朝飯
第五十二話 朝飯
第二未来基地の食堂には、炊きたての飯と味噌汁、それに焼き魚の匂いが漂っていた。
前日の昼から、ゼロと皆んなは第二未来基地へ、転移していた。ミッドウェーへ向かう朝だからといって、食卓だけは普段と変わらない。慎一は慣れない席に座り、焼き魚をほぐし、白い飯に乗せて口へ運んでいた。向かいでは京子がコーヒーを飲み、はるみは端末を横に置いたまま朝飯を食べている。美希は何となく慎一の様子が気になるらしく、さっきからちらちらこちらを見ていた。
「何だよ。魚の骨でも顔についてるか?」
「いえ……普通に食べてるなと思って」
「朝飯だからな」
「今日、ミッドウェーですよ?」
「ミッドウェーに行くと腹が減らなくなるのか?」
美希が言葉に詰まると、隣で幸雄が味噌汁を飲みながら笑った。
「こいつに緊張して飯が喉を通らんなんて繊細さを期待するな」
「失礼だな。俺だって緊張くらいするぞ」
「その割にもう一杯食いそうな顔してる」
慎一は空になりかけた茶碗を見てから幸雄を見た。
「よく分かったな」
「長い付き合いだからな」
「まだそんなに長くないだろ」
京子が吹き出し、美希もつられて笑った。さっきまでどこか硬かった食卓の空気が、少しだけ普段の朝に戻る。
「おかわりいる?」
京子が聞くと、慎一は迷わず茶碗を差し出した。
「頼む。今日は長くなるかもしれん。腹が減ってたら飛べん」
「そこだけ聞くと、遠足に行く人みたいね」
「遠足なら弁当も頼む」
「レールガン積んで遠足に行く人は初めて見たわ」
京子はそう言いながら炊飯器の蓋を開け、二杯目をよそった。慎一は受け取った茶碗に礼を言い、そのまま食べ始める。
ミッドウェー!そう今日は決戦の日だ、十日前に海図を見てから、この日のために何度も位置と時間を詰めてきた。
ソロモン近くにある未来基地からは、ミッドウェーは遠い為、第二未来基地からの、出発になる。
それでもミッドウェーまでは遠かった、本当は最初からミッドウェーに張り付いていたかったが、航続距離は如何ともしがたい、色々検討した結果が時間を赤城の攻撃にあわせ、そこで止めるというものだった。
史実通りならだが、それに、今は翔鶴も瑞鶴もいる。米軍もPhantomの存在を知り、慎一の知る歴史とはすでに違う動きを始めている。
慎一が二杯目の半分ほどを食べたところで、はるみの端末から短い警告音が鳴った。はるみは箸を置き、何気なく画面を確認したが、数秒後には表情が変わっていた。
「京子さん、ちょっと見てください」
その声で食堂の空気が変わる。京子はすぐにはるみの隣へ移り、美希も椅子を寄せた。
「何かあったか?」
慎一は箸を止めずに聞いた。
「ミッドウェーからPBYが上がっています。しかも昨日まで確認していた時間より早いです」
はるみが画面を切り替える。京子はしばらく表示を追ったあと、眉を寄せた。
「一機じゃないわね」
「はい。順次範囲を広げてます。このままだと、日本側の進路と重なる可能性があります」
慎一はそこでようやく箸を止め、壁の時計を見た。出撃予定まではまだ一時間近くある。
「ずいぶん勤勉だな、今日は」
「褒めてる場合じゃないわよ」
「褒めちゃいない。朝飯くらいゆっくり食わせてくれって話だ」
京子はもう一度端末を確認すると、ためらわず判断した。
「予定を変えるわ。慎一は一時間繰り上げ。幸雄は機体の最終確認、美希は発進準備。はるみはPBYの動きを追い続けて」
幸雄は残っていた味噌汁を一気に飲み干して立ち上がった。
「俺の朝飯まで巻き込まれたな」
「文句はアメリカに言え」
「帰ってきたら言っとけ」
幸雄はそう返して食堂を出ていき、美希も端末を抱えて後を追った。はるみはそのまま画面に張りつき、京子も情報の整理を始める。
慎一も立ち上がろうとしたが、京子が振り返った。
