AIG
第七十一話 AIG
ハーパー達が、ファントムハンターの試乗を行い、慎一打倒に燃えている頃。
未来基地の朝は、やけに平和だった。
戦争の時代にいるとは思えないほど、食堂には穏やかな匂いが漂っている。
焼いたパン。
湯気の立つスープ。
そして、コーヒー。
慎一は椅子に座り、マグカップを両手で包んでいた。
「……朝からコーヒーがうまいな」
京子が微笑む。
「今日は少し濃いめです」
「気がきくな。眠気に効くやつだ」
美希が皿を運んできた。
「慎一さん、ご飯ですよ!」
「おっ、今日は何だ」
「秘密です!」
その横から幸雄が言った。
「昨日の残りだ」
「幸雄さん!」
美希が頬を膨らませる。
慎一はパンを見て、スープを見て、それから美希を見た。
「残り物をうまく食わせるのは、立派な腕だぞ」
「ほら!」
美希が得意げに胸を張った。
幸雄は肩をすくめる。
「褒め方が年寄りくさいな」
「中身は年寄りだからな」
はるみが端末を操作しながら、静かに言った。
「慎一さんの年寄り発言、今朝三回目です」
「数えとるのかい」
「記録です」
「そんな記録はいらん」
京子が小さく笑った。
その笑顔を見て、慎一は少しだけ言葉を止めた。
仕事中の京子は、いつも凛としている。
だが、朝の光の中で髪を耳にかける仕草には、チーフとは違う柔らかさがあった。
「どうしました?」
京子が気づいて顔を上げる。
「いや」
「顔に何か付いてます?」
「ついてないけど」
美希がニヤリとした。
「慎一さん、今、京子さんを見てましたよね」
「確認しただけだ」
はるみが端末から目を離さずに言う。
「確認時間、二・七秒」
「はるみまで言わないで」
京子が少しだけ困った顔をした。
慎一はコーヒーを飲む。
「熱いな」
京子が即座に言った。
「それ、もう冷めています」
食堂に小さな笑いが広がった。
この場所は、秘密基地だった。
未来技術の塊で、戦争の流れを変えるための拠点だった。
だが、今この瞬間だけは違う。
誰かがコーヒーを淹れ、誰かが皿を並べ、誰かが余計なことを言って笑う。
それは、家のようだった。
◇
慎一は、しばらく黙って食事をしていた。
だが、コーヒーを半分ほど飲んだところで、ふと顔を上げた。
「そういや、京子」
「はい?」
「前に、お前たちの未来の話は少し聞いたな」
京子の表情が、わずかに引き締まる。
「あの夜の話ですね」
「ああ。二〇五三年。第三次世界大戦。アルメディア。それに、三度の失敗」
食堂の空気が少しだけ静かになった。
美希の手が止まる。
はるみが端末から目を上げる。
幸雄は黙ってカップを置いた。
慎一は続けた。
「ただな、あの時は京子の記憶として聞いた」
京子は黙って慎一を見ている。
「だが、肝心なことをちゃんと聞いてなかった」
「肝心なこと、ですか」
「AIGだ」
慎一はマグカップを置いた。
「AIGって、結局何なんだ?」
京子は少しだけ目を伏せた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「AIGは、Almedia Intervention Group」
慎一は眉を上げた。
「アルメディア……」
「アルメディア歴史介入機関」
京子の声は静かだった。
「私たちの未来で、理不尽な歴史を覆すために作られた組織です」
「歴史を覆す、か」
「正確には、過去に介入し、新しい未来へ繋ぐための組織です」
はるみが端末を操作した。
壁面の大型スクリーンに、AIGの紋章らしき図形が映る。
その下に、いくつかの施設名が並んだ。
AIG本部。
日本支部。
第1基地。
第2基地。
第3基地。
慎一は画面を見つめた。
「第3基地……ここか」
「はい」
京子が頷く。
「この無人島にある基地が、AIG日本支部、第3基地です」
「じゃあ、第1と第2もあるんだな」
京子はすぐには答えなかった。
代わりに、スクリーン上の第1基地と第2基地の表示が赤く染まる。
機能停止。
その文字が、静かに浮かんだ。
「第一基地と第二基地は、すでに機能を停止しています」
慎一は目を細めた。
