NOVA(ノヴァ)
第八十五話 NOVA
未来基地の司令室では、今日までの戦況ログが整理されていた。
大型モニターには、慎一がこの時代へ来てから発生した主な変化が並んでいる。
ソロモン諸島近海。
珊瑚海。
ミッドウェー。
ムスタングの早期投入。
米軍の対零戦戦術の前倒し。
補給船団防衛。
海面滑空の成功。
そして、薄いマリンブルーの零戦。
京子は画面の前に立ち、ひとつずつ確認していた。
「現在ログ、圧縮完了しました」
はるみが端末を見ながら言った。
「送信先、アルメディアAIG中枢区画。暗号化完了」
美希が少し緊張した顔でモニターを見上げる。
「久しぶりですね……向こうに送るの」
「ええ」
京子は小さく頷いた。
東京地下都市アルメディア。
京子たちがいた未来の都市。
そしてAIG。
Almedia Intervention Group。
理不尽な未来を覆すために作られた歴史介入機関。
京子たちは、そこから志願してこの時代へ来た。
帰れなくなる可能性もあった。
それでも、自分たちの意思でこの場所を選んだ。
だから、アルメディアには今も仲間がいる。
由紀子。
さゆり。
千鶴。
良太。
昭雄。
同じ未来を見て、同じ絶望を知り、それでも希望を捨てなかった者たち。
京子は静かに息を吸った。
「送信します」
慎一は少し離れた場所で、その様子を見ていた。
「未来へ送るのか」
「はい」
「俺のこともか?」
京子は慎一を見た。
「もちろんです」
「変なことは書くなよ」
美希が振り向く。
「変なことって何ですか?」
「分からん。だが、俺はだいたい変なことをしてる気がする」
幸雄が低く笑った。
「自覚はあるんだな」
「多少はな」
司令室の空気が少しだけ緩む。
京子は小さく微笑んだあと、再びモニターへ向き直った。
「送信開始」
表示板に細い光の線が走った。
その線は、現在から未来へ向かって伸びていく。
時間を越え、世界線の揺らぎを越え、失われかけた未来へ。
京子はその光を見つめた。
みんな。
お願い。
◇
東京地下都市アルメディア。
地上から数百メートル下に築かれたその都市は、かつての東京の地下に広がっていた。
地上の空は、もう人が安心して見上げられるものではない。
だが、地下都市にはまだ光があった。
人工太陽。
透明な高層構造物。
水循環区画。
居住層。
研究層。
そして、中央制御区画。
AIG中枢区画の通信管制室に、ひとつのログが届いた。
受信端末の前にいた良太が、顔を上げる。
「来た」
その一言で、室内の空気が変わった。
さゆりがすぐに振り向く。
「京子たちから?」
「ああ」
良太は画面を確認する。
「未来基地、第七観測線。現在ログ、完全受信」
千鶴が端末を持って近づいた。
「破損は?」
「なし。暗号鍵も一致」
由紀子は黙ってモニターを見つめていた。
表示されたログ名。
過去介入記録。
慎一。
零戦。
Phantom。
そして、新たに追加された記録。
青い守護神。
昭雄が低く呟いた。
「青い守護神……」
さゆりが小さく息を呑む。
「京子らしい名前じゃないわね」
「美希あたりだろ」
良太が言うと、千鶴が少しだけ笑った。
「ありそう」
けれど、その笑いはすぐに消えた。
ログの中身は軽いものではなかった。
米軍戦術の変化。
ムスタングの早期投入。
対零戦戦術の前倒し。
補給船団攻撃の阻止。
敵攻撃隊の全滅。
そして、海面滑空。
由紀子は静かに言った。
「早い」
良太が頷く。
「歴史変化の速度が、予測より大きい」
昭雄は腕を組む。
「慎一の介入だけで、ここまで動くか?」
「分からない」
由紀子はモニターを見たまま答えた。
「だから、NOVAに送る」
その名が出た瞬間、通信管制室の空気が変わった。
NOVA。
アルメディア量子演算中枢。
崩壊した未来を救うために作られた、希望の演算知性。
由紀子は端末に手を置いた。
「京子たちは、あちらで答えを探している」
さゆりが静かに頷く。
「私たちは、こちらで答えを探す」
