ホワイトハウス
ホワイトハウス
ワシントンD.C.。
ホワイトハウス西棟。
大統領執務室の机には、太平洋から送られてきた写真が並べられていた。
途中から断たれた駆逐艦の砲身。
砲塔の基部を切断された巡洋艦。
クレーンとダビットを失った輸送船。
そして。
飛行甲板に大きな段差が生じた、三隻の空母。
フランクリン・ルーズベルトは、一枚ずつ写真を見ていた。
どの艦も浮いている。
港まで戻っている。
乗員も、兵士も帰還している。
だが、戦える艦は一隻もなかった。
「沈没した艦はないのだな」
「ありません」
海軍長官が答えた。
「戦死者は」
「攻撃による死者は、ほとんど確認されていません」
「ほとんど?」
「切断された設備の落下などにより、数名の負傷者が出ています。しかし、爆撃や砲撃による直接の被害ではありません」
ルーズベルトは、三隻の空母が並んだ写真を手に取った。
「空母は三隻とも帰還した」
「はい」
「だが、一機も飛ばせない」
「飛行甲板が途中で切断されています。修理が終わるまで、発艦も着艦も不可能です」
「巡洋艦は」
「艦砲射撃能力を失いました」
「駆逐艦は」
「同じです」
「輸送船は」
「上陸用舟艇を海へ降ろせません」
ルーズベルトは写真を机へ戻した。
「つまり、ガダルカナルを攻撃するために必要な能力だけが失われた」
「そうなります」
「船体も、機関も、舵も残っている」
「はい」
「帰るための機能は、奪われていない」
海軍長官は答えなかった。
ルーズベルトは、もう一度写真を見た。
「一機の航空機が、艦隊すべてを攻撃したのか」
「生存者の証言は一致しています」
「例の青い零戦」
「はい」
「ファントムと呼ばれている機体だな」
「現地の航空隊では、そう呼ばれています」
「どのような攻撃だった」
海軍長官が隣に立つ士官へ目を向けた。
士官は書類を開いた。
「青い零戦が艦隊の上空を通過した際、機体から薄紫色の光が伸びたとの証言があります」
「光?」
「一瞬だったそうです」
「砲弾は」
「確認されていません」
「爆発は」
「ありません」
「音は」
「航空機のエンジン音以外、ほとんど聞こえなかったと」
ルーズベルトの視線が、切断された巡洋艦の砲身へ移った。
厚い鋼鉄が、途中から消えている。
砲撃で吹き飛ばされた形ではない。
爆風で裂けてもいない。
巨大な刃物を振り下ろしたように、鋭く断たれていた。
「光で切ったというのか」
「調査班には説明できませんでした」
「海軍研究所は」
「同じです」
「陸軍の技術者は」
「資料を送っていますが、現時点で回答はありません」
「ならば、我々は何に攻撃されたのだ」
誰も答えなかった。
大統領執務室に、時計の音だけが響いた。
ルーズベルトは、一枚の写真を指先で動かした。
以前回収された戦闘機だった。
胴体の途中から、二つに断たれている。
「これは?」
「以前、青い零戦と交戦した戦闘機です」
「同じ攻撃か」
「切断面は酷似しています」
「以前から、この兵器を使っていた?」
「そう考えるべきかと」
「それを、今度は艦隊へ使った」
「はい」
ルーズベルトは眼鏡を外した。
「なぜ沈めなかった」
海軍長官がわずかに眉を動かした。
「大統領?」
「これほど正確に砲身を切れるなら、艦橋を狙うこともできたはずだ」
「……はい」
「飛行甲板ではなく、船体を切ることもできた」
「その可能性はあります」
「輸送船のクレーンではなく、兵員区画を攻撃することもできた」
室内の誰も口を開かなかった。
「だが、しなかった」
ルーズベルトは空母の写真を取り上げた。
「この機体は、無差別に攻撃したのではない。選んでいる」
海軍長官が低い声で答えた。
「艦隊を沈めることではなく、作戦を止めることを目的にしたと」
「そうだ」
ルーズベルトは写真を置いた。
「これは兵器の威力を示した攻撃ではない」
その指が、切断された飛行甲板を叩いた。
「意思を示した攻撃だ」
誰も反論できなかった。
青い零戦は、空母から空を奪った。
巡洋艦と駆逐艦から砲撃する力を奪った。
輸送船から兵士を上陸させる力を奪った。
そして、全員を生かしたまま帰した。
「日本海軍の命令によるものか」
「その可能性は低いと思われます」
「なぜだ」
「日本海軍が、この兵器を保有している形跡がありません。確認されている機体も、あの一機だけです」
「日本の空母から発艦した記録は」
