8. 動き出した時間
ずっと後悔していた。
あの子に一生消えない傷を与えた言葉を吐いたあのときから。
すぐに謝りに行こうとはした。しかし、いざ動こうとすると、彼女の顔が脳裏によみがえる。
純粋な心にひびが入ったような、絶望に染まっていくような、悲壮な顔が。
我がクライス子爵家は新興貴族である。平民だった曽祖父が、その並外れた知力でのし上がり興した家だ。そのため、クライス家の人間は多くが知の才能に恵まれていて、実際に父上や兄上も要職についている。
その中で、三男の俺だけ、家族全員持っている才能がなかった。
自分が馬鹿にされることはまだよかった。だが、歴史も浅く貴族としては低い位にも関わらず重用される我が一族を妬む人は多かったようで、ここぞとばかりに俺を理由に家族まで嘲笑の的となった。
家族は気にしておらず、俺にも平等に接してくれたが、俺自身も家族を誇りつつ、どこか嫉妬のような感情が芽生えていることに気づいていた。そして、そんな俺が心の底から嫌いだった。
そんなときだ。あの事件が起こったのは。
今ではわかる。あれは彼女の純粋な心遣いだったと。
しかし、あのとき、俺は自分の心を見透かされたような気がして、恥ずかしさと怒りに任せて言葉を放ってしまった。
謝罪ができないまま時は過ぎた。
14歳になったとき、隣の領のセージ伯爵家の長女サルビアと婚約することになった。
貴族位は通常長男が継ぐため、三男の俺は身の振り方を考えなければならなかった。そんな俺にとってセージ伯爵家への婿入りは渡りに船だった。
サルビア本人も幼馴染で気心の知れた仲だし、理想的な婚約であったが、彼女の親友のあの令嬢のことだけが心に引っかかっていた。
婚約式の日、サルビアが俺を訪ねてきた。
「エド。今ね、リアが来てるの」
唐突なその言葉に固まる。
その俺の様子を見たサルビアは、俺の隣に立って窓の外を眺めた。
「私ね、あの子の力のこと知ってたの。でも何もできなかった」
急に話し始めたサルビアに驚く。彼女はそんな話をするほうではないのに。
「私その力を聞いたとき、怖くないのって言っちゃったの。そしたらリア、なんて言ったと思う?」
答えられずにいると、サルビアは心底嬉しそうに言った。
「大丈夫。家族も、親友も隣にいるからって」
黙ったままの俺に彼女は言葉を重ねる。
「他人の重荷を背負うことなんてできない。だってどこまでいっても他人だもの」
サルビアはそこまで言うと、俺の目を真っ直ぐ見た。
「でも、隣にいることならできる」
彼女は俺の手を取った。
「大丈夫、私が隣にいるから」
その声は温かく、心に沁みた。
「すまない……いや、ありがとう」
華奢な婚約者の背中が、とても大きく見えた。
彼女は応接室で待っていた。飾ってある花瓶の花のにおいをかいでいる。
「アルスト嬢」
声をかけると、彼女は勢いよく振り返り、目を見開いて固まった。
「その……」
いざ目の前にすると言葉が出てこない自分にいら立つ。
すると。
「申し訳ございませんでした」
顔を上げると、深々と頭を下げたアルスト嬢がいた。落ち着いた声とは裏腹に、握りしめた手はかすかにふるえていた。
「傷つけてしまい、申し訳ございませんでした」
目の前の令嬢は再び謝罪する。
真っ直ぐで心がこもったその謝罪が、なぜか俺には痛々しく見えた。
その姿に、半ば反射で言葉を返す。
「いや、こちらこそ申し訳なかった。その場の感情でわめいて、自分の至らなさを君で晴らして……」
口から言葉があふれてまとまらない。俺はいったん深呼吸をして、ちらっとサルビアを見た。彼女は小さくうなずいてくれた。
「君の謝罪は受け取った」
一度言葉を切って、続ける。
「そしてこちらこそひどい言葉をかけてすまなかった。許してくれるだろうか」
そういうと、彼女は少し力を抜いて小さく答えた。
「……はい」
その瞬間、ぱんっと乾いた音が響いた。サルビアだ。
満面の笑みで手をたたいた彼女をみて、アルスト嬢が声を上げる。
「サッ、サリー⁉」
今の今まで彼女がこの場にいることに気づいていなかったようだ。
「リア、和解できて良かったわ!」
「う、うん」
アルスト嬢は戸惑っているようだったが、サルビアの軽口に初めて笑みを浮かべた彼女を見て、凍っていた時間が溶けていくのを感じた。
**
部屋をノックする音が聞こえた。
そのすぐ後に聞こえた声に驚く。
「エドガー様、ロメリア・アルストです」
慌てて扉を開けると、アルスト嬢が直立していた。後ろにはサルビアもいる。
急に開いた扉に驚いたのか、アルスト嬢は少し固まっていたが、すぐに口を開いた。
「ご相談があるので、来ていただけますか」
その言葉にまた驚く。アルスト嬢は和解してもなお、私に苦手意識を持っているようだった。まあ当然だ。一度吐いた言葉は元に戻らないのだから。
それなのに、俺を頼ってきてくれた。
「あ、ああ」
無愛想な返事になってしまったが、アルスト嬢はすぐに踵を返して歩き始めた。
足音だけが響く。
空き教室に到着すると、アルスト嬢は振り返って口を開いた。
「ご相談があります」
その平坦な口調とは裏腹に、アルスト嬢は拳をきゅっと握りしめていた。
ああ、あのときと同じだ。
「私の夢、なんですけど、聞いて、くれますか」
言葉を絞り出すアルスト嬢に、俺は努めて冷静に、しかし気持ちが届くように、ゆっくりと言った。
「ああ、教えてくれるか」
俺の気持ちが届いたのか、アルスト嬢は少し肩の力を抜くと、話し始めた。
アルスト嬢の話は、にわかには信じられないものだった。
俺は考えつつ、ちらりとサルビアを見る。
彼女もこちらを見ており、小さく首を振った。
そうか、彼女も知ったばかりなのか。
再び目の前のアルスト嬢に目を戻す。
疑うという考えは浮かばなかった。しかし、彼女がどれくらいこの状況を把握して、何を求めているのかを知りたかった。
アルスト嬢は目を伏せたままだ。その手が少し震えているのを見て気づく。彼女は不安を抱えつつも、自分の直感を信じて立ち上がろうとしている。
俺は決意を固め、今できることを考えつつ口を開いた。
「では、俺はクラスの奴らに、最初の爆発事故のことを調べてみよう。君の予知夢の持ち主らしき人がいるかもしれない」
とは言ったものの、ただの学生の身では調べられることなんて限られている。
それでも、勇気を出して伝えてくれた彼女の気持ちに精いっぱい応えたかった。
アルスト嬢はあっけにとられた顔でこちらを見ていた。
「それと、氾濫場所の特定だな。とりあえず近くで怪しそうなところを探ってみよう」
そこまで言って教室を出ようとする。
「あっ」
小さい声が上がった。
俺が振り返ると、アルスト嬢は俺の目を真っ直ぐ見て、深く頭を下げた。
「ありがとうございます」
久しぶりに彼女の目を正面から見ることができたことに嬉しさを覚えつつ、努めて冷静に口を開く。
「あまり気を張るな。呼び方もエドガーでいい」
それだけ言うと、俺はすぐに教室を出て調査に向かった。




