救った代償
第九十三話 救った代償
未来基地。
修復を終えたブルーゼロは、格納庫の中央に静かに置かれていた。
砕けた風防は、強化ハイポリマー製の新しいものへ交換されている。
操縦席の左右に残っていた深い凹みも消え、青い外板には再びハイパーコーティングが施されていた。
見た目だけなら、あの激しい戦闘など最初からなかったようだった。
だが、誰も忘れてはいない。
風防を突き抜けた弾。
血に染まった操縦席。
海へ落ちていった青い翼。
一登は格納庫の入口に立ち、修復された機体を眺めていた。
その横では、幸雄が最後の点検を続けている。
「推進系、異常なし」
幸雄が端末へ数値を入力する。
「燃料系統も問題なし。新しい風防の固定も終わった」
「もう飛べるのか?」
「ああ」
幸雄は機体から降りると、工具を作業台へ置いた。
「だが、すぐに飛ばすつもりはないぞ」
「何でだ?」
「お前がまた何か変な事、思いつくかもしれん」
「信用がないな」
「あたりまえだ、」
一登が少し笑った。
その時、格納庫の奥から美希の声が響いた。
「京子さん!」
いつもの明るい声ではなかった。
京子たちが振り返る。
美希は端末を胸に抱えたまま、こちらへ走ってきた。
「アルメディアからログが届いています」
京子の表情が変わった。
「緊急指定?」
「はい」
美希は端末を差し出した。
画面の上部に、赤い表示が点滅している。
未来側から送られてくるログは、日常的なものではない。
過去へ送る必要があると判断された記録だけが、時間を越えて届く。
それも緊急指定となれば、ただ事ではなかった。
「管制室へ行きます」
京子が踵を返した。
◇
管制室。
照明が落とされ、中央画面だけが明るく浮かんでいた。
京子。
はるみ。
美希。
幸雄。
そして一登。
全員が画面の前に揃っている。
美希がログを開いた。
ノイズが一度走る。
やがて、見慣れたアルメディアの監視室が映し出された。
画面の中央に由紀子が立っている。
その後ろには、さゆり、千鶴、良太、昭雄の姿もあった。
誰も笑っていない。
由紀子が真っ直ぐカメラを見た。
『京子。由紀子です』
録画された声が、静かな管制室に流れる。
『このログは、未来予測に重大な変化が確認されたため送信します』
画面が切り替わる。
複数の予測線。
北米の研究施設。
増え続ける予算。
集められる科学者。
運び込まれる資材。
建設速度。
電力供給計画。
それらが一つの方向へ収束していた。
『私たちは、核兵器開発に関する予測値を再計算しました』
一登の表情が消えた。
京子は画面を見たまま動かない。
『結果を先に伝えます』
由紀子は一度、言葉を切った。
『原子爆弾の完成予測時期が、史実より早まっています』
美希の指が端末の上で止まった。
はるみが小さく息を呑む。
幸雄は何も言わず、画面を睨んでいる。
『計算上の誤差ではありません』
由紀子の後ろで、千鶴が別の資料を表示した。
『演算は複数回行いました。結果はすべて同じです』
表示された日付は、誰の目にも明らかだった。
本来より早い。
しかも、わずかな差ではない。
歴史の針が、確実に前へ進んでいる。
◇
ログの中で、良太が説明を引き継いだ。
『原因は一つではありません』
変化した戦況図が表示される。
日本軍の補給線。
生き残った空母。
史実より維持されている航空戦力。
崩れずに残る戦線。
『過去への介入によって、日本軍の継戦能力は大幅に上昇しました』
画面の上に、米軍側の損害予測が重ねられる。
史実より増えている。
『米軍は、戦争の長期化を予測しています』
良太の声には感情がなかった。
だが、それがかえって事実の重さを際立たせていた。
『通常兵器による早期決着が困難になったと判断されれば、より決定的な兵器へ資金と人員が集中します』
次に映し出されたのは、Phantomに関する米軍の記録だった。
異常な速度。
未知の推進。
レールガン。
そして、今回初めて使用された切断兵器。
『Phantomの存在も、開発を加速させる要因になっています』
美希が小さく首を振った。
「そんな……」
声はログには届かない。
未来側の由紀子たちは、すでに記録を終えている。
こちらが何を言っても、返事は返ってこない。
その隔たりが、いつもより遠く感じられた。
画面の中で、昭雄が口を開く。
『私たちは原爆投下を阻止するため、歴史介入を始めました』
昭雄は一度、視線を落とした。
『ですが、私たちが変えた戦争そのものが、原爆開発を早めている可能性があります」
管制室が静まり返った。
◇
美希が端末を握りしめた。
「だって……」
声が震えている。
「私たちは、人を助けてきたんですよね?」
誰も答えられなかった。
「船を守って」
「兵隊さんたちを助けて」
「沈むはずだった空母も……」
美希は京子を見た。
「それが、間違いだったんですか?」
「違います」
京子はすぐに答えた。
だが、その声には迷いがあった。
「間違いではありません」