「ありません」
「基地は」
「確認できていません」
「燃料補給はどうしている」
「不明です」
「弾薬は」
「それも」
ルーズベルトは、椅子の背へ身体を預けた。
「現れて、戦況を変え、消える」
「はい」
「日本軍を助けているが、日本軍の指揮下にはいない」
「少なくとも、我々にはそう見えます」
「妙な敵だ」
ルーズベルトは窓の外へ目を向けた。
ワシントンの街は、いつもと変わらず動いている。
だが太平洋では、彼らの知る戦争の形が崩れ始めていた。
「この機体を撃墜できるか」
「サッチ少佐が対抗機を指揮しています」
「例の新型機か」
「ファントム・ハンターです」
「戦果は」
「まだ撃墜には至っていません」
「損傷を与えたという報告はあったな」
「はい。一度は操縦席付近へ被弾させています」
「それでも飛び続けた」
「その後、通常では考えられない速度で離脱しました」
「通常では考えられない」
ルーズベルトは、小さく繰り返した。
報告書の中には、その言葉が何度も現れていた。
通常では考えられない速度。
通常では考えられない上昇。
通常では考えられない射程。
通常では考えられない兵器。
そして今度は。
通常では考えられない精度で、艦隊から戦う力だけを奪った。
「ホイットマンという技術士官がいるな」
海軍長官が顔を上げた。
「はい」
「彼が、プリンストンへ手紙を送っている」
海軍長官の表情が変わった。
「ご存じでしたか」
「戦時中だ。情報部は、海外から送られる手紙を読んでいる」
「宛先は、アルベルト・アインシュタイン博士です」
「内容は」
「青い零戦の速度、兵器、飛行特性について。最初の手紙では、既存の航空工学では説明できないと」
「返事は」
「博士は断定を避けています。ただし、観測を続けるよう求めています」
「二通目は」
「先日の交戦についてです。青い零戦が被弾後も飛行を続け、短時間で加速して離脱したことが書かれています」
ルーズベルトは机の上の電話へ手を伸ばした。
「博士を呼べ」
「ホワイトハウスへ、ですか」
「そうだ」
「博士は兵器の専門家ではありません」
「兵器の専門家が、全員分からないと言っている」
海軍長官は黙った。
「既存の分類で理解できないのなら、その分類の外を見る人間が必要だ」
◇
数日後。
アルベルト・アインシュタインは、ホワイトハウスを訪れた。
大統領執務室へ通されると、机の上に並べられた写真を見て、足を止めた。
「これは……」
「太平洋から届いたものだ」
ルーズベルトは、向かいの椅子を示した。
「掛けてくれ、博士」
アインシュタインは腰を下ろした。
最初に手に取ったのは、切断された戦闘機の写真だった。
次に駆逐艦の砲身。
巡洋艦の砲塔。
輸送船の揚陸設備。
最後に、三隻の空母を見た。
「ホイットマンからの手紙を読んだそうだな」
「ええ」
「これが、彼の書いていた航空機だ」
「青い零戦」
「現地ではファントムと呼んでいる」
アインシュタインは、飛行甲板の切断面を見つめた。
「艦は沈まなかったのですね」
ルーズベルトの目が細くなった。
「最初にそこを見るか」
「これほどの損傷を与えられるなら、沈めることもできたはずです」
「私も同じことを考えた」
「乗員は」
「ほぼ全員帰還した」
「では、攻撃した者は、何を壊すべきか理解していた」
「日本軍の作戦か」
アインシュタインは写真から目を離さなかった。
「軍の命令であれば、より大きな被害を与えようとするでしょう」
「では何だ」
「警告」
「アメリカへの?」
「いいえ」
アインシュタインは、三隻の空母の写真を並べた。
「この艦隊への警告です」
「違いがあるのか」
「国家を屈服させるための攻撃なら、もっと多くを破壊します。ですが、これは違う」
指先が、空母の飛行甲板を示す。
「飛べない」
次に巡洋艦の写真。
「撃てない」
そして輸送船。
「上陸できない」
アインシュタインは顔を上げた。
「それだけです」
「ガダルカナルへ行くな、と」
「そう読めます」
ルーズベルトは、しばらく黙っていた。
「博士。この光は何だ」
「分かりません」
「鋼鉄を切る光だ」
「写真だけでは判断できません」
「可能なのか」
「光に強いエネルギーを集中させれば、物質へ作用させることは理論上考えられます」
「作れるか」
「現在の技術では、この規模の装置を航空機へ搭載することはできません」
