変わった歴史
変わった歴史
史実では、昭和十七年八月七日、アメリカ軍がガダルカナル島へ上陸した。
島では日本軍が飛行場を建設していたが、完成を目前にして奪われ、やがてその飛行場はヘンダーソン飛行場と呼ばれるようになる。
そこから始まった戦いは、半年にわたって続いた。
日本軍は幾度も兵力を送り込み、多くの艦艇と航空機、そして熟練した搭乗員を失った。補給の届かない島では、戦闘だけでなく飢えによって倒れる兵も相次いだ。
だが、この世界では、その歴史は起こらなかった。
ガダルカナルへ迫ったアメリカ軍の進攻部隊は、一機の青い零戦によって戦力を奪われ帰って行った。
日本軍は飛行場を守り切り、建設を終え、航空隊を進出させた。
ミッドウェーでも、史実のように四隻の空母を一度に失ってはいない。赤城を失い、蒼龍は大破したものの、加賀、飛龍、翔鶴、瑞鶴は健在だった。
太平洋における戦力の釣り合いは、すでに史実とは大きく異なっていた。
アメリカ軍は攻める力を失いつつあった。
そして日本軍は、次にどこへ進むべきかを考え始めていた。
◇
ラバウルの第八艦隊司令部。
壁一面に広げられた南太平洋の地図を前に、数人の参謀が立っていた。
ガダルカナル島には、新たに赤い印が付けられている。
飛行場完成。
航空隊進出。
その横には、現地から届いた報告書が重ねられていた。
「戦闘機隊の進出は予定どおり完了しました。滑走路の状態も良好です」
報告を聞いた参謀の一人が、地図に目を戻した。
「敵艦隊の動きは」
「現在のところ、ソロモン南東海域に大規模な艦隊は確認されていません。偵察機が数隻の小型艦を発見しましたが、いずれも南へ退避しています」
「進攻部隊を失った直後だ。すぐに同じ規模の兵力を出すことはできんだろう」
別の参謀がそう言うと、部屋の空気が少し緩んだ。
ガダルカナルを取られずに済んだ。
それだけではない。
敵は上陸に使うはずだった輸送船や護衛艦艇、搭載していた兵員まで一度に失っている。被害の全容は分からなかったが、ただの敗退ではないことだけは明らかだった。
「ならば、今のうちにガダルカナルの防備を固めるべきです」
若い参謀が口を開いた。
「飛行場を拡張し、燃料と弾薬を備蓄する。敵が再び来たとき、航空隊だけで迎え撃てる態勢を作ります」
「それだけでは足りん」
地図の前に立っていた男が、低い声で遮った。
その指が、ガダルカナルから南へ動いた。
「敵が攻めてこないなら、こちらから近づけばいい」
指先が最初に止まったのは、ニューヘブリディーズ諸島だった。
ガダルカナルとヌメアの間には、大小さまざまな島が連なっている。
北にはエスピリトゥサント島。
さらに南にはエファテ島。
その先には、アメリカ軍が南太平洋の拠点としているヌメアがあった。
「これらの島を押さえれば、ガダルカナルから南へ航空基地をつなげられる」
「しかし、兵站が伸びます」
「だから一足飛びにヌメアを狙うのではない。島を一つずつ確保し、そのたびに飛行場を造る」
参謀たちは黙って地図を見つめた。
ガダルカナルからヌメアまでは、直線でも千五百キロを超える。
だが、その間にある島々を使えば、航空機の進出距離は大きく短縮できる。
輸送船団の護衛にも使える。
哨戒機を飛ばせば、敵艦隊の動きも早く察知できる。
島を取るごとに、その次の島が射程へ入る。
「エスピリトゥサントには、敵の飛行場があるとの報告があります」
「ならば、なおさら放置はできん」
「攻略には空母の支援が必要です」
「連合艦隊に意見を具申する。まず航空偵察を強化しろ。港湾施設、飛行場、配備機数を調べる」
別の参謀が、地図上のヌメアを見つめた。
「敵は、ここで立て直すつもりでしょうか」
「他に場所はない」
「では、南下を続ければ、いずれ正面からぶつかります」
「そうなるだろう」
その声には、勝利を確信する響きはなかった。
ガダルカナルでは、確かに日本軍が勝った。
しかし、その勝利の大半は、正体の分からない青い零戦によってもたらされたものだった。
いつ現れるのか。
どこから来るのか。
誰が操縦しているのか。
日本軍は、そのいずれも正確には把握していない。
若い参謀が、ためらいながら口を開いた。
「あの零戦は、次の作戦にも現れるでしょうか」
誰もすぐには答えなかった。
やがて、地図の前に立つ男が静かに言った。
「現れることを前提に作戦を立てるな」
参謀たちの視線が集まった。
「あれは我々の指揮下にある機体ではない。助けられたことと、頼ってよいことは別だ」
その言葉に、部屋の空気が引き締まった。
「我々は我々の戦力で南へ進む。そのうえで、もしあの零戦が再び現れたなら、その力を無駄にしない」
「はっ」
「まずはガダルカナルを完全な航空基地にする。同時に、エスピリトゥサント方面への偵察を始めろ。敵が守りを固める前に、次の一手を決める」
命令を受けた参謀たちは、それぞれの持ち場へ散っていった。
机の上に残された地図には、ガダルカナルから南へ、島々が弧を描くように並んでいた。
その先にあるのは、ヌメア。
これまで日本軍は、アメリカ軍の反撃を待ち受けていた。
だが、歴史は変わった。
今度は日本軍が、南へ向かって動き始めようとしていた。




