2. 平穏が崩れる匂い
私はふらふらと歩いていたが、気づけばあの場所にいた。
王都南方の商店街。夢で見た場所だ。
商店街の中ほどまで歩いてきていたことに気づき、足を止める……いや、関わるべきではない。
私は一瞬の逡巡の後に踵を返す。わかっているのに、なぜここまで来てしまったのか。
後悔が押し寄せる前にと、足を速めようとしたそのとき。
足が止まる。
同じだ。
夢で見た光景と何もかも。
白いエプロンをつけた侍女風の少女。楽しそうに買い物をする家族。積み荷を降ろしている商人。いらっしゃい!と売り込む声。
それに、匂いだ。夢では匂いなんてしないはずなのに、夢で感じたのとまったく同じ馬車のもわっとした匂いが漂っていた。
今更ながらに今朝の悪夢の違和感に気づく。リアルすぎたのだ。景色も、音も、匂いも何もかも。
他人事のように分析する冷静な頭とは裏腹に、心臓は早鐘を打つ。足が地面に縫い付けられたように動けない。
私は、この後に起こることを知っている。
それに思い至った瞬間。
爆音が響いた。
反射で頭を抱えてしゃがみ込むと、地面が揺れ、人々の悲鳴があちこちから上がる。煙の臭いもしてきた。
逃げなくては。
鈍った頭でそう思うと同時に、人の波が押し寄せてきた。
なんとか立ち上がって走り出す。
騒ぎに気付いた衛兵たちが集まってきたのが見えた。混乱が広がる中、声をあげて避難誘導をしているようだ。南の方から爆発が聞こえたから、私も学園に戻れば大丈夫だろう。今なら歓迎パーティーにも間に合うし。
そう油断したからか。
ドンと急に背中を押されて、地面に投げ出される。
顔を上げると、ぶつかった人は振り返ることもなく逃げ惑っていた。
痛みを感じて手のひらを見ると、血がにじんでいた。
その手をかばいながら体を起こす。
そのとき、逃げる人々の足の隙間から、一人の少女が見えた。
エプロンのひもが荷馬車に引っかかって身動きが取れないようだ。必死に解こうともがいている。
私はとっさに動きを止める。
不安そうにさまよっていた少女の目がこちらをとらえた。
――その涙の浮いた顔を見ると、無視することはできなかった。
痛む体に鞭打って立ち上がると、人の波に逆らって少女の元へ向かう。
そのとき、再び地面が揺れた。
私は一瞬よろけたが、すぐに顔を上げる。
目に入ったのは、少女の頭上から大量に落ちてきている木箱だった。
間に合わない。
そう思ったが、体は勝手に動き、少女を抱きかかえていた。
落ちてくる木箱の影が映ると同時に、強い衝撃が走り、私は意識を手放した。
目をあけると知らない天井だった。
「リッ、リア!大丈夫?私がわかる?」
「サリー?」
声の方に顔を向けると、勢いよく何かが飛びかかってきた。
「うわああああん、よかったー!」
ぎゅーっと力強く私を抱きしめてきたのはサリーだ。
「ちょっ、ちょっとサリー痛い」
「あっごめん」
ようやく私から離れたサリーは涙で顔をべしょべしょにしていた。
「ここは?」
「学園の保健室よ。覚えてる?頭をひどく打って倒れたの」
話を聞いてじわじわと記憶がよみがえる。
「そうだ、女の子は?白いエプロン付けた子」
「ああ、あなたが守った子なら大丈夫よ。とても元気にしているわ」
私は安堵の息を漏らした。
「けど」
サリーが私の目を見て言う。
「リアは一晩起きなかった。重症よ。無茶するから。」
怒った口調だったが、その目に再び涙が浮かんできたのに気づいた私は、慌てて口を開く。
「ごめん、心配かけて」
「うん」
サリーは乱暴に涙をぬぐうと、こちらに鋭い視線を投げた。
「それで?どうしてあの場所にいたの」
その言葉で、自分の身に起こったことがよみがえってくる。
今更ながらに震えがこみあげてきた。
「リア?」
様子のおかしい私に気づいたのか、サリーは心配そうに顔を覗き込んできた。
私は笑顔を作って言った。
「なんとなく。新しい服が欲しいと思って」
「ほんとに?」
「うん」
「でも……」
「大丈夫だから!」
思わず声を荒げてしまい、はっと我に返る。
「ごめん」
「いいよ」
部屋には静寂が戻った。
サリーはじっとこちらを見つめていたが、ぼそっと何かを呟いた。
「え?」
「なんでもないわ。リア、今日は保健室でおとなしくしているのよ」
そういってサリーは部屋を出ていった。
窓の外を見つつ、唇をかむ。
今更、どうして。
自分の力のことはわかっていると思ったのに。うまく付き合っている、もう大人なんだから自分で対処できると。
それでも、また夢に振り回され、人を傷つけてしまう自分に苛立つ。
血の味がする。
私は体を横たえ、布団を頭からかぶったが、なかなか寝付くことはできなかった。
***
「入ればいいじゃない」
外に出た私が声をかけると、その人は扉の隙間からそっと覗きつつ言った。
「無事そうだからな、大丈夫だ」
私はゆっくりと口を開く。
「……まだ気にしてるの、あのときのこと」
婚約者のエドは扉の隙間からリアを見つつ言った。
「俺はもう気にしていないが、彼女がな。まだ傷が残っているようだ」
エドは冷静に答えたが、その横顔には、少し寂しさと痛みがにじんでいた。
その表情に胸がちくりと痛む。いまだにリアにもエドにも深い影を落としているのが、過去の自分の無力さを突き付けられているようだった。
「あの子が抱え込みすぎないといいけど……」
こぼれた言葉が静寂に溶ける。
リアを振り返ると、再び横になって頭から布団をかぶっていた。私たちはそっと扉を閉めると、静かに部屋を去った。