「何があった」
「それぞれ、過去の介入作戦で失われました」
食堂に沈黙が落ちた。
美希は俯いている。
幸雄は腕を組み、壁の一点を見ていた。
はるみは淡々としているように見えたが、指先は止まっていた。
「前に話した通り、AIGは三度、歴史への介入を試みました」
京子は言った。
「一度目は、何も変えられませんでした」
スクリーンに、第1基地の記録が一瞬だけ表示される。
詳細は伏せられていた。
慎一には、ただ赤い警告表示だけが見えた。
「二度目は、途中で失いました」
第2基地の表示も赤く変わる。
「三度目は、本当にあと少しでした」
京子の声が、ほんの少しだけ低くなった。
「ですが、それでも未来は変わりませんでした」
「変わらなかったことは、どうやって分かった」
慎一が訊くと、はるみが説明を引き継いだ。
「未来側のAIG本部が観測していました。過去へ送られた基地やチームの記録は、限定的な時間通信ログとして未来側へ送られていました」
「つまり、未来の本部が見ていたわけか」
「はい」
はるみは頷いた。
「ですが、三度とも、歴史の大きな流れは変化しませんでした」
慎一は画面を見た。
第1基地。
第2基地。
機能停止。
その文字が妙に重かった。
「今回が四度目か」
京子は頷いた。
「はい」
慎一は苦笑した。
「四度目の正直だな」
美希が少しだけ笑った。
「普通は三度目です」
「すまん、年取ると適当になるんでな」
その言葉で、ほんの少しだけ空気が緩んだ。
だが、京子の表情はすぐに真剣に戻る。
「タイムマシンを起動するには、莫大なエネルギーが必要です」
「タイムマシン」
慎一はコーヒーを止めた。
「さらっと凄い言葉を出すな」
「AIGの歴史介入は、それなしにはできません」
「それで京子たちは来たのか」
「はい」
京子は慎一を見た。
「ただし、もう次はありません」
食堂が静かになった。
「今回で失敗すれば、AIGは終わります」
京子は一言ずつ、ゆっくりと言った。
「タイムマシンをもう一度起動するだけのエネルギーは、未来には残されていません」
慎一の手が止まった。
「つまり」
「第三基地が、最後の希望です」
◇
その言葉は、食堂の空気を深く沈めた。
未来基地。
今まで慎一にとって、ここは不思議な場所だった。
零戦を格納し、改造し、出撃させ、帰還する場所。
京子たちがいて、コーヒーがあって、食事がある場所。
だが今、その意味が変わった。
ここはただの基地ではない。
最後に残った場所だった。
第1基地も、第2基地も失われた。
そして第3基地だけが、まだ生きている。
「私たちは」
京子が静かに言った。
「今回の任務に志願して来ました」
慎一は京子を見た。
「志願?」
「はい」
「帰れなくなるかもしれんと分かっててか」
「分かっていました」
京子の声は揺れなかった。
慎一は美希を見る。
美希は少し緊張した顔で、それでも笑おうとしていた。
はるみは静かに視線を落としている。
幸雄は腕を組んだまま、壁を見ていた。
「みんなか」
「はい」
京子が答えた。
「私たちは全員、自分の意思でここへ来ました」
慎一はしばらく何も言えなかった。
未来人。
便利な技術を持つ者たち。
最初はそう見えていた。
だが違う。
彼女たちは、帰れなくなる覚悟でここへ来た。
失敗すれば未来が終わる。
それでも、この時代へ来た。
慎一は静かに息を吐いた。
「若いのに、無茶するな」
京子が少しだけ笑った。
「慎一さんに言われたくありません」
「確かに」
幸雄がぼそりと言った。
「一番無茶してるのはお前だ」
「俺は巻き込まれただけだ」
はるみが即座に言う。
「その後は自主的に無茶しています」
美希が頷く。
「はい。慎一さん、かなり自主的です」
「味方がおらんな」
慎一がそう言うと、美希が笑った。
京子も小さく笑った。
張り詰めていた空気が、少しだけほどける。
だが、慎一の胸の奥には、重いものが残ったままだった。
◇
「食材や資材はどうしてるんだ」
慎一が訊いた。
京子は少し驚いたように瞬きをした。
「そこを聞くんですか?」