「じゃあ、どうして……」
その先は言葉にならなかった。
はるみが目を伏せる。
「助けた命が増えたことで、戦争が長引く」
静かな声だった。
「戦争が長引けば、もっと強い兵器が必要になる」
幸雄が低く言った。
「しかも、あいつらはブルーゼロを見てる」
全員の視線が幸雄へ向く。
「普通の戦闘機じゃ止められない」
「普通の弾でも抜けない」
「だから、もっと大きな力を求める」
幸雄は格納庫の方向を見た。
「俺たちが強くした分だけ、向こうも強くなろうとしてる」
京子は何も言えなかった。
一登だけが、黙ったまま画面を見ていた。
◇
ログの中で、由紀子が再び前へ出た。
『京子』
その呼びかけに、京子の肩がわずかに動いた。
『この事実を伝えるべきか、私たちも迷いました』
『一登さんが守ってきた命を否定することになるのではないか』
『京子たちの選択を、間違いだったと突きつけることになるのではないか』
由紀子は静かに首を振った。
『でも、隠すことはできません』
画面に未来予測が映る。
無数の線。
枝分かれする可能性。
その中には、史実より早く核兵器が完成する線があった。
『これから何を変えればいいのか』
『私たちにも、まだ分かりません』
『ただ、一つだけ確かなことがあります』
由紀子は、カメラの向こうにいる京子を真っ直ぐ見た。
『これまでと同じように飛び続けるだけでは、未来は救えません』
そこで由紀子の記録は終わった。
だが、画面は消えなかった。
暗くなったアルメディアの監視室に、淡い光が残る。
そして、NOVAの声が流れた。
『未来が揺らいでいます』
短い言葉だった。
それだけで、ログは終了した。
◇
管制室の照明が戻った。
誰も動かなかった。
今までなら、出撃すればよかった。
敵機を落とし、船を守り、死ぬはずだった人間を助ければよかった。
目の前の命を救えば、未来は良い方向へ進む。
誰もがそう信じていた。
だが、歴史はそれほど単純ではなかった。
一つを救えば、別の場所が動く。
一つの戦線を支えれば、別の兵器が必要とされる。
ブルーゼロが圧倒的に強くなればなるほど、敵はそれを上回る力を求める。
たった一機の零戦。
どれほど速くても。
どれほど強くても。
歴史という巨大な波を、一機だけで押し返すことはできないのか。
美希が小さく言った。
「慎一さん……」
一登は返事をしなかった。
しばらく、消えた画面を見つめていた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
「俺たちが、早めたんだな」
京子は否定できなかった。
「可能性は……高いと思います」
「そうか」
一登はそれだけ言った。
美希が不安そうに見つめる。
「慎一」
「何だ?」
「後悔してるんですか?」
一登は少し考えた。
補給船団。
赤城の甲板。
生き残った兵士たち。
名前も知らない、多くの人間。
自分が飛ばなければ、死んでいたかもしれない命。
「いや」
一登は首を振った。
「だからって、今まで助けた人間を見捨てればよかったとは思わん」
美希の目が揺れた。
「でもな」
一登は続ける。
「このまま飛んでりゃいいって話でもなくなった」
誰も答えなかった。
京子は、一登を見つめた。
彼の声には後悔も、怒りもなかった。
ただ、今までより大きな問題を前にして、静かに考え始めていた。
◇
一登は格納庫へ戻った。
京子たちも、その後をついていく。
修復されたブルーゼロが、照明の下に立っている。
新しい風防。
取り替えられたシート。
傷の消えた外板。
再び飛べる青い翼。
一登は、その機体へゆっくり近づいた。
翼へ手を置く。
冷たい感触が掌へ伝わった。
ブルーゼロは直った。
以前より強くなった。
だが、強くなったからといって、未来を救えるわけではない。
これまでのように敵を倒すだけでは足りない。
船を守るだけでも足りない。
一登は青い翼を見つめた。
「どこへ飛べばいいんだろうな」
小さな呟きだった。
京子が隣へ立つ。
「一緒に考えます」
一登は京子を見た。
「答えが見つからなくてもか?」
「見つかるまで考えます」
はるみも頷く。
「そのために、私たちは来ました」
美希がブルーゼロの翼へ手を置いた。
「ゼロちゃんも一緒です」
幸雄は腕を組んだまま言う。
「直したばかりだからな。勝手に終わらせるなよ」
一登は皆の顔を見た。
それから、もう一度ブルーゼロを見る。
たった一機。
歴史の大波の前では、あまりにも小さい。
それでも、この機体でなければ届かない場所がある。
「そうだな」
一登は静かに頷いた。
「まだ終わってない」
ブルーゼロの青い翼が、格納庫の照明を淡く返していた。
救った命に、代償があるとしても。
その代償から、目を逸らすわけにはいかない。
一登は翼から手を離した。
次に飛ぶ時。
ただ敵を落とすためではない。
何を変えれば、本当に未来を救えるのか。
その答えを探すために飛ぶ。
歴史の波は、さらに大きくなっていた。