良太はログをNOVA解析形式へ変換した。
「ログ変換完了」
千鶴が確認する。
「因果変動値、時系列補正、対象者行動パターン、すべて添付」
昭雄が短く言った。
「送れ」
由紀子は少しだけ目を閉じた。
京子。
あなたたちは、まだ飛んでいるのね。
そして、送信キーに触れた。
「NOVAへ解析依頼」
◇
アルメディア中央区画。
そこは、都市のどの場所よりも静かだった。
人の声はない。
風もない。
巨大な円筒状の空間の中央に、光の柱が立っている。
その奥に、NOVAは存在していた。
量子演算中枢。
無数の世界線を同時に観測し、膨大な可能性を重ね合わせる知性。
京子たちの時代において、それは単なる機械ではなかった。
未来を諦めなかった者たちが作った、最後の希望。
ログが流れ込む。
慎一の行動記録。
戦闘軌跡。
選択。
反応速度。
判断傾向。
敵を倒す理由。
補給船団を守った理由。
発言記録。
戦争は良くない。
けれど、どうしても戦わなければならない時もある。
戦うなら、戦う相手だけでいい。
その戦い方は、やめろ。
NOVAの内部で、世界線が重なった。
一つの可能性。
また一つの可能性。
慎一ではない誰かが選ばれた世界。
仲川一登ではない誰かが乗った世界。
未来知識だけを持つ者が乗った世界。
軍人が乗った世界。
科学者が乗った世界。
政治家が乗った世界。
どの世界線も、どこかで崩れていた。
勝ちすぎる者は、破滅を早めた。
憎しみで戦う者は、次の憎しみを生んだ。
歴史を知る者は、歴史を支配しようとした。
技術を得た者は、力を信じすぎた。
だが。
一つの世界線だけが、違う揺らぎを見せていた。
三上慎一の機体。
仲川一登の意識。
異常なほどの経験値。
常識を疑う視点。
科学を固定された真理としてではなく、まだ未完成の仮説として見る目。
そして何より。
守るために戦うという選択。
NOVAの演算は深く沈んでいく。
さらに奥へ。
さらに遠くへ。
未来の崩壊点。
第三次世界大戦後の地球。
飢え。
分断。
選別。
人類が自分たちを管理できなくなった未来。
それでも、NOVAは別の可能性を探していた。
切り捨てて救う道ではない。
選別して残す道でもない。
人間が、人間のまま未来を選び直す道。
その鍵になるもの。
それは、力ではなかった。
知識でもなかった。
勝利でもなかった。
ひとりの男の、奇妙なほど頑固な価値観だった。
◇
通信管制室では、由紀子たちがNOVAからの返答を待っていた。
誰も話さない。
解析待機表示だけが、静かに点滅している。
やがて、部屋の照明がわずかに落ちた。
NOVAの音声出力装置が起動する。
良太が息を止めた。
さゆりが手を握る。
千鶴は画面から目を離せない。
昭雄は腕を組んだまま、黙っていた。
由紀子だけが、まっすぐ音声装置を見ていた。
短い静寂。
そして、声が流れた。
それは冷たい機械音ではなかった。
かといって、人間の声でもなかった。
静かで、澄んでいて、どこか遠い。
『解析完了』
由紀子は小さく頷いた。
「結果は」
少しだけ間があった。
まるでNOVAが、その言葉を選んでいるかのようだった。
『因果変動値、許容範囲内』
『歴史改変進行、想定より早いものの、希望経路からの逸脱は確認されません』
良太が息を吐いた。
さゆりの肩から、少しだけ力が抜ける。
だが、NOVAの声は続いた。
『対象者、三上慎一』
画面に、ひとつの名前が表示される。
その下に、もう一つの名前。
仲川一登。
『実体名、仲川一登』
通信管制室に静寂が落ちた。
由紀子は、その名前を見つめる。
NOVAの声が、静かに響いた。
『やはり、仲川一登で正解でしたね』
誰も、すぐには言葉を返せなかった。
その一文だけが、アルメディアの通信管制室に深く残った。
過去で飛ぶ青い零戦。
未来で待つ仲間たち。
そして、すべての可能性を越えて、ひとりの男を選んだ量子知性。
NOVAは、静かに沈黙した。