「生きる為には飯を食う。機械だって腹が減る。そこが分からんと落ち着かんからな」
幸雄が少し笑った。
「現場の人間らしい質問だな」
「食い物も部品も、湧いて出るわけじゃないだろ」
京子は頷いた。
「基地には備蓄があります。食料、医薬品、燃料、基本資材。それに小型の水耕栽培設備と、合成食材の製造区画もあります」
「合成食材か」
「味は悪くありません」
美希が胸を張る。
「私、味付け頑張ってます!」
幸雄が言った。
「昨日の残りだけどな」
「幸雄さん!」
慎一は笑った。
「残り物でもうまけりゃ勝ちだ」
京子は続けた。
「金属や樹脂は再生加工できます。ただし、元になる材料は必要です」
「やっぱりな」
「だから漂着物や、島で採れる資源も使っています。必要に応じて、海中や周辺から回収することもあります」
慎一は腕を組んだ。
「つまり、この基地も腹が減るわけだ」
京子は少し笑った。
「言い方は変ですけど、その通りです」
「なら、拾えるものは拾わんとな」
幸雄が慎一を見た。
「お前、そういうの得意そうだな」
「六十六年も生きとると、捨てる前に使い道を考えるようになる。何でも屋だったしな」
「じじい発言、四回目」
はるみが記録した。
「やめんか」
美希がくすくす笑った。
慎一も笑った。
笑いながら、胸の奥が少し熱くなった。
この基地は、ただの未来技術の塊ではない。
限られた食料を工夫し、資材を拾い、機体を直し、毎日を繋いでいる。
それは、暮らしだった。
◇
京子は静かにスクリーンを消した。
食堂に朝の光が戻る。
先ほどまで映っていたAIGの記録は消え、そこにはいつものテーブルがあるだけだった。
だが、慎一にはもう同じ場所には見えなかった。
「京子」
「はい」
「俺は、お前たちの最後の希望なのか」
京子は少しだけ首を横に振った。
「違います」
慎一は京子を見る。
京子は真っ直ぐに慎一を見返した。
「私たちは、慎一さん一人に未来を背負わせるために来たわけではありません」
その声は優しかった。
だが、強かった。
「私たちは、一緒に未来を変えるために来たんです」
慎一は黙った。
その言葉は、妙に胸に残った。
一緒に。
未来を変える。
六十六歳の誕生日に、ワインを飲んでいたはずの男。
死んだはずの二十歳の海軍少尉。
未来から来た四人。
最後に残った第3基地。
全部が、今この食堂に集まっている。
「そうか」
慎一は静かに言った。
「なら、俺も少しは踏ん張らんとな」
京子が微笑む。
「お願いします」
その笑顔は、朝の光の中でとても綺麗だった。
慎一は一瞬だけ言葉を失う。
美希がすかさず言った。
「慎一さん、また京子さんを見てます」
「見とらんわい」
はるみが端末を見た。
「三・一秒」
「測るな」
京子の頬が、ほんの少しだけ赤くなった。
幸雄がぼそりと言う。
「まあ、今日くらいはいいだろ」
「幸雄まで」
京子が困ったように言う。
慎一はコーヒーを持ち上げた。
だが、一口飲んで顔をしかめる。
「冷めちまったな」
京子が立ち上がった。
「入れ直します」
「頼む」
京子はカップを受け取る。
その指が、慎一の指にほんの少し触れた。
一瞬だけ、二人の動きが止まる。
美希が息を吸った。
「今――」
「何もありません」
京子が即答する。
はるみが静かに言った。
「ありました」
幸雄も頷く。
「あったな」
慎一は天井を見た。
「この基地は味方が少ないな」
食堂に笑いが広がった。
その笑いの中で、京子は新しいコーヒーを淹れ始めた。
湯気が立つ。
香りが広がる。
重い話をした後でも、この場所には朝があった。
慎一はその湯気を見つめながら思った。
ここは秘密基地ではない。
研究施設でもない。
最後の希望であり。
同時に、帰る場所なのだと。
京子が新しいカップを慎一の前に置く。
「どうぞ」
慎一はそれを受け取り、ゆっくりと一口飲んだ。
今度は温かかった。
「うまいな」
京子は少しだけ笑った。
「よかったです」
その日、慎一は初めて知った。
AIGという名の本当の重さを。
そして、自分が帰るべき場所が、ここにあることを。




