傷跡
第九十二話 傷跡
未来基地の格納庫。
ブルーゼロは、いつもの整備台の上にいた。
だが、青い機体には戦闘の跡が残っている。
撃ち抜かれた風防。
操縦席右側に刻まれた深い凹み。
反対側にも、同じような傷。
操縦席には、まだ乾いた血がこびりついていた。
「ゼロちゃんが可哀想ですぅー!」
格納庫へ入った途端、美希が悲鳴を上げた。
砕けた風防へ駆け寄り、半泣きの顔で中を覗き込む。
「こんなに傷だらけになって……」
「俺も撃たれたんだが」
一登が横から言った。
美希は振り返り、一登の右肩を見る。
そこには、もう傷一つ残っていない。
「慎一さんは治ってます!」
「そうだけどな」
「ゼロちゃんは、自分では治せないんです!」
「分かった、分かった」
一登は苦笑した。
はるみも、傷ついた機体を見上げながら小さく息を吐いた。
「今回は、私も寿命が縮みました」
「悪かったな」
「本当にそう思っていますか?」
「思ってるぞ」
一登は答えたが、はるみの目はまだ疑っていた。
京子だけは何も言わなかった。
傷だらけのブルーゼロ。
その隣に立つ、傷一つ残っていない一登。
京子は二つを交互に見ていた。
赤く染まった風防。
海へ落ちていった青い零戦。
あの光景は、まだ目の奥に残っている。
一登が京子を見る。
「京子?」
「……何でもありません」
短い返事だった。
だが、その声はいつもより少し硬かった。
◇
「感傷に浸るのは後だ」
機体の下から、幸雄の声がした。
工具を持ったまま立ち上がり、ブルーゼロの操縦席を見上げる。
「まず、こいつが何を食らったのか確認する」
幸雄は砕けた風防を取り外した。
透明な強化アクリルには、ひとつの貫通孔が残っている。
穴の周囲は白く濁り、放射状に細かな亀裂が走っていた。
幸雄は指先で、その縁をなぞった。
「強化アクリルを抜いてる」
一登が近づく。
「普通の十二・七ミリじゃないのか?」
「少なくとも、今まで食らった弾とは違う」
幸雄は操縦席右側の凹みを示した。
「一発目は、ここだ」
外板は破れていない。
だが、指が沈むほど深く凹んでいる。
次に、風防の貫通孔を指す。
「二発目が、風防」
その先。
慎一の右肩を撃ち抜き、シートの背もたれまで貫通した痕が残っていた。
幸雄はシートを取り外す。
背面には、弾丸が通った穴が開いている。
さらに奥。
主燃料タンクの手前で、潰れた弾芯が止まっていた。
幸雄は慎重にそれを取り出した。
「あと少しだったな」
一登が燃料タンクを見る。
「こいつに当たってたら、危なかったか」
幸雄は首を振った。
「このタンクは、ちょっとやそっとじゃ穴は開かない」
未来素材で強化された主燃料タンク。
通常の零戦に搭載されていたものとは、まるで違う。
だが幸雄は、すぐに続けた。
「だからって、撃たれていいわけじゃない」
タンク本体が耐えても、支持部や燃料配管まで無事とは限らない。
同じ場所へ何発も食らえば、どこかが壊れる。
「これだけの弾が、もう一発入っていたら分からなかった」
一登は小さく息を吐いた。
「本当に危なかったんだな」
「今頃気づいたのか」
幸雄は呆れた顔をした。
◇
幸雄は、今度は操縦席左側へ回った。
「三発目は、ここだ」
右側と同じように、外板が深く凹んでいる。
三つの弾痕。
右。
中央。
左。
すべて操縦席を横切るように並んでいた。
幸雄は計測器を取り出し、それぞれの命中角度を読み取った。
細い光が伸び、三本の弾道が格納庫内に再現される。
三本は、ほとんど同じ場所へ集まっていた。
一登が、その交点を見た。
自分の頭と胸があった場所。
「全部、俺を狙ってるな」
「ああ」
幸雄は即答した。
「機体じゃない」
三発の中心には、操縦席しかなかった。
「最初から、お前だけを殺すつもりで撃ってる」
美希が黙り込んだ。
はるみも、再現された弾道を見つめている。
京子の表情が、わずかに険しくなった。
ハーパーが引き金を引けた時間は、ほんの一瞬だった。
上昇から捻り込みへ移る、その僅かな隙。
そこへ三発。
一発目は右。
