青い悪魔
第106話 青い悪魔
午後4時過ぎ、慎一はエスピリトゥサント島へ向けて飛び立った。
ブルーゼロの航続距離は、増槽なしでも五千キロに達する。島までの往復に燃料の不安はなく、現地で戦闘になったとしても十分に余裕があった。
海へ出ると、慎一は高度を落とした。空間磁気コイルが機体を海面から二メートルの位置へ支え、尾翼基部の外板が左右に開く。露出した粒子加速噴射口が低く唸り、ブルーゼロは波頭のすぐ上を南へ滑り始めた。
速度は時速五百キロを超えている。
それでも機体はほとんど揺れず、夕方へ向かう太陽だけが、ゆっくりと背後へ傾いていった。
午後六時。
水平線の向こうに、エスピリトゥサント島が姿を現した。
未来基地が持つ記録によれば、島には滑走路、格納庫、整備工場、燃料貯蔵施設、港湾設備が集中している。米本土から運ばれた航空機や部品はここへ集められ、整備と補給を受けたあと、ガダルカナルやソロモン方面へ送り出されていた。
慎一は粒子加速噴射を止め、栄改だけで海岸へ近づいた。
西へ傾いた太陽が、ブルーゼロの背後から強い光を投げている。島側から見れば、海面に反射する夕日と機影が重なり、発見は難しいはずだった。
海岸線の奥に航空基地が見えた。
滑走路の周囲には戦闘機と爆撃機が何列にも並び、格納庫の前では整備兵が動いている。燃料貯蔵槽の近くを給油車が行き交い、港には物資を満載した輸送船と補給艦が十隻、同じ向きで横並びに係留されていた。
慎一が探していた二機の新型機は、どこにも見当たらなかったが、そこには、明日にも前線へ送られる戦闘機と爆撃機が何十機も並んでいる。二機の新型機がいなくても、次の部隊を襲う航空機はすでに用意されていた。
慎一はレーザー出力の調整レバーを最大値に振る。
表示が三十パーセントから上昇し、警告音とともに最大値で止まった。
『慎一さん、レーザー最大出力ですよ』
美希の声がわずかに強張った。
「いいんだ」
それだけ答えると、慎一は操縦桿を引いた。
海面すれすれを飛んでいたブルーゼロが、一気に機首を上げる。海岸の樹木を飛び越えた瞬間、広大な駐機場が風防いっぱいに広がった。
地上の兵士たちが、突然現れた零戦を見上げた。
誰かが敵機だと叫び、警報所へ向かって走り始める。
だが、サイレンはまだ鳴っていない。
慎一は高度を抑えたまま、駐機場の端へ回り込んだ。
戦闘機と爆撃機は地上に水平に並び、機首を同じ方向へ向けている。慎一はその列の横を抜ける角度へブルーゼロを合わせた。
レーザートリガーを押す。
薄紫色の光が、駐機場を横一線に走った。
ブルーゼロの進入角度に沿って、レーザーは一機目のプロペラからエンジンを抜け、そのまま胴体へ斜めに入る。二機目も、三機目も、隣り合う機体が次々と同じ線上で切り裂かれていった。
プロペラ、エンジン、操縦席、胴体。
大型爆撃機の太い機首も、複数のエンジンも、最大出力のレーザーを止めることはできなかった。薄紫色の光は何十機もの航空機を一息に貫き、反対側へ抜けていった。
照射が終わった直後も、駐機場は一瞬だけ元の姿を保っていた。
整備兵の一人は、自分が点検していた戦闘機を呆然と見つめた。爆弾は落ちていない。機銃掃射を受けた形跡もない。
機首に、細い斜めの線が残っているだけだった。
次の瞬間、プロペラがパラパラと落ちた。そのままエンジンが少し横へずれた。それは異様な光景だった。
やがて、ゴトッ。
重い音を立てて何かが地面へ落ち、続いて胴体の上半分が斜めに滑り落ちた。
隣の機体も崩れた。
その隣の爆撃機も、切断されたエンジンごと太い胴体を二つに分けた。
ゴトッ、ゴトッと鈍い音が連続し、何十機もの戦闘機と爆撃機が一斉に形を失っていく。
主翼を横一線に切られた爆撃機の燃料タンクに引火し、爆発した。
ようやく基地のサイレンが鳴り始めた。
だが、ブルーゼロはすでに駐機場を抜けていた。
慎一は機体をわずかに上昇させ、格納庫へ機首を向ける。
薄紫色の光が再び走った。
格納庫の外壁と支柱が斜めに切断され、内部に並んでいた修理中の機体や整備設備まで一息に貫かれる。切断された建物はすぐには崩れず、ブルーゼロが横を通過してから、屋根がゆっくりと傾き始めた。
