開かずの扉
開かずの扉
未来基地の大型モニターに、ガダルカナル島の映像が映し出されていた。
密林を切り開いて造られた一本の滑走路。
その上を、日の丸をつけた零戦がゆっくりと走っている。
滑走路の端では整備兵たちが機体を誘導し、その向こうでは、トラックから次々と燃料缶や弾薬箱が降ろされていた。
海岸には輸送船が並び、小舟が絶え間なく島との間を往復している。
もう、建設途中の飛行場ではない。
ガダルカナルの航空基地は、確かに動き始めていた。
「零戦十二機、九六式陸上攻撃機が六機。偵察機も二機、確認できました」
はるみが観測データを読み上げる。
「地上部隊の増援も到着しています。燃料と弾薬の備蓄量も、予定を上回っています」
「米軍の動きは?」
京子の問いに、はるみが別の画面を開いた。
「大規模な艦隊行動は確認できません。少なくとも、ガダルカナルを奪還できるだけの戦力は集まっていません」
司令室に、静かな空気が流れた。
誰も喜びの声を上げなかった。
だが、全員が画面から目を離せずにいる。
史実では、アメリカ軍に奪われるはずだった飛行場。
日本軍は、その飛行場を取り戻すため、何度も兵を送り込んだ。
物資は届かず、兵は飢え、海も空も、多くの命を呑み込んだ。
その場所に今、日の丸が並んでいる。
日本軍機が降り立ち、燃料を積み、次の出撃に備えている。
「……変わったのね」
京子が、小さく呟いた。
その声は、司令室の機械音に消えそうなほど静かだった。
「本当に、歴史が変わったのね」
俺も、モニターに映る滑走路を見ていた。
ガダルカナルを守った。
ただ、それだけではない。
ここから先、史実と同じ出来事が起きる保証は、もうどこにもなかった。
アメリカ軍の反攻拠点は消えた。
日本軍は南太平洋に、新たな足場を手に入れた。
俺たちが知っている歴史から、世界そのものが離れ始めている。
その時だった。
司令室の扉が開いた。
「京子さん……」
入ってきた美希の声が、妙に小さい。
いつもなら、もっと明るく勢いよく入ってくるはずだった。
京子が振り返る。
「どうしたの?」
「あの……ちょっと、来てもらえますか?」
「何かあったの?」
美希はすぐには答えず、通路の奥を気にするように後ろを振り返った。
「開かずの扉が……なんか、光ってるんです」
京子の表情が変わった。
「光っている?」
「はい。さっき前を通ったら、扉の周りがぼんやり光ってて……私、何も触ってませんよ」
俺たちは、すぐに司令室を出た。
美希を先頭に、基地の奥へと続く通路を進んでいく。
普段はほとんど人が立ち入らない区画だった。
照明の白い光が、床に長く伸びている。
そして、通路の突き当たりに、その扉はあった。
以前、京子に案内された開かずの扉。
基地の記録にも、内部の構造は残されていない。
京子たちが、どれほど調べても開かなかった扉だ。
だが今は、以前とは明らかに違っていた。
扉の輪郭に沿って、細い青白い光が走っている。
一定の間隔で光が強くなり、また弱くなる。
まるで何かが、ゆっくりと呼吸しているようだった。
「本当に光っているわね……」
京子が扉へ近づく。
幸雄はすぐに壁際の操作盤を開き、端末を接続した。
「電力が流れているな」
「今までは?」
「反応すらなかった、だが、これは……扉の向こうで、何かが起動しているぞ」
「開けられる?」
「試してみる」
幸雄の指が端末の上を動く。
認証。
開閉命令。
緊急解除。
いくつもの操作を繰り返したが、扉は動かなかった。
「駄目です。命令を受け付けません」
「私の認証を使って」
京子が操作盤の前に立ち、手のひらを認証装置へ置いた。
光が走る。
短い電子音が鳴った。
しかし、扉は沈黙したままだった。
「司令官権限でも駄目だな」
幸雄が首を振る。
「これだけ光っているのに、開かないんですかぁ?」
美希が扉の前へ行き、恐る恐る手を当てた。
「開いてくださーい」
何も起きない。
美希は少し待ってから手を離し、困った顔でこちらを見た。
「やっぱり駄目です」
「当たり前だろ」
俺が言うと、美希は口を尖らせた。
「分からないじゃないですか。お願いしたら開くかもしれないでしょう」
「そんな扉があるか」
「この基地なら、ありそうです」
言われてみれば、否定しきれなかった。
俺は、淡い光を放つ扉を眺めた。
なぜ、今になって反応したのか。
ガダルカナルの飛行場が完成した直後に。
偶然なのか。
それとも、歴史が変わったことを、この扉も感知しているのか。
「慎一」
京子に呼ばれ、俺は振り向いた。
京子は扉ではなく、俺を見ていた。
「何だ?」
「以前、量子コンピューターがあなたの名前を言った事を言ったわよね」
「ああ」
この部屋には、仲川一登が関係している。
それだけを告げられた。
なぜ俺なのか。
何をすればいいのか。
その答えは、何も示されなかった。
「もしかしたら……」
京子は一度言葉を止め、再び扉へ目を向けた。
「この扉が待っていたのは、慎一なのかもしれない」
「俺を?」
「あなたがここへ来ただけでは、扉は反応しなかった。でも今、歴史が大きく変わった」
京子が、モニターのある司令室の方角を振り返る。
「ガダルカナルの飛行場が完成し、未来が史実から完全に離れ始めた。その直後に、この扉が光った」
「俺が歴史を変えたから、扉が反応したというのか」
「分からない。でも、試してみる価値はあるわ」
俺は、もう一度扉を見た。
青白い光が、ゆっくりと輪郭を巡っている。
幸雄も、はるみも、美希も、黙ってこちらを見ていた。
「触ればいいのか?」
「たぶん」
「ずいぶん曖昧だな」
「誰も開けたことがないのよ」
「それもそうか」
俺は扉の前に立った。
目の前には、継ぎ目すらほとんど見えない金属の壁がある。
その向こうに何があるのか。
誰が、この部屋を造ったのか。
なぜ、俺の名前が示されていたのか。
俺はゆっくりと右手を上げた。
誰も声を出さない。
基地の空調音だけが、通路の奥で低く鳴っている。
指先が、扉の表面に触れた。
冷たい。
そう思った瞬間、指先から光が広がった。
「慎一!」
京子の声が響く。
扉の輪郭だけを走っていた青白い光が、一気に中央へ集まり、俺の手のひらを中心に幾重もの輪を描いた。
床が、微かに震える。
扉の奥から、
ブォン……
と、腹の底へ響くような低い音が鳴った。
誰も動かなかった。
誰も息をすることさえ忘れたように、扉を見つめている。
そして次の瞬間。
カチャッ!
小さな音が、静まり返った通路にはっきりと響いた。