二発目は風防を抜き、慎一の肩を貫通。
三発目は左。
ばら撒いた弾ではない。
慎一のいる空間へ、正確に置かれた三発だった。
一登は、しばらく弾痕を見ていた。
やがて小さく笑う。
「敵ながら、見事な腕だな」
「感心してる場合か」
「強い奴は強い。それだけだ」
一登は、風防を抜いた弾芯へ目を落とした。
「あの二機は、今までの奴らとは違う」
「機体も弾もな」
幸雄は、以前被弾した外板の記録を呼び出した。
右翼後方へ受けた十二・七ミリ弾。
その時の凹みと、今回の損傷を画面上で重ねる。
深さが違う。
今回の方が、明らかに食い込んでいた。
「ハイパーコーティングをしてある外板が、ここまで凹んでる」
幸雄は低く言った。
「普通の十二・七ミリじゃない」
「Phantom用か」
「たぶんな」
高初速。
強化された弾芯。
ブルーゼロの外板と風防を抜くために用意された弾薬。
詳しい構造までは分からない。
だが目的だけは明白だった。
「奴ら、本気でゼロちゃんを殺しに来てる」
美希が頬を膨らませた。
「許せません!」
「戦争だからな」
一登が静かに言った。
「向こうも必死なんだ」
◇
幸雄は、新しい風防を運んできた。
透明な素材は、光を受けてもほとんど歪みを見せない。
一登が覗き込む。
「同じ物じゃないな」
「ああ」
幸雄は表面を軽く叩いた。
「強化ハイポリマーだ」
今までの強化アクリルよりも粘りがあり、衝撃を一点へ集中させない。
弾頭を受ければ、複数の層が僅かに変形しながら力を散らす。
「透明度は落ちないのか?」
「落とすと思うか?」
「思わん」
「なら聞くな」
幸雄は新しい風防を機体へ合わせた。
「外板も修復して、ハイパーコーティングをやり直す」
一登は、左右の深い凹みを見る。
「今度は大丈夫か?」
幸雄の手が止まった。
「何がだ」
「これだけ強くすれば、当たっても平気なのかってことだ」
幸雄は一登を見た。
そして、はっきりと言った。
「そんな機体は作れない」
格納庫が静かになった。
「どんな未来技術を使っても限界はある」
幸雄は凹んだ外板へ手を置いた。
「ハイパーコーティングも、強化ハイポリマーも、当たり続ければいつかは抜かれる」
一登は黙って聞いている。
「ゼロちゃんは、弾を受けるための飛行機じゃない」
幸雄は一登を真っ直ぐ見た。
「かわす飛行機だ」
そして、新しい風防を指した。
「こいつは、お前が避け損なった時の保険だ」
「保険か」
「ああ」
幸雄は工具を持ち直した。
「だから次も、全部かわしてこい」
一登は少しだけ笑った。
「難しい注文だな」
「お前ならできる」
即答だった。
一登は傷ついた青い翼へ目を向けた。
どれほど強くしても、無敵にはならない。
機体が応える。
操縦者がかわす。
その二つが揃って、初めてブルーゼロは空を支配する。
一登は静かに頷いた。
「了解」
◇
修理が始まった。
美希は傷ついた外板を何度も心配そうに覗き込み、幸雄に邪魔だと追い払われた。
はるみは必要な部材を揃え、京子は少し離れた場所から作業を見守っていた。
新しい風防が取り付けられる。
左右の外板が修復される。
ハイパーコーティングが、青い機体を再び包んでいく。
一登は、格納庫の壁にもたれながら、その様子を眺めていた。
傷は消える。
だが、何が起きたかは消えない。
ハーパーの三発。
強化された弾。
そして、自分が初めて撃ち落とされかけた空。
敵も進化している。
ならば、こちらも進むしかない。
やがて美希が、修復されていくブルーゼロを見上げて笑った。
「ゼロちゃん、もう少しで元通りですね!」
幸雄は手を動かしたまま答える。
「元通りじゃない」
「え?」
「前より強くなる」
美希の顔が、一気に明るくなった。
「ゼロちゃん、進化ですぅ!」
格納庫に、美希の声が響いた。
一登は小さく笑う。
青い零戦は、傷つくたびに修復される。
だが、本当に強くなるのは、機体だけではない。
一登は、もう一度だけ三発の弾道を思い出した。
次は。
全部かわす。
それが、ブルーゼロを飛ばす者の仕事だった。