「何年先の技術だ」
アインシュタインは答えなかった。
「十年か」
「分かりません」
「二十年」
「その問いには、前提がありません」
「前提?」
「どのような原理で、どれほどのエネルギーを作り、どのように制御しているのか。何も分かっていない」
アインシュタインは青い零戦の不鮮明な写真を手に取った。
「我々には、完成した結果だけが見えています」
「途中がない」
「ええ」
「日本が秘密裏に開発した可能性は」
「これほどの技術を生み出すには、多くの研究者と施設が必要です。一機だけが突然現れるとは考えにくい」
「では、どこから来た」
アインシュタインは写真を机へ戻した。
「分かりません」
「博士にも分からないことがあるのだな」
「分からないことの方が多いものです」
ルーズベルトの口元が、わずかに動いた。
だが、その表情はすぐに消えた。
「この機体は、戦争の結果を変えられるか」
「すでに変えています」
即答だった。
「空母三隻を沈めずに無力化した。それだけで、太平洋の作戦計画は変わる」
「では、我々はどうすべきだ」
「それは政治家が決めることです」
「私は、科学者の意見を聞いている」
「ならば」
アインシュタインは少し考えた。
「この航空機だけを見てはいけません」
「どういう意味だ」
「これほど大きな変化が起きれば、必ず別の変化が生まれます」
「反作用か」
「歴史にも、それに似たものがあるのかもしれません」
ルーズベルトは、静かにアインシュタインを見た。
「歴史が、元へ戻ろうとすると?」
「私は歴史学者ではありません」
「だが、否定はしない」
「観測されていないものは、肯定も否定もできません」
その時。
扉がノックされた。
「入れ」
情報部の士官が、一通の封筒を持って入ってきた。
「大統領。太平洋方面から緊急報告です」
「内容は」
「サッチ少佐の部隊に関するものです」
ルーズベルトは書類を受け取った。
短い報告だった。
新型機の改良案。
青い零戦の性能分析。
そして。
これまで確認されていなかった技術資料が、匿名で送られてきたという記述。
「匿名?」
ルーズベルトが呟いた。
「はい。差出人は不明です」
「どこから送られた」
「それも分かりません」
「内容は」
「ファントム・ハンターの性能を、さらに引き上げるための設計案です」
海軍長官が書類を覗き込んだ。
「実現可能なのか」
「現地の技術者は、理論上は可能だと判断しています。ただし」
「ただし?」
「現在の我が国で、なぜこの設計が作られたのか説明できないと」
アインシュタインの視線が、書類へ向いた。
「見せていただけますか」
ルーズベルトは、黙って書類を渡した。
アインシュタインは数枚の設計図を見た。
その目から、先ほどまでの静かな余裕が消えた。
「博士」
「これは、誰が?」
「それが分からない」
「ホイットマンではありません」
「なぜ分かる」
「彼の手紙には、ここまでの知識はなかった」
「では、この設計は使えるのか」
アインシュタインは、長い間答えなかった。
「使える可能性はあります」
「青い零戦に対抗できる?」
「そこまでは分かりません」
ルーズベルトは設計図を見つめた。
青い零戦が現れた。
その直後から、アメリカ側には不自然なほど早く、新しい技術が集まり始めている。
敵の性能が上がれば、それに合わせるように対抗機の性能も上がる。
まるで何者かが、戦争の流れを元へ戻そうとしているように。
「博士」
「はい」
「先ほど、変化には別の変化が生まれると言ったな」
「言いました」
「これが、その変化だと思うか」
アインシュタインは、設計図と青い零戦の写真を見比べた。
「偶然にしては」
言葉を止める。
「少し、出来すぎています」
ルーズベルトは机の上で両手を組んだ。
「青い零戦を調べろ」
海軍長官が姿勢を正した。
「はい」
「それだけではない」
ルーズベルトは、匿名で届いた設計図を指した。
「これを送った者も探し出せ」
「承知しました」
「我々が戦っている相手が、日本だけとは限らなくなった」
執務室に、沈黙が落ちた。
机の上には、二つのものが並んでいた。
戦う力だけを切り取った、青い零戦の写真。
そして。
その零戦を撃ち落とすために送られてきた、差出人のない設計図。
歴史を変えようとする力。
それを、元へ戻そうとする力。
二つの意思が太平洋を挟んで、静かに動き始めていた。