支えを失った巨大な屋根が、内部の航空機と工作機械を巻き込みながら沈み込む。整備兵たちは何が起きたのか理解できないまま外へ走り、崩れた格納庫から土煙と黒煙が噴き上がった。
慎一はそのまま燃料貯蔵施設へ向かった。
巨大な円筒形の貯蔵槽が、夕日を受けて赤く染まっている。
レーザーを横へ振ると、薄紫色の光が並んだ貯蔵槽をまとめて切り開いた。鋼板は抵抗することもなく線状に消え、切断面から大量の航空燃料が噴き出した。
地面へ流れた燃料が、格納庫付近で上がった炎と触れた。
最初の貯蔵槽が爆発する。
赤黒い火柱が夕空へ立ち上がり、衝撃波が基地全体を揺らした。隣の貯蔵槽へ炎が移り、轟音とともに次々と爆発が連鎖していく。
警報の音は、爆発音にかき消された。
対空砲がようやく旋回を始めたが、煙と炎が視界を塞ぎ、砲手たちはブルーゼロの位置すら捉えられない。
慎一はさらに港へ向かった。
荷揚げクレーンが何基も並び、係留船から航空機の部品や燃料ドラムを陸へ運んでいる。港の作業員たちは航空基地で起きた爆発を見上げ、まだ状況を理解できずにいた。
ブルーゼロがクレーンの脇を抜ける。
薄紫色の光が脚部を順に断ち切り、支えを失った巨大な鉄骨が桟橋へ倒れ込んだ。木箱が潰れ、燃料ドラムが跳ね、荷役設備が次々と崩れて港を塞いでいく。
残る目標は、係留された十隻の船だった。
十隻は船首を同じ方向へ向け、互いに間隔を空けて横並びに係留されている。
慎一は高度を上げ、斜め上から船団の中央を真横に横切る進路へブルーゼロを乗せた。
機首の先に一隻目の船体中央が重なる。
その後ろには、二隻目、三隻目が一直線に並んでいた。
慎一はレーザートリガーを押した。
薄紫色の光が、ブルーゼロの前方へ伸びる。
一隻目の船体中央を真横から貫き、船首と船尾の間を完全に切断する。光はそのまま二隻目へ届き、三隻目、四隻目へと続いた。
ブルーゼロは速度を落とさず、そのまま十隻の船団のど真ん中を一気に横切った。
薄紫色の光が消えた時、十隻すべての船体中央に同じ切断線が通っていた。
すぐには何も起きなかった。
船は係留されたまま、何事もなかったように水面へ浮かんでいる。
港の兵士たちが、上空を通り過ぎた零戦を目で追った。
その直後、一隻目の船体中央から低い金属音が響いた。
ミシッ。
切断面から海水が一気に流れ込み、船体中央が沈み始める。浮力を残した船首と船尾がゆっくり持ち上がり、巨大な船が中央から折れ曲がるような形になった。
二隻目も中央から沈んだ。
三隻目、四隻目が続く。
十隻の輸送船と補給艦が、ほぼ同時に船首と船尾を持ち上げながら、切断された中央部分から海へ沈んでいった。係留索が次々と引き千切れ、甲板に積まれていた車両や木箱が中央の裂け目へ滑り落ちる。
港全体に、船体が軋む低い音が重なった。
米軍が対空砲を撃ち始めた時、ブルーゼロはすでに港を抜けていた。
攻撃開始から、3分も経っていない。
何十機もの戦闘機と爆撃機が斜めに切断され、格納庫は内部の設備ごと崩れ落ちた。燃料貯蔵施設は炎に包まれ、荷揚げクレーンは倒壊し、十隻の輸送船と補給艦が港の中央から沈み続けている。
滑走路だけは無傷だった。
だが、そこから飛び立てる機体は一機も残っていなかった。
慎一はレーザーのトリガーから指を離した。
『レーザー出力、ゼロ。発振器温度はかなり上昇してます』
美希の報告を聞きながら、慎一は機首を海へ向けた。
海岸線を越えると同時に高度を落とし、空間磁気コイルを作動させる。ブルーゼロは再び海面二メートルへ滑り込み、尾翼基部の外板を開いた。
粒子加速噴射が始まる。
炎上するエスピリトゥサント島が、急速に遠ざかっていった。
『新型機は、いませんでしたね』
はるみが静かに言った。
「ああ」
慎一はそれだけ答えた。
基地がどれほど燃えているのかも、何隻の船が沈んだのかも振り返らなかった。
エスピリトゥサント島では、米兵たちが破壊された基地を前に立ち尽くしていた。
空襲警報だけが、まだ鳴り続けている。
一人の整備兵が、真っ二つになった戦闘機の横から海を見た。夕暮れの水平線には、すでに零戦の姿はない。
「あれが、Phantomなのか」
隣にいた兵士は、中央から沈んでいく十隻の船を見つめたまま、ゆっくりと首を振った。
「違う」
夕空には、燃料貯蔵槽から上がる黒煙が広がっていた。
「あれは悪魔だ」




