19. 救いの一言
その日の夜。
「あ、雨あがったみたい。よかったー」
「うん、傘持ってきてなかったし、このままじゃ帰り濡れて帰るところだったもんね」
「それにしてもおいしかったわねー、今日のステーキ」
「サリーはお肉大好きだもんね」
「リアだって、甘いものに目がないじゃない」
あははと笑いながら寮に戻っていると。
ぴるるー。
遠くから笛の音が聞こえた。
思わず足を止める。
「リア?」
「ううん。なんでもない」
気のせいだと思い、私はまた歩き始めたが。
ぴるるー。
鳴り続ける笛の音に気づく。
聞きなじみのない異国の曲。そのはずなのに、今朝に聞いたばかりだ。
はっとして空を見上げる。
空には、星が一つもなかった。
「今日だ……」
声が漏れる。
「リア、どうしたの?」
「ごめんサリー、行かなきゃ!」
サリーに早口でそう言い残して、私は夜の街へと駆け出した。
***
「んー」
「殿下寝不足?」
「ああちょっとね」
私は眠い目をこすりながらあくびをかみ殺す。
原因はわかっている。
入学してから時々見る悪夢。
起きたら忘れてしまう、けれども強烈な衝撃を残していく悪夢だ。
最初は新生活に慣れないせいだと思っていた。でも今回で3回目か。思い出せないくせに強く心を揺さぶり、思い出さなければ、という焦燥感を駆り立てる悪夢。
正直、もう見なければいいと思った。
ふとあの令嬢の幼さの残る顔が脳裏に浮かぶ。
「ありえない。荒唐無稽だ……」
口の中で転がした言葉は夕闇に溶けていく。
考えれば考えるほど自分が揺らいでいくような不安感を振り切るように頭を振り、空を見上げた。
今日は星のない夜だ。
空の暗さとは一転、顔を下げると、繁華街の灯りが目に刺さった。ぴるるーという笛の音や、夜通し飲んでいる男たちの笑い声などが響いている。
痛む頭を抑えながら歩いていると、隣のヴィンが声をかけてきた。
「殿下、殿下はこの後何する? 僕がおすすめの女の子スポット教えてあげようか?」
「ふざけたこと言うな、勤務中だぞ」
呆れて返すと、ヴィンはへらへらと笑いながら続ける。
「もう交代の時間だし、硬いこと言わずにさー」
「私は戻るぞ、疲れた」
その返事にヴィンは不満そうに顔をしかめると、ちぇっ、つまんないのと言いながら踵を返した。
学校終わりで見回りをして、そのうえで遊ぼうなんてどれだけ体力が有り余っているんだ。
その背を見つつ、私も早く戻ろうと一歩踏み出す。
ふと、一人の男が目に入った。
いや、男と断定はできないが、黒いコートにフードを被っていて、体格ががっしりしている。何かを気にしているような不審な動きだ。
「ヴィン」
私は小声で友を呼び、目で合図する。
ヴィンは頷くと、静かにその男に近づいて行った。
「そこのお前。何をしている」
ヴィンが声をかけると、その男はびくっと肩を震わせ固まった。
かと思えば、一瞬の後、踵を返し一目散に逃げていく。
「待て!」
路地裏に逃げ込んだ男を二人で追いかける。
速い。このままでは追いつかない……!
私が焦ったそのとき、男が転んだ。
フードが脱げる。
夜闇に覆い隠されて顔までは見えなかったが、確実に男だった。
男は慌ててフードを被るが、まだ立ち上がれていない。
今がチャンスだ。
私たちは一気に距離を詰めた。
背を向けた男に手を伸ばしたそのとき。
「伏せて!」
聞きなれた言葉に反射で身体を伏せる。
ひうっと頭上に音がしたと思うと、すぐ近くの壁に矢が突き立った。
きゅっと心臓が縮む。全く気配に気づかなかった。
ぱっと振り返り目を見開く。
「どうして……」
そこには、肩で息をしたアルスト嬢が立っていた。
とそのとき、強く腕を引っ張られる。
ヴィンが私とアルスト嬢を脇道に引き込んだのだ。私の頭上を二の矢がかすめる。
「ここで待ってて」
ヴィンは早口でそう言うと、私たちを置いて伏兵を追って行った。
私は壁を盾にしつつ、男の方を覗く。
男は少し立ち止まって足を震わせていたが、慌てて路地の奥へと逃げていく。
――その影に、どこか見覚えがある気がした。
それに思い当たる前に、ヴィンが戻ってきて言った。
「ごめん。逃がした」
「構わない。ありがとう」
「僕周囲を見てくる」
そう言って再び離れたヴィンを見送り、隣の少女に向き直る。
その大きな瞳は私を真っ直ぐ貫く。
「どうして……」
その後の言葉が続かない。
「また予知夢を見たので」
「そういうことじゃない。どうして助けてくれた」
私の問いかけにアルスト嬢は少し視線をさまよわせたが、静かに答えた。
「私には分かるので。痛みも、悲しみも、後悔も全部」
その口調で、私ははじめて彼女の苦痛に思い至る。
「すまなかった。貴女の話を信じられなくて……いや、逃げていただけかもしれない」
恥ずかしさに唇をかむ。
本当はわかっていた。アルスト嬢が嘘をついていないことは、あの強いまなざしを見ればわかる。
ただ、それを受け止める覚悟がなかっただけだ。
私は弱いから。
アルスト嬢は黙ったまま私を見ている。彼女の薄い青色の瞳が静かにきらめいた。
……いや、私の言うべき言葉はこれではない。
「ありがとう」
そう言うと、アルスト嬢はふわりとほほ笑んだ。