「慎一は食べてて」
「みんな働いてるぞ」
「今行っても幸雄の邪魔になるだけ。それに、さっき自分で言ったでしょう。腹が減ってたら飛べないって」
「それをここで使うか」
「便利な言葉は使い回すものよ」
慎一は苦笑して座り直した。
つい数分前まで全員で朝飯を食べていた食堂が、今は半分作戦室になっている。その中で自分だけが二杯目の飯を食べているのは妙な気分だった。
「しかし、食いにくいな」
「さっきまであんなに平気だったじゃない」
「横で戦争の時間を計算されながら食う飯は、さすがに味が違う」
「まずい?」
慎一は味噌汁を一口飲んで首を振った。
「いや、うまい。そこが困る」
京子が少し笑った。
「だったらちゃんと食べなさい」
慎一は残りの飯を急がず食べた。出撃が早まったからといって、ここで慌てても何も変わらない。幸雄が機体を見て、美希が発進を準備し、はるみと京子が状況を追っている。自分の仕事は、飛ぶ時に飛べる状態でいることだ。
最後の一口を食べ終えた頃、美希から連絡が入った。
『慎一さん、機体の準備に入れます。幸雄さんからも問題なしです』
「了解。今行く」
慎一が茶碗を置くと、京子がコーヒーメーカーへ手を伸ばした。
「ちょっと待て」
「何?」
「それ、まだ淹れるな」
京子が振り返る。
「出る前に一杯くらい飲めるわよ」
「今飲んだら、ゆっくり味わえんだろ。せっかく濃くするって言ってたのに、もったいない」
「じゃあどうするの?」
慎一は席を立ち、食器を重ねた。
「帰ってから飲む。今淹れたら冷める」
京子は一瞬だけ慎一を見た。それからコーヒーメーカーから手を離す。
「分かった。じゃあ豆だけ用意しておく」
「濃いのを頼む」
「注文が多いわね」
「生きて帰って飲むんだから、それくらい言わせろ」
京子は少しだけ笑った。
「じゃあ、文句が出ないくらい濃くしておくわ」
「それは楽しみだ」
それ以上、どちらも何も言わなかった。
慎一が食堂を出る頃には、はるみの端末には新しいPBYの位置が次々と表示されていた。予定していた朝は終わったらしい。
◇
格納庫では幸雄が最後の確認を終えたところだった。慎一が近づくと、幸雄は工具を片づけながら機体を軽く叩いた。
「問題ない。予定が一時間変わったくらいで、こいつまで慌てたりはせん」
「俺より落ち着いてるな」
「機械は余計なことを考えないからな。お前も見習え」
「俺が何も考えなくなったら、京子が困るぞ」
「今でも十分困らせてるだろ」
「それは否定できんか、はは」
慎一は笑いながら翼へ上がり、操縦席へ身体を沈めた。ハーネスを締め、計器と兵装を確認して栄改を始動する。
格納庫の天井が開き床がせりあがる。
目の前に青いラグーンが広がった。エンジン音が安定すると、無線にはるみの声が入った。
『慎一さん、PBYの位置は随時送ります。今のところ日本機動部隊を捕捉した反応はありません』
「分かった。見つかる前にこっちも状況を見ておきたいな」
『京子さんからも同じ指示です。今日は史実の時間より、現在の情報を優先してください』
「その方が助かる。もう歴史の時計だけ見て飛べる段階じゃないからな」
慎一は空間磁気コイルを作動させ、零戦を浮かせた。主脚を格納したところで京子の声が入る。
『慎一君』
「どうした?」
『コーヒー、帰る時間に合わせて淹れるから』
慎一は少し笑った。
「じゃあ、あんまり早く淹れるなよ」
『あなたが早く帰ってくればいいの』
「そりゃそうだ」
栄改の回転を上げる。零戦はラグーンの上を滑るように加速し、そのまま朝の空へ機首を上げた。予定より一時間早い出撃になったが、慎一に焦りはなかった。朝飯は食った。コーヒーは帰ってからでいい。
慎一はミッドウェーへ針路を合わせ、速度を上げた。




