまで延長させた。


 めまいがするほどの集中力を研ぎ澄まし、能力を何度も何度も行使して、ただ一行、ただ一単語でも多く知識を脳裏に刻み込む。

 そうして得たほんのわずかな時間の積み重ねが、彼女の圧倒的な教養という無敵の武器になっていった。

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